水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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#通読 2019年4月分まとめ

2019年04月30日 06時20分30秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
◆4月15日
ヨハネ6章。僅かなパンと魚を増やす奇跡で満腹した人々はイエスを追い、尚も徴を求めた。NLT30節、“Show us a miraculous sign if you want us to believe in you. What can you do?”(もし貴方が私達に信じさせたいなら奇跡を見せよ。何ができる?)。殿様ぶりに驚くが、陥り易い態度

◆4月18日
ヨハネ9章。生来の盲人を主が癒した話。安息日の治癒にファリサイ派は侃侃諤諤となり、ついに「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようというのか」 と癒された当人を追い出す(34節)。傍目には高慢さが判るが、選ばれた者としての自負が生んだ発言。我が身を正したい。

◆4月18日
新改訳民数21章。エジプトから導き上ったモーセを責める民に、神は毒蛇を送った。厚かましくも「私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈ってください」 (7節)と言う民。モーセは民のため祈ったが、どんな気持ちだったろう

◆4月22日
ヨハネ12:26、新共同では「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え」と語調がきつめだが、新改訳では〈わたしについて来なさい〉。NLTでもobeyではなく、Twitter等でお馴染みの〈follow me〉。主に従うのは追いかけていくことから。見て倣ううちに仕える者とされる。

◆4月30日
ヨハネ17:5「…御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を」。NLTでは〈…bring me into the glory we shared before the world began.〉主が御許で神と分かち合っていた栄光へ招き入れて下さいという祈り。開かれた謙遜な祈りだ
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一首鑑賞(66):山上秋恵「バスタブに浮くアヒルが見てた」

2019年04月24日 10時22分20秒 | 一首鑑賞
ひとりきり風呂で涙を流したらバスタブに浮くアヒルが見てた
山上秋恵『オレンジの墓標』


 歌集からは、山上が周囲より辛い仕打ちを受けて成長してきたことがありありと伝わるのだが、掲出歌一首を読み解くには情報過多とも思えるのでそれはひとまず措く。心痛むことがあった日の終わりに、ひとり風呂に入ってさめざめと泣いた経験を持つ方は少なくないと思う。風呂場なら誰の気兼ねもなく思い切り泣ける。頰を伝う涙も湯気で覆い隠され、最終的にはシャワーで涙を洗い流して人心地つく——身に覚えのある人も多いはずだ。
 しかし、そのように遣りどころのない痛みを密室で押し潰してしまうことが常態化していたのだとしたら、それは息が詰まるような生活に違いない。山上も、こうして隠れた場所で泣いている私を誰も知らない……と虚しさに襲われた時、ふと湯船に浮かぶゴム製のアヒルのおもちゃと目が合ったと詠んだ。そしてそう思えたことで幾分救われる気持ちがしたのではないだろうか。
 私の話で恐縮だが、二十代の終わりに東京のBGM制作会社に勤務していた頃、仕事が忙しく残業と休日出勤はざらだった。日曜日にやっとの思いで礼拝へ行き、午後から会社へ行って仕事をしたある日のこと。顧客の某レストランのBGMサンプル用の選曲に苦心しながら、(ああ、辛いなぁ。こんなこと誰も見ていないんだよなぁ)と思い天井をふと見上げたら、私の席の上方に何とゴキブリがいたのだった。いつもなら大騒ぎするところだが、私は(ゴキブリが……見ていた……!!)と何故か励まされ、その後の作業はスムーズに進んだ。帰り際もう一度天井に目をやると、もうゴキブリはいなかった。
 「主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り 遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け わたしの道にことごとく通じておられる」で始まる詩編139編を愛誦しているクリスチャンはおそらく多いことだろう。同11節には、<わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す」>と続く。これを聞いて「まぁ、神様だって言うならね。遠くから見ているくらいするでしょうよ」と半ばひねた目で思う方もいるかもしれない。
 祭司長や律法学者に引き渡されたイエスを見捨てて逃げてしまったペトロだが、人目を憚りつつも距離をおいて後について行く。その過程でイエスの仲間だろうと問い質され、三度否認してしまう。ルカによる福音書22章61〜22節に<主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた>と書かれている。私は長いことこの聖句を読んで、振り返られたイエスは咎めるような、刺すような眼差しをしていたように捉えていた。だが最近、イエスを裏切ったことを後悔して号泣したペトロの涙も、イエス様はご覧になっていたのだなと思い至るようになった。その時のイエスの目はペトロを責めていただろうか?いや、きっと慈しみの眼差しだったのではと私は想像する。
 私達が「ひとりきり風呂で涙を流」すような時、ご在天の父なる神が遠くから見ているだけでなく、傍に立つ者としてのイエス様が私達の涙をご覧になっている——そう考えると抱えている重荷がいくらか軽くなるような気がするのだ。
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一首鑑賞(65):吉野昌夫「かぎりなく汝を愛すといふ言葉」

