今年はずいぶんお医者さんに行くこととなりました。
半年かけて、ようやく知った良いスポーツ整形外科医の存在。
これが必要になったのは、波瀾万丈とまではいいませんが、
長い紆余曲折がありました。
マスターズ陸上に参加して3年、今年はM45に入る
最初の年ですから、年代最年少。少しづつ老いる身にとっては
高順位をねらえる最大のチャンスです。
そんな訳で、3月の東京マラソンが終わった後、
ほとんど翌日から短距離と跳躍の練習を始めました。
それはもちろん、東京マラソンが36キロ以降をほとんど歩いて
ゴールをしたために、体へのダメージが食い入るほどではなかった
という理由が大きいのですが、とにもかくにも直ぐにスピードと
瞬発力向上に練習を切り替え、主に赤い筋肉を太くするように
努めました。
できちゃったから練習する、といういわば為すがまま。
順を踏んでいるつもりでも、ややオーバー気味に力を加え、
スポーツマッサージのトレーナーに「練習をずいぶんやってますね。
筋肉や腱が固くなってますからもっとストレッチしてください」
と言われても、後半は都合良く聞き流し、前半の練習をたくさんやってる
=頑張ってる自分 と解釈してケアを不十分なまま5月からの
競技会シーズンに入ったのでした。
練習メモを見ると、早くも6月下旬には「左膝 外側に痛み」とあります。
そして7月末には、参加予定だった府中市陸上競技選手権を
膝痛のために欠場し、渋谷のKクリニックにかかっています。
慶応大学医学部出身で、家からもバス一本という便利さもあり
HPから選んだのですが、レントゲン撮った後の診断は
”骨に異常はないから 腱か靱帯の炎症でしょう”と言われ、
動くなら練習しても良しとのことで、湿布を渡され、低周波を流され
放り出されたのでした。
こんな険がある書き方をするのは、もちろんこの診断もこの薬も
運動を続ける人には不向きで、不十分な見立てだったからです。
そんなことが分かるようになるのは、ずいぶん先ですが。
1週間ほど休んで、動けるようにはなりました。
ただ、膝を曲げて力を加えるスタートダッシュなどは、
痛みのため、ソロソロとしか動きません。
瞬発力の最大の見せ場ができず、体が起きて膝を伸ばして
スピードに乗るまではつらいままです。
そんな体の不満足なレスポンスにいらいらしながら、
8月の霧ヶ峰合宿へ。痛みを抱えたまま、中押しのチューブ利用系
パワートレーニングを、コーチのS氏から与えられ、
秋の全日本までは何とか回復したいとしゃにむにゴムでウェイトを引っ張り、
ますます膝周りの炎症は消えがたいものになっていくのでありました。
このあたりになると、毎日練習に没頭して思考力が麻痺するのでしょうね。
麻痺はついでに炎症にも及ぶようで、痛みがありながら、なんとか
走り始めれば走れてしまうのです。
妙な転換点は、8月中旬の埼玉マスターズでした。
アップ中にスパイクを引っかけ転倒、左手首を負傷し、
帰宅後も痛みがひどいため、救急診療をやっている、代々木のJ病院に
向かったのでした。
それが何の転換点かというと、要は整形外科にもいろいろあるなという
ことを知った、ということでしょう。
その医者は「転倒するとこの手首の三角型の腱が捻挫するんだよ。
ほらどうですか」と言って手首をねじり、痛がる私を見て
ほらやっぱりと笑うのです。
腱の傷はレントゲンでは映りません。つまり、骨折などでは無い
捻挫は、動き方の角度や痛みの感じ具合で判断するしかないのです。
思い出せば、それまで行っていたKクリニックの先生は、
人の体にほとんど触らないのです。
いや、膝のことも他の医者に診断し直してもらったほうがいいかな。
セカンドオピニオンというのも常識になってるし。
そう思い始めつつも、目指す全日本マスターズまでは3週間。
