◆5月27日
私は英語を殆ど話せない(聞き取れない)割に、英語の文法で考え行動してきた。それもあって「何をどうするか」が大事で、「時間」「場所」や「新しいか古いか」なんて二義的なことと捉えて生きてきた。だから、後者を尊ぶ人が多い中では風当たりも強かったし、目的語を人から聞き出してそれに飛びつき、やってみて上手く行かなかったら、その事柄(目的語)を言った人のせいにする無責任な人達が多数の日本社会では、言質取られまくって、会社勤めでは上司や他部署の年配社員からも、仕事が上手く行かないのは私のせいにされてきた(結果的に精神病を発病した)。
神様って旧約の時代、特にモーセ五書の時代は、それこそ「何をどうするか」徹底的にご指示されてたんだな、と今日の通読のヨシュア記1章7〜8節を読んで、改めて思った。
* * *
(以下、新改訳第三版の引用)
ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
↓ ↓ ↓
右にも左にも逸れるな……って凄い束縛じゃん!という感じがしなくもないが、まぁ神様は我が子可愛さで、民が痛い目見ないように丁寧に教えて下さってたんだろうな、と思う。「何をどうする」は施行細則を守んないと罰する、とかいうのが真意でなく、何をしたら良いか分からない人が多数いるであろうこともご存知だったんだろう。でも神様の真意が解らない民が、(これさえやってりゃOK)と誇って、できぬ他人を裁くのに律法を使ったり、あまりにも膨大なTo Do リストに逆ギレして悪行に走ったり、または自分の無力さに打ちひしがれたり……で、結果的に幸いになれぬ民が続出した。それで、神様は時に応じて預言者を立てられたり、最終的には御子を世にお遣わしになった。誰かに言葉で「何をやれ」と言われたとして、たとえ行いたい気持ちがあったとしても、それを生活の中にどう組み込んでいったら良いのかって、近くで見なきゃ分からないことって結構あるもんね。
◆5月31日
引用ツイート(5月27日の黙想)の私の傾向は、ともすると昔語りに陥り易い可能性も。神様から心が離れてると、「私は■をやった」という高慢にも、「誰々が私に▲をした」という被害妄想にも繫がり兼ねない。数字や〈新しいか古いか〉に意識が向き易い方は、そういう昔語りの人を見て、簡単に「昔のことでしょ」と裁くが、ジャッジされることで治るならとっくに治ってるわよ、と私などは思っちゃう。
↓ ↓ ↓
<新共同訳 ヨハネによる福音書5章2-9節>
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
* * *
母教会の牧師はスパルタなノリが強く、助けてくれる人がいないと言った38年臥せってた病人に対し、イエスが「言い訳するな!甘えるな!」的に仰ったような説明をしてて、長らく私にとってこの聖句は躓きだった。でもイエスは裁いたんじゃなく、具体的に何をどうするか仰って、御言葉の力で支えたんじゃないかな、と思う。そしてイエスは、現状を自力では変えられない本人の訴え・こぼす言葉を封じることもなさらなかったのだな。
私は英語を殆ど話せない(聞き取れない)割に、英語の文法で考え行動してきた。それもあって「何をどうするか」が大事で、「時間」「場所」や「新しいか古いか」なんて二義的なことと捉えて生きてきた。だから、後者を尊ぶ人が多い中では風当たりも強かったし、目的語を人から聞き出してそれに飛びつき、やってみて上手く行かなかったら、その事柄(目的語)を言った人のせいにする無責任な人達が多数の日本社会では、言質取られまくって、会社勤めでは上司や他部署の年配社員からも、仕事が上手く行かないのは私のせいにされてきた(結果的に精神病を発病した)。
神様って旧約の時代、特にモーセ五書の時代は、それこそ「何をどうするか」徹底的にご指示されてたんだな、と今日の通読のヨシュア記1章7〜8節を読んで、改めて思った。
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(以下、新改訳第三版の引用)
ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。
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右にも左にも逸れるな……って凄い束縛じゃん!という感じがしなくもないが、まぁ神様は我が子可愛さで、民が痛い目見ないように丁寧に教えて下さってたんだろうな、と思う。「何をどうする」は施行細則を守んないと罰する、とかいうのが真意でなく、何をしたら良いか分からない人が多数いるであろうこともご存知だったんだろう。でも神様の真意が解らない民が、(これさえやってりゃOK)と誇って、できぬ他人を裁くのに律法を使ったり、あまりにも膨大なTo Do リストに逆ギレして悪行に走ったり、または自分の無力さに打ちひしがれたり……で、結果的に幸いになれぬ民が続出した。それで、神様は時に応じて預言者を立てられたり、最終的には御子を世にお遣わしになった。誰かに言葉で「何をやれ」と言われたとして、たとえ行いたい気持ちがあったとしても、それを生活の中にどう組み込んでいったら良いのかって、近くで見なきゃ分からないことって結構あるもんね。
