今年の8月末、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河教授が、慰安婦問題に関する新しい本を刊行しました。
『日本軍慰安婦、もう一つの声―語り手:裵春姫、聞き手:朴裕河』(2020年8月28日、プリワイパリ刊)
本書は、朴教授が、2013年12月18日から2014年5月18日まで、元慰安婦の裵春姫(ペ・チュンヒ)ハルモニと交わした20回あまりの対話を、一冊にまとめたものです。
以下、教保文庫(韓国の大手出版社)のウェブサイトにあった、「版元による書評」を翻訳・紹介します(リンク)。
慰安婦、支援団体、そして裵春姫ハルモニの「もう一つの声」
2020年5月、これまで最も活発に活動してきた李容洙(イ・ヨンス)ハルモニが「挺対協」(正義記憶連帯)と尹美香(ユン・ミヒャン)議員(前理事長)を批判する記者会見を開き、時を同じくして「ナヌムの家」の職員たちの内部告発が飛び出した。この大きな衝撃から3か月、今後、本格的な調査がどう行われ、韓国社会がどう対応していくのかはまだわからない。同じころ、もう一つの記事が出た。朴教授は、ハルモニたちが支援団体をどのように批判したのかが克明に記されたこの記録を、6年間公開してこなかったが、その記事を読んで、悩んだ末に、本書の出版を決断した。
故裵春姫ハルモニ「胸が苦しくなって病院に行った日」に、全財産をナヌムの家に寄付?(「韓国日報」5月23日付)
ナヌムの家を内部告発した職員によれば、裵ハルモニの寄付約定書は、2014年4月10日に作成された。この約定書は、全財産をナヌムの家に寄付するという、事実上の遺言状だ。(...)担当の看護師が作成した看護日誌には、寄付の約定書が作成された4月10日に、「〇〇さんのせいで胸が苦しくなって、病院に行かれるとおっしゃり、入浴後、近くの〇〇療養病院に入院された」と記されている。職員たちはこの日、救急車を呼んで裵ハルモニが入院したことを記憶している。
裵春姫ハルモニは2014年6月8日に亡くなり、朴教授はその1週間後、慰安婦ハルモニ9人の名で、「虚偽事実摘示による名誉毀損」を理由とした「出版禁止などの仮処分申請、民事・刑事告訴」をされた。
本書の対話を読めば、そのいきさつが自ずとわかる。
まず、2020年5月以降、明るみに出た「支援団体」の問題だ。
すでに知られている「お金」の流用だけでなく、そうしたお金を集めるためにハルモニたちが動員された具体的な状況、ハルモニたちの健康維持に最も重要な食事、世話、診療が必要十分に行われなかっただけでなく、逆に、自分たちが支援団体によって死に追いやられていると当事者が思うほど不信の対象になっていた状況、ハルモニたちが外部から徹底的に遮断・管理され、ハルモニたちの「多数意見」が反映されないまま運動が展開されてきた状況、当事者たちが支援団体に対し反発・批判の気持ちを持ちながらも、声を挙げることができなかった状況、などがそれである。「当事者=被害者」である慰安婦ハルモニを守り、代弁する役割を自任し、韓国社会が委任してきた「代弁者=支援団体」の問題について、あらためてきちんと考えるための、新しい資料になるだろう。
第二に、慰安婦とは性奴隷でも売春婦でもなく、「母親のように」の軍人の世話をする存在であったと言う当事者、つまり少女像に批判的な当事者もいたという事実である。「運動」の内容と方向、そのもとにある「慰安婦についての考え方」において、裵春姫ハルモニと、たとえば李容洙ハルモニはかなり違う。「慰安婦被害者」は一つではない。慰安婦ハルモニたちの声も一つではない。
だとすれば本書は、韓国社会が当然視し支持してきたこれまでの「運動」を、いまや根本的に振り返る時期になったということを、図らずも知らせてくれるものではないだろうか。そして、ここで私たちは、スピヴァクの問題提起、すなわち「サバルタンは語ることができるか」に、あらためて向き合うことになる。その意味でも本書は、たんに反対や擁護の対象ではなく、すなわち運動と政治の枠にとらわれるのではなく、聞き手一人一人がじっくり向き合う「もう一つの声」でなければならない。
「帝国の慰安婦」事態はいったい何だったのか
このように、慰安婦問題の解決のための「大義」と「運動」の30年は、もう一つの当事者の「沈黙」と並行した30年でもあった。これらすべての問題の底辺には、慰安婦に対する考え方の違いが横たわっている。本書を読めば、慰安婦ハルモニたちの名で告発されたとされる朴裕河教授と『帝国の慰安婦』が、実際には、なぜ、誰によって告訴、告発されたのかという疑問も解消する。
刊行当時、複数のメディアが好意的、中立的な書評を書いた『帝国の慰安婦―植民地支配と記憶の闘争』とその著者が、刊行の10か月後になって、告訴、告発されたのはなぜか。そのことと、朴教授が慰安婦裵春姫ハルモニと親しくなり、ハルモニたちの声をシンポジウムを通じて公にし、その最も親しかった裵ハルモニが亡くなって、もはや声を挙げることができなくなった事情とは、どのような関係があるのか。朴教授は、「ナヌムの家」に住むのを嫌がっていた裵春姫ハルモニの保護者になろうとしたが、ハルモニは病気であるにもかかわらず、病院から「ナヌムの家」に「強制移動」され、それ以上会うことができなくなった。ハルモニが亡くなった一週間後に、朴教授は、「ナヌムの家」に住んでいるハルモニたちの名で告訴、告発されたが、その中に意識がはっきりしていたハルモニは3人しかおらず、そのハルモニたちも目が不自由だった。「ナヌムの家」は、問題となる部分をハルモニたちに「複数回読んで上げた」と語り、顧問弁護士とロースクールの学生たちが320ページの本の中の109個所に「名誉毀損」だといって下線を引いた。
そして、この「事態」は、30年間慰安婦問題の解決のための運動の中心にあった「挺対協」をはじめとする「進歩陣営」、あるいは民主化運動勢力の、最近表面化したある問題とも無関係ではないだろう。おそらく私たちは、国家に抵抗し、民主化を成し遂げた勢力による弱者抑圧、「他の声」に対する暴力的抑圧、そうして表出された反民主的な行いが誰も知らないところで起きてきた現場を、裵春姫ハルモニを通じて、垣間見ることができるかもしれない。本書は、このような韓国の現実をありのまま直視し、本書で裵春姫ハルモニと出会ったすべての人がともに「あらためて」「きちんと」韓国社会の今後を模索していくきっかけになることを願ってまとめた、「裵春姫ハルモニとの対話」である。
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