仕事も重なり、なかなか医者に行く時間もありません。
練習はつづけ、痛みはひどくなり、気持ちは焦り。
休みの日に砂場の使える競技場に行って、幅跳びをすると、
ますます悪くなり。
今思い起こせば、よくもまあ続けていたものだと。
結局、全日本前にはこれまでのKクリニックに行き、
膝に痛み止めの注射を打ってもらい、これがまた1時間も効かず、
じゃあということでMRIをとってもらうも”異常なし”との見立てで
あきらめの境地に向かわされたまま、
試合前一週間はJOGしかしないという、温存療法のようなごまかし方で、
名古屋の全日本マスターズ陸上選手権を迎えたのでした。
さて、この大会でさらなる医者にまつわる転機を迎えます。
火事場の馬鹿力でもないのですが、運良く銀メダルを頂けることに
なったため、表彰の待機場所にすわっていたところ、同席した
3位のM氏が足の痛みについて話し始めました。
筋肉の構成や腱の名前をすらすらと話す上、薬の名前にも詳しいため
どうしてそれほどよく知っているのかとうかがったところ、
「ドクターです」というお返事。同じ幅跳びをやるドクターですから、
厚かましいのを承知で自分の膝の痛みを相談すると、直ぐに触診して
くださり、2頭筋の停止部かな?ここはよく見逃すし。ジャンパーには
多い負傷場所ですとおっしゃる。時間はかかるけれど、ケアして
ボルタレンを塗ることを勧められました。そして、必ず温めること、とも。
帰宅後、直ぐに薬局に走り、お風呂も頻繁に通うようにしました。
そんな出会いがあったため、ようやくセカンドオピニオンを
求める気になりました。
整形外科の検索に、スポーツというキーワードを加えて見つけたのが、
渋谷のSクリニック。書き込みでは、先生が親切丁寧に説明して
くれるとのこと。
全国大会の後、東京マスターズと全日本混成競技選手権を戦った後に
門を叩きました。
診察をしてくれた先生は、確かによく話してくれます。
説明も、写真入り医学書のページを繰って、わかりやすさを
心がけているようです。
若干?だったのは、治療法についてもその本の記述を読み上げる
所なのですが・・・・
でもそれ以上に意外な所を攻められました。
「手首の骨、折れてるよ」確かに変だとは思ってました。
救急で診察に行ったJ病院では、最初2週間くらいの治療期間だと言い、
その後3週間くらいといわれ、いつの間にか6週間が経っていました。
それでも痛みが残り、手首の可動域も制限されていました。
折れているというなら、納得はできなくても理解はできます。
という訳で手首はギプス生活。
そして膝の診断は。「ジャンパー膝。外側副靱帯の異常でしょう」
ということで、サポーターをつけ、しばらくは膝をできるだけ
動かさないという保存療法を指示されたのでした。
もちろん、低周波付き・・・・街の整形外科のはやりなのでしょうかね。
ただ、この先生も、手首は触ってくれるのですが、
膝はレントゲンを撮る他は、患部にふれたり動かしたりはしてくれません。
とはいえ、具体的な診断も下され、さらに3週間後の診察で
前の病院でMRIを撮影したことを告げると、それを見せるように言われ
ました。そうかこれがセカンドオピニオンだ!と妙に興奮しつつ
持ち込んだところ「ほら、ここ。影があるでしょう。外側副靱帯が断裂してる。
結構大きいよ。完全断裂の一歩手前」
うう、ショック。そんなにひどいとは。靱帯って、ひどい損傷だと
プロは手術受け手くっつけたりしてますから。
そんな少ない知識を頭に巡らせている私に、先生はいとも簡単に
「もうあんまり運動しない方がいいんじゃない。年なんだから、
無理しない方が長持ちするよ」
そう言われて、この先生も前の先生も、私が体をどうしたいのかについては
何も聞いてこないことに気づいたのでした。
ああ、甘い。
私は医者の探し方が!!