◆5月31日
引用ツイート(5月27日の黙想)の私の傾向は、ともすると昔語りに陥り易い可能性も。神様から心が離れてると、「私は■をやった」という高慢にも、「誰々が私に▲をした」という被害妄想にも繫がり兼ねない。数字や〈新しいか古いか〉に意識が向き易い方は、そういう昔語りの人を見て、簡単に「昔のことでしょ」と裁くが、ジャッジされることで治るならとっくに治ってるわよ、と私などは思っちゃう。
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<新共同訳 ヨハネによる福音書5章2-9節>
エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。彼らは、水が動くのを待っていた。それは、主の使いがときどき池に降りて来て、水が動くことがあり、水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
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母教会の牧師はスパルタなノリが強く、助けてくれる人がいないと言った38年臥せってた病人に対し、イエスが「言い訳するな!甘えるな!」的に仰ったような説明をしてて、長らく私にとってこの聖句は躓きだった。でもイエスは裁いたんじゃなく、具体的に何をどうするか仰って、御言葉の力で支えたんじゃないかな、と思う。そしてイエスは、現状を自力では変えられない本人の訴え・こぼす言葉を封じることもなさらなかったのだな。
一時間手持ちぶさたになったのでマイアルバムと聖句を睨む
(とど)
2022年5月29日 作歌。
*上句はお題
(とど)
2022年5月29日 作歌。
*上句はお題
星仰ぐたびにヴィジョンを想起する 同じ夜景を君も見ている
(とど)
*創世記15章5〜6節
2023年5月8日 作歌。
※下句はお題
(とど)
*創世記15章5〜6節
2023年5月8日 作歌。
※下句はお題
竹立て掛けたかったの〈掛け〉が欠けていたテキストをかく駆け足に読む
(とど)
2015年5月28日 作歌。
(とど)
2015年5月28日 作歌。
会堂へ漂着したるうつし身へ溶けなんとして白きオスチア
年齢を重ねなければ分からないことがある。例えば、足元や首周りといった身体の冷えなどがそうだ。「寒い、寒い」を連発する母などを見ていて、私は随分長いこと冷やかかに見ていたものだな、と今は少し恥ずかしくなる。
私は10年前に車を持つまでは、片道25分ほど歩いて教会へ通っていた。もちろん当時としてもやや億劫な気持ちが無いわけでもなかったが、今考えればそれなりに健康だったのだなと判る。桜木由香の『連禱』は、これまで幾度となく開いてきた歌集だが、改めて掲出歌を見て「会堂へ漂着したるうつし身」という表現に釘付けになった。ミサ(礼拝)に行きたいと願いつつも、身体がなかなか思うように動いてくれない、ミサへ行くことさえも祈りに祈って……ようやくの思いで教会に辿り着けた実感が如実に現れていると思う。
「オスチア」とはミサで信徒に与える聖体であり「ホスチア」とも言う。イースト菌が入っていない円形の薄い煎餅様のパンで、コロナウイルスの感染予防の観点から聖餐式が行えなくなったプロテスタント教会の中には、聖餐式の再開に当たっての試行錯誤でホスチアを採り入れたところもあったと聞く。噛まずとも溶けてしまうパンのようで、御ミサに与りに行った身には呆気ないほど淡い食感であったのかとも推察する。
ルカによる福音書24章13節からは、主イエスが復活なされた噂を訝しみながらエマオ途上にあった二人の弟子に、いつの間にやらイエスご自身が共に歩き、二人の会話に加わるという場面が描かれている。道々イエスが説き明かした聖書の言葉が生き生きとしていたのだろう、日も暮れ方になったのに先へ行こうとするイエスに、弟子二人が一緒にお泊まりくださいと願う。30〜32節には〈一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った〉と書いてある。桜木の一首には、主に触れたその瞬間にイエスが消えてしまって呆然とする二人の弟子の姿が見えてくるかのようである。
