旅のデザインは、行きたいポイントが絞られているときは簡単ですが、
迷うとなかなかまとめにくい。
今日は洛北エリアに出没、って何かの番組のまんまだな。
今出川新町~バスで出町柳に出て、叡山鉄道に乗車、修学院から鞍馬と路線を分けて叡山側の八瀬へ向かいます。
札幌は車で15分も走ればすぐに大自然という土地ですが、京都だって叡電に20分乗れば、山の懐に入り渓谷が目前です。
山の辺散歩で、今日の遠足はスタートしました。
濡れた落ち葉踏みしめながら、どこかひんやりとした山道を行きます。最初に目指した、壬申の乱で矢傷を負った大天の皇子が治療に当たって以来安らぎの地として位置づけられた瑠璃光院は年末のため扉を閉ざし、ガイドブックには出ていないお蔭神社という山中に突如として現れる社に立ち寄り、赤山禅院にうかがいます。こちら赤山禅院さんの印象は、一言『めでたい』!
このサイズでは見えませんが、屋根の頂上にちょこんと座っている像が有ります。ましら、つまりお猿さんです。
綺麗に彩られて笑っているようです。
そんな外見だけではなく、参道には直径二メートルを越える数珠があって、その輪をくぐり抜けて神前に進んだり、神域の山中のあちこちに分社があって、弁財天、お狐さん、福禄寿にいくつもの大明神がおわします。中でも夫婦仲良くを願う相生宮では、念入りに頭を下げました。今日はそれほど参拝客は多くありませんでしたが、年末年始はかなりの人が来るようで、沢山の席を用意されていました。正直今日まで赤山禅院さんのお名前も存じ上げませんでしたが(彼女は一度来たかったと申しておりました)、流石に京都とうなります。
続いては、修学院の里山を見渡しながら、少しずつ高度を下げて『曼殊院門跡』へ。八世紀伝教大師草創以来という、特に江戸期になって建築に意匠を凝らした、桂離宮との関連も深い、時代を代表する書院建築だと言います。
建物の中にも入れていただけるので、重要文化財を体感します。一つの違和感もぶれもない、確かにここにあり、確かに私はここにいる、と思える心地よさは、人が暮らすために丁寧に作り込まれた、門跡の建物だからでしょう。
縁側に座ってしばし庭を見つめる時間が素敵です。
洛外巡りに浸ると、昼はとっくの昔に過ぎていました。
昼ご飯を迷いつつ、今晩は五時半に予約しているので、我慢。
修学院駅傍の双鳩堂さんで大福を一つ頂き二人で分け、出町柳まで戻って名曲喫茶『柳月堂』さんでコーヒーにオペラを頂き、疲れを癒やします。
次に目指すは西、北野天満宮です。
昨年も訪ねたのですが、夜になってしまいタイムアウト、厚い門に閉ざされ中に入れなかったので再訪問となりました。学問の神を祀るあまりにも有名な天神さんでは、ただただ学業成就を願って頭を深く深く下げるのみです。
そろそろ日が深く傾いて来ました。
でもご飯まではまだ一時間有ります。そんな時でも、次に行く名刹が有るのが京都、そしてそんな場所をパッと思い出せるのが彼女の大したところです。ありがたく後に続きます。
講堂前の松が建物を隠すほどの、国宝、千本釈迦堂です。
仏の場所として威容を見せつける建築物は、見上げるほどに立派です。本堂は約800年前、1223年着工、1227上棟で、応仁の乱でも焼け残った、この京都でも最古の国宝建築物とあります。
中にも入れて頂き合掌、『おかめの物語』という、こちらの造営を内助の功で支えた棟梁の妻、おかめさんの話は初耳でした。
宝物蔵には快慶作十大弟子像、定慶作の六観音像がずらりと並び、閉館まで10分しかないのが惜しまれるばかりでした。
またゆっくり時間をかけてお目見えしたいものです。
いやいや、ありがたい。
でもお腹はすく。
今晩のお店がある上七軒はすぐそこです。
灯のともった花町の中華料理屋さんです。
『糸仙』さん。
ここにしかない京中華を頂くことにしましょう。
ご主人が一心に鍋を振る様子をみながら、出てくる料理を一瞬の間もおかず頂きます。
はんなりした春巻き、
蜜に輝く酢豚、
羽毛のごとき蟹玉、
打って干し蒸して干した麺が味深い焼きそば、
そして決してチャーハンとは呼べない、米の旨味を大切にしたヤキメシ。
ああ、幸せ。
これだけ食べでも、お腹が重くならないのが、京都の中華に魅せられる一つの理由です。
迷うとなかなかまとめにくい。
今日は洛北エリアに出没、って何かの番組のまんまだな。
今出川新町~バスで出町柳に出て、叡山鉄道に乗車、修学院から鞍馬と路線を分けて叡山側の八瀬へ向かいます。
札幌は車で15分も走ればすぐに大自然という土地ですが、京都だって叡電に20分乗れば、山の懐に入り渓谷が目前です。
山の辺散歩で、今日の遠足はスタートしました。
濡れた落ち葉踏みしめながら、どこかひんやりとした山道を行きます。最初に目指した、壬申の乱で矢傷を負った大天の皇子が治療に当たって以来安らぎの地として位置づけられた瑠璃光院は年末のため扉を閉ざし、ガイドブックには出ていないお蔭神社という山中に突如として現れる社に立ち寄り、赤山禅院にうかがいます。こちら赤山禅院さんの印象は、一言『めでたい』!