ここで立ち上がってくれたのは、なんとふさおまきメスでした。
整形外科で、スポーツ整形で膝の知識や診断経歴が豊富な病院を探し始めてくれたのです。
見つかったのは、千葉市と八王子市、そして明大前。
スポーツ整形を専門にして、病院としての看板に掲げています。
膝についても、外側副靱帯、内側副靱帯、前十字靱帯などと
治療法の詳細な記述があります。
千葉と八王子は、MRIなども独自に備え、医師数も豊富なようですが
いかんせん遠い。
なぜ近くなければならないかというと、スポーツ整形で大事なのは
診断の上で実施される、理学療法・運動療法だからということが、
両病院のHPを見ていて分かったからです。
運動療法に通える距離。
ということで、明大前のクリニックへ11月7日の土曜日に向かい、
私の膝の、回復への朗報がようやく届くこととなるのでした。
ここまで長々。
どんな診断と療法かは、次回。
半年かけて、ようやく知った良いスポーツ整形外科医の存在。
これが必要になったのは、波瀾万丈とまではいいませんが、
長い紆余曲折がありました。
マスターズ陸上に参加して3年、今年はM45に入る
最初の年ですから、年代最年少。少しづつ老いる身にとっては
高順位をねらえる最大のチャンスです。
そんな訳で、3月の東京マラソンが終わった後、
ほとんど翌日から短距離と跳躍の練習を始めました。
それはもちろん、東京マラソンが36キロ以降をほとんど歩いて
ゴールをしたために、体へのダメージが食い入るほどではなかった
という理由が大きいのですが、とにもかくにも直ぐにスピードと
瞬発力向上に練習を切り替え、主に赤い筋肉を太くするように
努めました。
できちゃったから練習する、といういわば為すがまま。
順を踏んでいるつもりでも、ややオーバー気味に力を加え、
スポーツマッサージのトレーナーに「練習をずいぶんやってますね。
筋肉や腱が固くなってますからもっとストレッチしてください」
と言われても、後半は都合良く聞き流し、前半の練習をたくさんやってる
=頑張ってる自分 と解釈してケアを不十分なまま5月からの
競技会シーズンに入ったのでした。
練習メモを見ると、早くも6月下旬には「左膝 外側に痛み」とあります。
そして7月末には、参加予定だった府中市陸上競技選手権を
膝痛のために欠場し、渋谷のKクリニックにかかっています。
慶応大学医学部出身で、家からもバス一本という便利さもあり
HPから選んだのですが、レントゲン撮った後の診断は
”骨に異常はないから 腱か靱帯の炎症でしょう”と言われ、
動くなら練習しても良しとのことで、湿布を渡され、低周波を流され
放り出されたのでした。
こんな険がある書き方をするのは、もちろんこの診断もこの薬も
運動を続ける人には不向きで、不十分な見立てだったからです。
そんなことが分かるようになるのは、ずいぶん先ですが。
1週間ほど休んで、動けるようにはなりました。
ただ、膝を曲げて力を加えるスタートダッシュなどは、
痛みのため、ソロソロとしか動きません。
瞬発力の最大の見せ場ができず、体が起きて膝を伸ばして
スピードに乗るまではつらいままです。
そんな体の不満足なレスポンスにいらいらしながら、
8月の霧ヶ峰合宿へ。痛みを抱えたまま、中押しのチューブ利用系
パワートレーニングを、コーチのS氏から与えられ、
秋の全日本までは何とか回復したいとしゃにむにゴムでウェイトを引っ張り、
ますます膝周りの炎症は消えがたいものになっていくのでありました。
このあたりになると、毎日練習に没頭して思考力が麻痺するのでしょうね。
麻痺はついでに炎症にも及ぶようで、痛みがありながら、なんとか
走り始めれば走れてしまうのです。
妙な転換点は、8月中旬の埼玉マスターズでした。
アップ中にスパイクを引っかけ転倒、左手首を負傷し、
帰宅後も痛みがひどいため、救急診療をやっている、代々木のJ病院に
向かったのでした。
それが何の転換点かというと、要は整形外科にもいろいろあるなという
ことを知った、ということでしょう。
その医者は「転倒するとこの手首の三角型の腱が捻挫するんだよ。
ほらどうですか」と言って手首をねじり、痛がる私を見て
ほらやっぱりと笑うのです。
腱の傷はレントゲンでは映りません。つまり、骨折などでは無い
捻挫は、動き方の角度や痛みの感じ具合で判断するしかないのです。
思い出せば、それまで行っていたKクリニックの先生は、
人の体にほとんど触らないのです。
いや、膝のことも他の医者に診断し直してもらったほうがいいかな。
セカンドオピニオンというのも常識になってるし。
そう思い始めつつも、目指す全日本マスターズまでは3週間。
仕事も重なり、なかなか医者に行く時間もありません。