ヨハネによる福音書13章からは、最後の晩餐におけるイエスや弟子の言動が実に5章に亘って詳述されている。ヨハネによる福音書16章では、イエスが去っていく代わりに聖霊が送られることが語られている。どうも主は私達のもとを去るらしい……と悟り悲しみに満たされている弟子達に、イエスは「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(7節)と語り、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(13節)とも仰られた。
オスチア、あるいは聖餐のパンは、儚く溶けてしまうようなものかもしれない。私自身も、聖餐式に与りながら(これが主の御身体なんだ……!)と自らを振起させつつも、何だか以前と変わらぬ罪深い私のままで、パンやぶどう液があっという間に喉を通過していってしまうことを何度も経験してきた。けれども、イエスは図らずも「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」(ヨハネによる福音書16章12節)と仰せになった。
毎週の礼拝で聴く解き明かしで、また日々の聖書の黙想で、わかったような解らないような……という気分になるのは日常であり、それが私達である。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネによる福音書14章26節)と主は述べられた。 その御言葉を信じ、イエスに連なる者であり続けたい。
桜木由香『連禱』
年齢を重ねなければ分からないことがある。例えば、足元や首周りといった身体の冷えなどがそうだ。「寒い、寒い」を連発する母などを見ていて、私は随分長いこと冷やかかに見ていたものだな、と今は少し恥ずかしくなる。
私は10年前に車を持つまでは、片道25分ほど歩いて教会へ通っていた。もちろん当時としてもやや億劫な気持ちが無いわけでもなかったが、今考えればそれなりに健康だったのだなと判る。桜木由香の『連禱』は、これまで幾度となく開いてきた歌集だが、改めて掲出歌を見て「会堂へ漂着したるうつし身」という表現に釘付けになった。ミサ(礼拝)に行きたいと願いつつも、身体がなかなか思うように動いてくれない、ミサへ行くことさえも祈りに祈って……ようやくの思いで教会に辿り着けた実感が如実に現れていると思う。
「オスチア」とはミサで信徒に与える聖体であり「ホスチア」とも言う。イースト菌が入っていない円形の薄い煎餅様のパンで、コロナウイルスの感染予防の観点から聖餐式が行えなくなったプロテスタント教会の中には、聖餐式の再開に当たっての試行錯誤でホスチアを採り入れたところもあったと聞く。噛まずとも溶けてしまうパンのようで、御ミサに与りに行った身には呆気ないほど淡い食感であったのかとも推察する。
ルカによる福音書24章13節からは、主イエスが復活なされた噂を訝しみながらエマオ途上にあった二人の弟子に、いつの間にやらイエスご自身が共に歩き、二人の会話に加わるという場面が描かれている。道々イエスが説き明かした聖書の言葉が生き生きとしていたのだろう、日も暮れ方になったのに先へ行こうとするイエスに、弟子二人が一緒にお泊まりくださいと願う。30〜32節には〈一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った〉と書いてある。桜木の一首には、主に触れたその瞬間にイエスが消えてしまって呆然とする二人の弟子の姿が見えてくるかのようである。
ヨハネによる福音書13章からは、最後の晩餐におけるイエスや弟子の言動が実に5章に亘って詳述されている。ヨハネによる福音書16章では、イエスが去っていく代わりに聖霊が送られることが語られている。どうも主は私達のもとを去るらしい……と悟り悲しみに満たされている弟子達に、イエスは「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る」(7節)と語り、「その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである」(13節)とも仰られた。
オスチア、あるいは聖餐のパンは、儚く溶けてしまうようなものかもしれない。私自身も、聖餐式に与りながら(これが主の御身体なんだ……!)と自らを振起させつつも、何だか以前と変わらぬ罪深い私のままで、パンやぶどう液があっという間に喉を通過していってしまうことを何度も経験してきた。けれども、イエスは図らずも「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない」(ヨハネによる福音書16章12節)と仰せになった。
毎週の礼拝で聴く解き明かしで、また日々の聖書の黙想で、わかったような解らないような……という気分になるのは日常であり、それが私達である。「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネによる福音書14章26節)と主は述べられた。 その御言葉を信じ、イエスに連なる者であり続けたい。