2019年04月01日 10時28分36秒 | 一首鑑賞
かぎりなく汝を愛すといふ言葉ある夜素直にわが妻は受く
吉野昌夫『遠き人近き人』


 歌集には下記の歌も見出せる。

  誰が読むと言ふにもあらずぼろぼろの聖書がありて埃つみたり
  妹にせがみて教会につきゆきし幼な子がアイスクリームを下げて帰り来る


 してみると、聖書や教会は吉野にとってわりあい身近な存在だったはずである。
 掲出歌の上の句は、端的にはエレミヤ書31章3節であろう。口語訳では「主は遠くから彼に現れた。わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに 真実をつくしてきた」とある。バビロンに捕囚として引かれて行った民の生き残りに、神が呼びかける言葉である。困窮の中、神の愛に満ちた聖句の数々に吉野の妻は折々慰められてきたに違いない。それらが「ある夜」真のものとして上述聖句に収斂されたのだろう。

  単純なる仕事繰り返す勤めなれど通ひ始めてより夜ごとよく眠るなり
  食ひぶちにも足らざるわれの俸給が喜びとなる母に渡りて


 「俸給」は国家公務員に支払われる給料のことで、吉野は農林省に勤めていたらしい。それでも糊口を凌ぐような暮らしぶりが歌から滲む。

  たのまれものの縫ひものなして妻が得しそのいくらかをわれも喜ぶ
  あやまるやうな前置をしてわれに見せるおなかのこどもに買つて置いた毛糸


 ルカによる福音書12章24節に「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる」という聖句がある。そう聞いて〈それは極論。人間は働かなきゃ食って行けないよ?〉という感想を持つかもしれない。しかし御言葉の現実味を傍証するため、卑近ながら私の経験を書く。
 2001年の発病まで、私は東京で身も心も削るようにして働いてきた。お蔭で、療養のために山梨へ移住後もしばらくは暮らしていけたが、年々預金残高は減っていった。N教会に転入会したのは、そんな2007年のクリスマス礼拝の日。現住陪餐会員になるに当たって牧師先生に二回ほど学びの時間を取っていただき、献金について説明も受けた。月定献金として何人の教会員がいくら納めているかという一覧表を見せられ、「特に縛りはありません」と言われたものの、最低額の場合でも月1000円は納めていることに目を瞠った。当時の私は無収入。信仰が試されたが、神の国と神の義を第一にという聖句(マタイによる福音書6章33節)に勇気を振り絞り、「神様、守って下さい!」と必死な気持ちで1000円の月定献金を決めた。次年度より精神障害者のための作業所に通うようになったが、時給は100円程度。工賃が月額5000円に届かない時もあり、月定献金のハードルは依然高かった。生命保険料や国民年金保険料、インターネットのプロバイダ料金は容赦なく銀行口座から差し引かれていくわけだから、徐々に生活が汲々としてきた。作業所に通い始めて二年目の後半は、自分の本来の口座の残額は限りなく0に近く、当時は100円に満たない小銭が財布に残った時でも、逐一自分の口座に預け入れする状況だった。今は亡き父の食道癌が発見されたのはそんな矢先。入院に際し父は勝手に私の名を保証人欄に書き印鑑を捺していた。私は内心「神様、助けて!」と叫んだ。でも、神様の御手は私を包んで下さっていた。その翌日に私の障害者手帳の二級を認める通知が届き、私の医療費は以降全て免除されるようになった。また翌春、精神障害者の社会適応訓練という制度による半就労が決まり、時給を1000円も貰えるようになった。一年後、障害年金も支給が認められた——。
 吉野の妻もまた、逼迫した生活の中でも生きながらえている不思議を思い、自分達を守る神の臨在を感じ取ったのだろう。
 前掲のルカによる福音書12章24節は、過日の聖書通読で深い学びができた箇所だ。同様の記述がマタイによる福音書6章26節にもあるが、こちらは「烏」ではなく「鳥」である。私は改めて「」である意味に思いを馳せ、はたと列王記上17章の記述を思い出した。主は預言者エリヤに「ここを去り、東に向かい、ヨルダンの東にあるケリトの川のほとりに身を隠せ。その川の水を飲むがよい。わたしはに命じて、そこであなたを養わせる」(3〜4節)と仰った。数年の間、露も降りず雨も降らないであろうと神のお告げがあってすぐのことだ。エリヤに不安がなかったと言ったら嘘になろう。聖句にあるように烏は種も蒔かず刈り入れもしないのだから。だがエリヤは御言葉に従い、ケリト川畔へ赴いた。すると数羽の烏が、朝にパンと肉を、夕べにパンと肉を運んで来た(6節)という。
 荒唐無稽すぎる、とあなたは思うだろうか。けれど、自力で食い扶持を稼いでいるとはおよそ言い難い私が生かされ、教会において幾らかの役割を与えられているのを見れば、聖書が現実離れした奇跡を並べ立てている珍奇な書物とは言えない気がする。エリヤという預言者にも養ってくれる烏が必要だったし、自ら稼げぬ烏もエリヤを養うよう任じられたのだから。
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