水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2018年2月分まとめ

2018年02月28日 08時45分18秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆2月2日
マタイ25章、十人の乙女の譬え。6節「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」に注目。寝耳に水の到着ではなかったし、花婿が来る直前にそれと告げる声があったのだ。バッハの《目覚めよ、と我らに呼ぶ声あり》が、この話に基づいているのだなと、今朝の通読で気づいた。

◆2月4日
詩編32:7「あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって わたしを囲んでくださる方」後半、NIVでは〈surround me with songs of deliverance〉。主語は《主》。私達は普段讃美をささげるが、主の歌は聴いたことがない。天に行ったら聴けると思うと楽しみ。

◆2月5日
詩編36:7「恵みの御業は神の山々のよう あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる」。以前【恵子の郵便ポスト】で、愛犬は救われるのか?といったご質問が紹介されていたけれど、こんなに明瞭に聖書に書いてあったんですね。その方もこの聖句に気づくといいな

◆2月6日
マタイ27章。祭司長や民の長老達がイエスを連行したのは、ねたみに突き動かされてのこととピラトは見抜いていた(18節)。NIVで〈ねたみ〉は〈self-interest(利己心)〉。利己心は誰にでもあり得るものだが、それが妬みになり、殺意にまで発展する。心したい。

◆2月7日
詩編38:10「わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり 嘆きもあなたには隠されていません」。節の後半はNIVで〈my sighing is not hidden from you〉とあり、《嘆き》は《溜め息》になっている。私達のつく溜め息の一つでさえ主はご存知でいらっしゃる。

◆2月10日
新改訳詩篇41:8「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい」。復職した職場で「取り憑かれている」と言われ、結局退職。しかし今の土地に移住し為すべきことがあった。敗残者の汚名を濯ごうと必死になる必要はない。主にのみ栄光あれ!

◆2月13日
湖で嵐に見舞われた弟子達は船尾で眠っていたイエスを起こす。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」(新改訳マルコ4:38)少し前の通読箇所・詩篇44:23「起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか」滑稽なようだが、そんな祈りをしてもいいのだな

◆2月17日
マルコ6章。牢に入れられていた洗礼者ヨハネがヘロデに斬首されたのを聞いたヨハネの弟子達は、遺体を引き取りに行き、墓に納めた(29節)。悲惨な最期だが、彼はまだ弟子達に葬られた。主イエスの遺体を引き受けに行ったのは、アリマタヤ出身の議員ヨセフだった(マルコ15:43)。

◆2月18日
新改訳詩篇52篇。逃亡中のダビデの居所がエドム人ドエグによってサウルに告げられた時に、ダビデは「なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ」と詠った。NIVでは〈you mighty hero〉と呼びかけている。自分の敵とも言えそうな人間に〈ヒーロー〉とは…!イエスに通じる器の大きさのダビデ

◆2月20日
詩編55。敵が迫り恐れた詩人は「鳩の翼がわたしにあれば 飛び去って、宿を求め はるかに遠く逃れて 荒れ野で夜を過ごすことができるのに。烈しい風と嵐を避け 急いで身を隠すことができるのに」 と(7-9節)。荒れ野はNIVでdesert。砂漠に逃れたいと神に訴える程の恐怖は如何許りか

◆2月21日
マルコ10:35。ヤコブとヨハネがイエスに申し出た願い「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」は、NIVでは“Teacher, we want you to do for us whatever we ask.” お願いすることは何でもしてほしい、とは何と傲慢な…!と思ったが、こういう祈り結構してる。反省…

◆2月25日
新改訳詩篇61:4「…あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたい…」NIVでは〈I long to dwell in your tent forever and take refuge in the shelter of your wings.〉《tent》《refuge》《shelter》は仮の居所。だが、テント・避難所でも主の許にずっと居たい心は解る

◆2月26日
NIV詩編63:3〈Because your love is better than life, my lips will glorify you.〉日本語訳ではつるっと読み流してしまっていたが、英訳だと心に切り込んできた。主の愛は、確かに命・人生に勝ると、素直に頷ける。そのような慈しみを示して下さった主に感謝!
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探し続けて早…

2018年02月24日 16時40分07秒 | 季節にあわせて
求人のサイトのCookie示す歳三つに増えて誕生日は鬱
(とど)

2010年1月15日 作歌、2015年10月15日 改作。
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2/18【NHK短歌】入選歌(題:病気)

2018年02月20日 15時36分10秒 | 投稿歌
2月18日(日)午前6時より、Eテレで放送の【NHK短歌】で私の短歌が入選歌として紹介されました。
題は「病気(テーマ詠)」。選者は黒瀬珂瀾さんで、ゲストはデーモン閣下。司会は剣幸さんです。
(2015年12月18日 作歌)    


閣下「これは、前に検査して何年か経って来て下さいって言われて、さあどうなってるかなぁって緊迫のところなんだけれど、先生がなかなか何か言ってくれないって。これ多分うちに帰った後に印象に残ったことを歌に詠んだんでしょうけど、あの瞬間の、『ン"ッ!』って言う先生の、それが凄く印象に残っているっていう。人は面白いものが一番印象に残るんだなぁっていう切り口が面白いなと思いました」

