犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

『多崎つくる』―セクシュアル・マイノリティの物語④

2021-02-01 23:29:15 | 
『多崎つくる』―セクシュアル・マイノリティの物語①
『多崎つくる』―セクシュアル・マイノリティの物語②
『多崎つくる』―セクシュアル・マイノリティの物語③

 つくるは、グループから追放される前、グループの中に男女の関係を持ち込まないように心がけていました。そして、グループの中の二人の女性、シロとクロのことはできるだけ考えないようにし、もし考えるときは、「二人を一組」として考えるようにしていました。「つまり一種の架空の存在として。肉体を固定しない観念的な存在として」。

 つくるは4人から絶交された後の5か月間、死ぬことだけを考え続け、肉体も容貌も、別人のようになります。

 夜、つくるは不思議な夢を見ます。それは、ある女性に対する激しい嫉妬の夢です。つくるはそのときまで、嫉妬という感情に無縁でした。夢の中に出てきた女性は、誰なのかわかりません。彼女は、肉体と心を分離することができ、どちらか一つならあなたに差し出せる、両方はあげられない、片方は別の男性にあげるから、と言います。しかし、つくるはそのどちらもがほしい。つくるは激しい嫉妬の感情に苛まれ、汗をびっしょりかいて目覚めます。

 あとから振り返ると、つくるはこの夢を境にして、死を希求することをやめたのでした。そして、つくるは少しずつ日常的な生活を取り戻していきます。

 やがて、つくるには新しい友人ができます。同じ大学の2つ下の後輩で、物理学を専攻する男子学生、灰田文紹(はいだふみあき)です。彼は小柄で、古代ギリシャ彫刻を思わせるように顔が小さく、ハンサムな青年でした。プールで知り合いますが、やがてつくるのマンションによく遊びに来るようになります。二人は、そこでいっしょに食事をし、音楽を聴き、ときには哲学的な話をして過ごします。灰田の父親は、秋田の大学で哲学の教師をしているのです。灰田は、ときには、つくるのマンションに泊まっていくこともありました。

 同じころ、つくるはある性的な夢を定期的に見るようになっていました。毎回、内容はほぼ同じで、全裸のシロとクロといっしょにベッドに寝ている夢です。二人は裸でつくるの体に絡みつき、指や唇で全身を愛撫し、性器を刺激し、性交に到ります。しかし、最後に射精する相手は、常にシロなのでした。

 この夢は、つくるがグループで付き合っていたとき、ひそかにシロとクロを好きだったこと、シロとクロを常に「二人一組で」考えようとしていたことと符合します。そして、射精の相手が常にシロだったことは、つくるが「クロの心」に惹かれる一方で、肉体的には「シロの体」を求めていた。そのような無意識の抑圧が、夢に現れたと解釈できます。

 ある夜、灰田が、自分の父から聞いたこととして、不思議な話を語ります。長い話で、終わったときは午前1時を回っていました。いつものように、つくるはベッドで、灰田はソファで眠りにつきましたが、その夜、奇妙なことが起こります。

 つくるは夜中に、金縛りを経験します。そして、身動きできないつくるを、暗闇の中から灰田が沈黙したままじっと見つめているのです。やがて、灰田は浅い吐息をしてそこを立ち去ります。つくるはいったん眠りに落ち、ふたたび夢を見ます。これは、いつものシロとクロが出てくる性夢です。クロとシロの執拗な愛撫のあと、シロがつくるにまたがり、腰をくねらせます。しかし、つくるが射精した先は、シロの性器ではなく、灰田の口でした。気がついたとき、シロとクロは姿を消し、灰田がつくるのペニスを口に含み、吐き出される精液を受け止めたのでした。白と黒を混ぜた灰色…。それは夢とは思えないほどリアルでしたが、つくるがその後暴力的な眠りに落ちたあと、朝、目覚めてみると、灰田は何事もなかったように、ソファで分厚い本を読んでいました。

 その奇妙な出来事があってしばらくして、灰田は忽然と姿を消します。寮を引き払い、学校にも休学届けが出されていました。つくるには、「田舎の秋田に帰省するが、すぐ戻る」と言い残して。

 灰田はおそらく同性愛者でしょう。つくるも同じ指向を持つ者として近づきましたが受け入れられず、失望して去っていったのではないでしょうか。

 つくるは、シロとクロとの倒錯的な性夢や、そこに灰田が登場する夢をみて、自分の性的指向に不安を感じ始めます。

 数か月後、つくるは初めて女性と性的な関係を持ちます。つくるは21歳。相手は、アルバイト先で知り合った、4歳年上の女性でした。その後、つくるはその女性と8か月ほどつきあいます。しかし、つくるがその女性の肉体を求めたのは、彼女への恋愛感情からではありませんでした。つくるは自分が同性愛者ではないことを、また自分が夢の中だけではなく、生身の女性の体内にも射精できることを自らに証明するために、彼女の肉体を必要としたのでした。彼女に対しては、穏やかな好意と健康的な肉欲以上のものを感じることはできませんでした。やがてその女性とは、女性側の事情で別れ、その後も、つくるは3、4人の女性とつきあいます。しかし、つくるは、どの女性にも「真剣には」心を惹かれることはありませんでした。つくるは「心を全開にしなくてすむ女性」としか交際しなかったのです。

 つくるは、かつて4人の親友から追放されたように、また灰田に立ち去られたように、相手が突然姿を消して、あとに一人取り残されることに怯えていたのかもしれない、と自己分析します。