練習はつづけ、痛みはひどくなり、気持ちは焦り。
休みの日に砂場の使える競技場に行って、幅跳びをすると、
ますます悪くなり。
今思い起こせば、よくもまあ続けていたものだと。
結局、全日本前にはこれまでのKクリニックに行き、
膝に痛み止めの注射を打ってもらい、これがまた1時間も効かず、
じゃあということでMRIをとってもらうも”異常なし”との見立てで
あきらめの境地に向かわされたまま、
試合前一週間はJOGしかしないという、温存療法のようなごまかし方で、
名古屋の全日本マスターズ陸上選手権を迎えたのでした。
さて、この大会でさらなる医者にまつわる転機を迎えます。
火事場の馬鹿力でもないのですが、運良く銀メダルを頂けることに
なったため、表彰の待機場所にすわっていたところ、同席した
3位のM氏が足の痛みについて話し始めました。
筋肉の構成や腱の名前をすらすらと話す上、薬の名前にも詳しいため
どうしてそれほどよく知っているのかとうかがったところ、
「ドクターです」というお返事。同じ幅跳びをやるドクターですから、
厚かましいのを承知で自分の膝の痛みを相談すると、直ぐに触診して
くださり、2頭筋の停止部かな?ここはよく見逃すし。ジャンパーには
多い負傷場所ですとおっしゃる。時間はかかるけれど、ケアして
ボルタレンを塗ることを勧められました。そして、必ず温めること、とも。
帰宅後、直ぐに薬局に走り、お風呂も頻繁に通うようにしました。
そんな出会いがあったため、ようやくセカンドオピニオンを
求める気になりました。
整形外科の検索に、スポーツというキーワードを加えて見つけたのが、
渋谷のSクリニック。書き込みでは、先生が親切丁寧に説明して
くれるとのこと。
全国大会の後、東京マスターズと全日本混成競技選手権を戦った後に
門を叩きました。
診察をしてくれた先生は、確かによく話してくれます。
説明も、写真入り医学書のページを繰って、わかりやすさを
心がけているようです。
若干?だったのは、治療法についてもその本の記述を読み上げる
所なのですが・・・・
でもそれ以上に意外な所を攻められました。
「手首の骨、折れてるよ」確かに変だとは思ってました。
救急で診察に行ったJ病院では、最初2週間くらいの治療期間だと言い、
その後3週間くらいといわれ、いつの間にか6週間が経っていました。
それでも痛みが残り、手首の可動域も制限されていました。
折れているというなら、納得はできなくても理解はできます。
という訳で手首はギプス生活。
そして膝の診断は。「ジャンパー膝。外側副靱帯の異常でしょう」
ということで、サポーターをつけ、しばらくは膝をできるだけ
動かさないという保存療法を指示されたのでした。
もちろん、低周波付き・・・・街の整形外科のはやりなのでしょうかね。
ただ、この先生も、手首は触ってくれるのですが、
膝はレントゲンを撮る他は、患部にふれたり動かしたりはしてくれません。
とはいえ、具体的な診断も下され、さらに3週間後の診察で
前の病院でMRIを撮影したことを告げると、それを見せるように言われ
ました。そうかこれがセカンドオピニオンだ!と妙に興奮しつつ
持ち込んだところ「ほら、ここ。影があるでしょう。外側副靱帯が断裂してる。
結構大きいよ。完全断裂の一歩手前」
うう、ショック。そんなにひどいとは。靱帯って、ひどい損傷だと
プロは手術受け手くっつけたりしてますから。
そんな少ない知識を頭に巡らせている私に、先生はいとも簡単に
「もうあんまり運動しない方がいいんじゃない。年なんだから、
無理しない方が長持ちするよ」
そう言われて、この先生も前の先生も、私が体をどうしたいのかについては
何も聞いてこないことに気づいたのでした。
ああ、甘い。
私は医者の探し方が!!
ここで立ち上がってくれたのは、なんとふさおまきメスでした。
整形外科で、スポーツ整形で膝の知識や診断経歴が豊富な病院を探し始めてくれたのです。
見つかったのは、千葉市と八王子市、そして明大前。
スポーツ整形を専門にして、病院としての看板に掲げています。
膝についても、外側副靱帯、内側副靱帯、前十字靱帯などと
治療法の詳細な記述があります。
千葉と八王子は、MRIなども独自に備え、医師数も豊富なようですが
いかんせん遠い。
なぜ近くなければならないかというと、スポーツ整形で大事なのは
診断の上で実施される、理学療法・運動療法だからということが、
両病院のHPを見ていて分かったからです。
運動療法に通える距離。
ということで、明大前のクリニックへ11月7日の土曜日に向かい、
私の膝の、回復への朗報がようやく届くこととなるのでした。
ここまで長々。
どんな診断と療法かは、次回。