まず,アイルランドが植民地化される以前の歴史を振り返ってみましょう。
以下の記述については,森尚也さんという方のホームページ(→リンク)を大いに参考にしたことをお断りしておきます。
アイルランドには,太古の時代から先住民族がいたと思われるが,史料がなく詳しくはわからない。
紀元前6世紀より,大陸のケルト人がアイルランドに渡り始めたらしい。ケルト人はヨーロッパ大陸中央を千年ぐらい支配していた民族で,紀元前4世紀には,ローマ帝国に攻め込んだこともある。アイルランド先住民より進んだ文化を持っていたので,短期間に先住民を同化したと思われる。
その後,シーザーがガリアに住むケルト人を平定し,ブリテン島(イギリス)を制服した。パックスロマーナと言われる時代にも,ローマ帝国はなぜかアイルランドを攻略しなかったため,アイルランドのケルト人は,ローマによる植民地化を逃れることができた。
これは,東洋において漢がアジア大陸を支配し,朝鮮半島に楽浪郡を置いて支配下においたとき,日本にまでその支配が及ばなかったのと似ています。
アイルランドにキリスト教が伝わったのは,西暦400年頃と言われる。
ローマ帝国の衰退とともに,アイルランドのケルト人はしばしばブリタニア(ブリテン島)を侵略した。そして,ブリテン人を奴隷として連れ帰ったが,その中に16歳の若者,聖パトリックがいた。彼は,ローマ支配下のウェールズでローマ人とブリトン人の間に生まれた。パトリックは,アイルランドでの奴隷生活に耐えられず,逃亡して故郷に戻った。
その後,カトリック修道僧として修行した後,かつて連れ去られたアイルランドに再び渡って,キリスト教を伝道した。西暦432年のことである。同時に,パトリックは文字を持たなかったアイルランドに,アルファベットを伝えた。
古代におけるアイルランドのイギリス侵略は,任那日本府に似ているでしょうか。
仏教と儒教,そして漢字が朝鮮半島(百済)を経由して日本に伝わったように,キリスト教(カトリック)はイギリスを経由してアイルランドに伝わりました。ここまでの歴史においては,中国=ローマ帝国,イギリス=朝鮮半島,アイルランド=日本というアナロジーが成り立ちます。近代における構図とは逆ですね。
古代アイルランドには多神教であるドルイド教が広がっていた。この宗教は,「霊魂不滅」,「転生」の思想を特徴とする汎神論的宗教であった。聖パトリックがアイルランドにキリスト教をもたらしたとき,流血の事態を招かなかったのは,かつて奴隷生活を送ったときにドルイド教と出会い,ドルイド教に理解があったからと思われる。パトリックとそれに続く伝道者たちは,アイルランド固有の神話と伝説をゆるやかにキリスト教へと統合していった。
こうしてアイルランドは,一神教のキリスト教国へ変貌した。
ケルトの神話と伝説は,文学的に豊かな素材を提供し,後に19世紀末から20世紀初頭にかけてわきおこったアイルランド文芸復興・ナショナリズムの原点となった。
聖パトリックは,アイルランドの「守護聖人」とされ,彼が作ったとされるラテン語の祈り「ロリカ」は,英語とゲール語に翻訳され今も教会で唱えられているそうだ。3月17日は聖パトリックを記念した祝日で,アメリカをはじめ,世界に分散したアイルランド人が自らのアイデンティティーを確認する場にもなっているという。
日本に先んじて仏教と漢字を取り入れた韓国は,後に仏教を捨て(朝鮮時代),漢字をも捨てました(独立後のハングル専用)が,日本は長らく仏教を信奉し,仮名ができた後も漢字を使い続けています。
イギリスは,後にカトリックを捨て,イギリス国教会という新教の国になったのはご存じの通り。
以下の記述については,森尚也さんという方のホームページ(→リンク)を大いに参考にしたことをお断りしておきます。
アイルランドには,太古の時代から先住民族がいたと思われるが,史料がなく詳しくはわからない。
紀元前6世紀より,大陸のケルト人がアイルランドに渡り始めたらしい。ケルト人はヨーロッパ大陸中央を千年ぐらい支配していた民族で,紀元前4世紀には,ローマ帝国に攻め込んだこともある。アイルランド先住民より進んだ文化を持っていたので,短期間に先住民を同化したと思われる。
その後,シーザーがガリアに住むケルト人を平定し,ブリテン島(イギリス)を制服した。パックスロマーナと言われる時代にも,ローマ帝国はなぜかアイルランドを攻略しなかったため,アイルランドのケルト人は,ローマによる植民地化を逃れることができた。
これは,東洋において漢がアジア大陸を支配し,朝鮮半島に楽浪郡を置いて支配下においたとき,日本にまでその支配が及ばなかったのと似ています。
アイルランドにキリスト教が伝わったのは,西暦400年頃と言われる。
ローマ帝国の衰退とともに,アイルランドのケルト人はしばしばブリタニア(ブリテン島)を侵略した。そして,ブリテン人を奴隷として連れ帰ったが,その中に16歳の若者,聖パトリックがいた。彼は,ローマ支配下のウェールズでローマ人とブリトン人の間に生まれた。パトリックは,アイルランドでの奴隷生活に耐えられず,逃亡して故郷に戻った。
その後,カトリック修道僧として修行した後,かつて連れ去られたアイルランドに再び渡って,キリスト教を伝道した。西暦432年のことである。同時に,パトリックは文字を持たなかったアイルランドに,アルファベットを伝えた。
古代におけるアイルランドのイギリス侵略は,任那日本府に似ているでしょうか。
仏教と儒教,そして漢字が朝鮮半島(百済)を経由して日本に伝わったように,キリスト教(カトリック)はイギリスを経由してアイルランドに伝わりました。ここまでの歴史においては,中国=ローマ帝国,イギリス=朝鮮半島,アイルランド=日本というアナロジーが成り立ちます。近代における構図とは逆ですね。
古代アイルランドには多神教であるドルイド教が広がっていた。この宗教は,「霊魂不滅」,「転生」の思想を特徴とする汎神論的宗教であった。聖パトリックがアイルランドにキリスト教をもたらしたとき,流血の事態を招かなかったのは,かつて奴隷生活を送ったときにドルイド教と出会い,ドルイド教に理解があったからと思われる。パトリックとそれに続く伝道者たちは,アイルランド固有の神話と伝説をゆるやかにキリスト教へと統合していった。
こうしてアイルランドは,一神教のキリスト教国へ変貌した。
ケルトの神話と伝説は,文学的に豊かな素材を提供し,後に19世紀末から20世紀初頭にかけてわきおこったアイルランド文芸復興・ナショナリズムの原点となった。
聖パトリックは,アイルランドの「守護聖人」とされ,彼が作ったとされるラテン語の祈り「ロリカ」は,英語とゲール語に翻訳され今も教会で唱えられているそうだ。3月17日は聖パトリックを記念した祝日で,アメリカをはじめ,世界に分散したアイルランド人が自らのアイデンティティーを確認する場にもなっているという。
日本に先んじて仏教と漢字を取り入れた韓国は,後に仏教を捨て(朝鮮時代),漢字をも捨てました(独立後のハングル専用)が,日本は長らく仏教を信奉し,仮名ができた後も漢字を使い続けています。
イギリスは,後にカトリックを捨て,イギリス国教会という新教の国になったのはご存じの通り。
任那は日本史の中の謎の一つですね。信頼できる資料がないので,あれが何だったのか,完全な解明はできないでしょう。
私は,弥生時代からの朝鮮半島経由の人の流入,それによる言語,文化の流入に興味があります。