 つくるは現在の恋人、沙羅に対しては、心を開けると感じていました。しかし、沙羅のほうは、つくるとの性行為に違和感を感じていたのです。そして、それはつくるの心に問題があるからだ、と。それで、沙羅は、かつての追放劇の真相を解明することをつくるに強く勧めます。

 沙羅に背中を押され、つくるはかつての親友を訪ねます。最初はアオ、次にアカ。そこでつくるは、アオがクロを好きだったこと、また、アカは結婚と離婚を経て、自分が同性愛者であることに目覚めたことを知ります。

 クロに会いにフィンランドに行く前、つくるは沙羅に会います。沙羅は旅行代理店で働いていて、つくるのフィンランド行きの手配をしていたのでした。その夜、つくるは沙羅を相手に、初めてインポテンツ(性的不能)を経験します。

「あなたの中で何かがまだ納得のいかないままつっかえていて、そのせいで本来の自然な流れが堰き止められている。そんな感じがするの」と沙羅は言います。

 つくるがかつて抱いていた、「自分は同性愛者ではないか」という不安が、ふたたび頭を持ち上げてきたのかもしれません。

 フィンランドに旅立つ前に、つくるはプールで沙羅のことを考えながら泳いでいましたが、前方に灰田にそっくりの足をした男が泳いでいることに気づきます。しかし、それは人違いでした。つくるの意識の中には、同性愛者の灰田ことがいまだに残っていたのです。

 そして出発の直前、つくるは街中で沙羅を見かけます。沙羅は、五十代前半の男性と仲良さそうに手をつなぎ、笑顔で会話を交わしていました。

 それを見たつくるは驚き、胸がきりきりと痛みました。そしてあとには深い哀しみが残りました。それは嫉妬とは違う感情でした。

 自分が同性愛者ではないかというかつての不安と、沙羅に捨てられるのではないかという新しい不安を胸に、つくるはフィンランドに旅立ちます。

 そして、クロと長時間話をして、自分が知らなかったさまざまなことを聞きます。

 クロとシロの愛憎の混じった関係、クロがかつてつくるに恋していたこと、クロとシロの性的指向、すなわちアセクシュアル(無性愛者)のシロ、バイセクシュアル(両性愛者)のクロ…。

 つくるは、クロの求めに応じて、クロをハグします。かつて、シロがよく弾いていたリストの「巡礼の時」のCDを聴きながら。

 シロを見捨ててフィンランドに行ったクロは、自分にはシロの死の責任があると感じており、シロを夢の中で犯していたつくるは、シロから「レイプされた」と言われてもしかたがない、と思うようになります。

 つくるはクロに、沙羅のことも話します。沙羅が好きであること、その沙羅が別の男性とつきあっていることまでも。つくるは、「自分には個性がない、空っぽの容器みたいなものだ。自分が沙羅にふさわしいとは思えない」、と自信の無さを吐露します。

 クロは別れ際、「君は色彩を欠いてなんかいない。…君に欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい」と言って、つくるを励まします。

 帰国後、つくるは沙羅と電話をします。フィンランドでのことを簡潔に伝え、今度会って詳しく話したいと言います。そして、思い切って、沙羅が別の男性とつきあっているのではないかと、尋ねます。

 沙羅は否定はしないかわりに、会うのは三日後にしてくれといいます。沙羅は、その間に、現在つきあっている男性となんらかの決着をつけようとしているのだと思われます。

 電話を切った夜、つくるはまたも長い、奇妙な夢をみます。シロらしき女性が登場しますが、今回は性夢ではありません。つくるは宮廷の大広間のようなところでピアノを弾いており、その楽譜をめくってくれるのは、(顔は見えないが)おそらくシロ。つくるは素晴らしく上手にピアノを弾いているつもりですが、聴衆には伝わりません。むしろ、退屈し、いら立っているようです。シロとつくるの共同作業は、世の中にまったく理解されないのです。

 目覚めたつくるは、いてもたってもいられなくなり、午前4時前だというのに、沙羅に電話してしまいます。沙羅はあらためて、三日待つように言います。

 沙羅に会う前日、つくるは、かつての親友への「巡礼」を振り返り、心の中を整理しようとします。そして無意識に沙羅に電話をしてしまいます。気がついてすぐに受話器を置きますが、直後におそらく沙羅からかかってきた電話はとりませんでした。

 物語は、そこで終わります。

 次の日につくると沙羅が会って、沙羅ががつくるにどんなことを言うのか、沙羅はつくるをとるのか、初老の男性をとるのか、つくると沙羅は正式につきあい始め、やがて結婚するのか、結婚生活はうまく行くのか…。

 このあとの展開は、読者の想像に委ねられます。

 つくるが沙羅と結ばれ、ときには他の男性に嫉妬を感じたりしつつも、ヘテロセクシュアル(異性愛者)として幸せな夫婦生活を送っていくのか(アオのように)。

 それとも、結婚生活をしてみて、自分が異性愛に向いていないことを自覚し、同性愛を確信するのか(アカのように)。

 はたまた、自らの内にヘテロとホモを共存させながら、バイセクシュアルとして人生を送っていくのか(クロのように)。

 つくるの姓、「多崎」は、一人の人間の中に、多様な性的指向を内在させていることを示唆しているのです。

 思春期を迎えた高校生が、さまざまな経緯で、自己の性的指向に目覚めていく、「セクシュアル・マイノリティの物語」。

 私はこの作品を、そのように読みました。

(つづく)
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