黒瀬先生「そうですね。例えば癌の再検査について話をしたとかそういうことかもしれないなぁと思いました。普通ね、お医者さんの方が言うんだけれども、なかなかこういうことって上手く、そのまさにさっき言った息が合わないと、言い出せない、お互い言い出せない。そこで思い切って患者であるこっちから言ってみた。そしたら、何か、あ、ちょっと渡りに船だったかなぁ、みたいな感じで。ちょっとそこで一旦『ン"ッ』って言って、空気を変えて、医者として喋ろうという。そういう不思議な人間関係の呼吸みたいなものが出ていて」

閣下「結果がどうだったかは何も書いていないんですね」
黒瀬先生「そこがいい」
剣さん「咳払いが一番(笑)」
黒瀬先生「そこがいい」

*  *  *  *  *

テーマがテーマだけに重い内容の歌が多かった中で、ちょっと力の抜けた拙歌には閣下もコメントしやすかったようです。
黒瀬先生も、医師と私との微妙な間合いを的確に解釈してくださいました。私は当然このシチュエーションに居合わせていたけれど、主治医の心理はあまりよく分かっていなかったなぁ…と思いました。
長いこと人から自分の歌の批評や鑑賞を受けていなかったので、嬉しいひと時でした。
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一首鑑賞(54):本多峰子「従き行く力さえ無くしたのです」

2018年02月17日 16時14分08秒 | 一首鑑賞
自裁せしは背きしにあらず神よただ従(つ)き行く力さえ無くしたのです
本多峰子『ミカエルの秤』


 歌集『ミカエルの秤』には、イエスを裏切ったユダに思いを致す歌がいくつも見られる。掲出歌以外でイスカリオテのユダに直接言及した歌には、次のようなものがある。

  裏切りし己に耐えず縊れたるユダ 耐え耐えて生きたるペテロ
  「生まれざりせばよかりしものを」ユダよ汝はも創られし者
  年々にユダをあわれと思いきぬその愚かさもわがものなれば


 二首目の括弧内の引用は、マタイによる福音書26章24節のイエスの言葉である。最後の晩餐の場で、イエスは自分を裏切ろうとしている一人の弟子について「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と述べているのだ。これを字句通りに《その者はいなければ良かった》と取るのは早計であろう。イエスは裏切る者の末路に思いを馳せ、その者自身のために心から憐れんでいるのである。
 私は長いこと、ユダに対するこの主の言葉の真意を測りかねていた。天にいます神が私達に問うてくる義はそれほどまでに強堅で侵し難いものに思えたからだ。だから、掲出歌に出遭った時きっぱりした言いぶりに潔さを感じつつも、そう断言できるものだろうかと訝しむ気持ちが湧いてきたことは否めない。本多のこの歌に惹かれ、折々に思い起こして考えを巡らせながらも、私の中で判断は留保されたままだった。
 その疑念の雲が晴れたのはつい先日のこと。私は聖書通読の日課でマタイによる福音書27章を読んでいて、3〜7節がふと意識に引っかかってきた。
 そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代金だから、神殿の収入にするわけにはいかない」と言い、相談のうえ、その金で「陶器職人の畑」を買い、外国人の墓地にすることにした。
 私は20年以上この聖句を読んできて、ユダはただ捨て鉢になって神殿にイエスを売った銀貨を投げ入れたのだとばかり思い込んでいた。しかしユダは、イエス様を売って得たこのお金は、神にお返しするしかないと、《主よ、受け止めて…!!》という心の叫びを以って捧げたのではあるまいか。してみると、本多の歌は自身の見方の表明ではなく、ユダのための、またユダと同じような罪をおかした人達のための執り成しの祈りと言えないだろうか。
 悲しいことだが、自死を選ぶ人は後を絶たない。自ら口を封じて逝ってしまった彼の人々のために、せめて本多のこの歌に祈りを合わせる者でありたい。
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深閑と。

2018年02月15日 14時02分20秒 | 季節にあわせて
初雪の噂たつ宵 充血の眼に追うタイムラインはまばら
(とど)

2016年11月22日 作歌。
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【NHK短歌】で拙歌が放送されます!

2018年02月11日 15時38分19秒 | 投稿歌
2月18日(日)午前6時からEテレ(2チャンネル)で放送の【NHK短歌】で、私の歌が入選歌として紹介されます。
(再放送は2月20日(火)午後3時〜)
本名での投稿です。歌の中に「検査」の語が出てくる山梨の投稿者が私です。
大雪で大変なところ富山から東京まで収録にいらした選者の黒瀬珂瀾先生に感謝!
ゲストはデーモン閣下です。

よろしければご覧くださいませ。
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わかってないな…

2018年02月09日 17時06分29秒 | 持病に寄せて
喜びて無税を報せくる父はわが障害を「身体」と言う
(とど)

2012年8月20日 作歌、2018年2月9日 改訂。
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