このサイズでは見えませんが、屋根の頂上にちょこんと座っている像が有ります。ましら、つまりお猿さんです。
綺麗に彩られて笑っているようです。
そんな外見だけではなく、参道には直径二メートルを越える数珠があって、その輪をくぐり抜けて神前に進んだり、神域の山中のあちこちに分社があって、弁財天、お狐さん、福禄寿にいくつもの大明神がおわします。中でも夫婦仲良くを願う相生宮では、念入りに頭を下げました。今日はそれほど参拝客は多くありませんでしたが、年末年始はかなりの人が来るようで、沢山の席を用意されていました。正直今日まで赤山禅院さんのお名前も存じ上げませんでしたが(彼女は一度来たかったと申しておりました)、流石に京都とうなります。
続いては、修学院の里山を見渡しながら、少しずつ高度を下げて『曼殊院門跡』へ。八世紀伝教大師草創以来という、特に江戸期になって建築に意匠を凝らした、桂離宮との関連も深い、時代を代表する書院建築だと言います。
建物の中にも入れていただけるので、重要文化財を体感します。一つの違和感もぶれもない、確かにここにあり、確かに私はここにいる、と思える心地よさは、人が暮らすために丁寧に作り込まれた、門跡の建物だからでしょう。
縁側に座ってしばし庭を見つめる時間が素敵です。
洛外巡りに浸ると、昼はとっくの昔に過ぎていました。
昼ご飯を迷いつつ、今晩は五時半に予約しているので、我慢。
修学院駅傍の双鳩堂さんで大福を一つ頂き二人で分け、出町柳まで戻って名曲喫茶『柳月堂』さんでコーヒーにオペラを頂き、疲れを癒やします。
次に目指すは西、北野天満宮です。
昨年も訪ねたのですが、夜になってしまいタイムアウト、厚い門に閉ざされ中に入れなかったので再訪問となりました。学問の神を祀るあまりにも有名な天神さんでは、ただただ学業成就を願って頭を深く深く下げるのみです。
そろそろ日が深く傾いて来ました。
でもご飯まではまだ一時間有ります。そんな時でも、次に行く名刹が有るのが京都、そしてそんな場所をパッと思い出せるのが彼女の大したところです。ありがたく後に続きます。
講堂前の松が建物を隠すほどの、国宝、千本釈迦堂です。
仏の場所として威容を見せつける建築物は、見上げるほどに立派です。本堂は約800年前、1223年着工、1227上棟で、応仁の乱でも焼け残った、この京都でも最古の国宝建築物とあります。
中にも入れて頂き合掌、『おかめの物語』という、こちらの造営を内助の功で支えた棟梁の妻、おかめさんの話は初耳でした。
宝物蔵には快慶作十大弟子像、定慶作の六観音像がずらりと並び、閉館まで10分しかないのが惜しまれるばかりでした。
またゆっくり時間をかけてお目見えしたいものです。
いやいや、ありがたい。
でもお腹はすく。
今晩のお店がある上七軒はすぐそこです。
灯のともった花町の中華料理屋さんです。
『糸仙』さん。
ここにしかない京中華を頂くことにしましょう。
ご主人が一心に鍋を振る様子をみながら、出てくる料理を一瞬の間もおかず頂きます。
はんなりした春巻き、
蜜に輝く酢豚、
羽毛のごとき蟹玉、
打って干し蒸して干した麺が味深い焼きそば、
そして決してチャーハンとは呼べない、米の旨味を大切にしたヤキメシ。
ああ、幸せ。
これだけ食べでも、お腹が重くならないのが、京都の中華に魅せられる一つの理由です。