上下二巻の『パチンコ』は、上巻の終わりのあたりから、戦後の日本が舞台になります。
下巻の冒頭に、力道山が登場します。
モーザス(イサクとソンジャの息子)は、お気に入りの漫画や古銭、父の眼鏡など大事な品物を納めたトランクの蓋の内側にプロレスラーの力道山の写真をテープで貼っていた。在日コリアンの力道山とは違って、モーザスは相手と密着して長時間組み合うのは好きではない。力道山は空手チョップで有名だが、モーザスにも必殺パンチがあった。…(下巻7ページ)
戦後の日本プロレス界のスーパースター、力道山は朝鮮半島出身ですが、生前はそのことを徹底して秘匿していました。アメリカの巨漢レスラーを空手チョップでバッタバッタとなぎ倒している姿に熱狂した日本人は、彼が生粋の日本人だと思っていたわけです。死後、彼の出自を扱った雑誌の記事や伝記により、彼がコリアンであることが明かされたわけですが、『パチンコ』にあるように、1955年の段階で、力道山がコリアン出身であることが知られていたとは考えにくい。もしかして、在日社会では公然の秘密として知られていた可能性を否定できませんが。
モーザスの兄、ノアは、浪人をした末、1957年、早稲田大学に合格します。そのとき、実の父、コ・ハンスは次のように言います。
きみはとても優秀だ。ふつうの受験生と違って勉強する時間が足りなかっただけのことだろう。必要以上に時間がかかったのは、家庭教師がつかず、家計のために朝から晩まで働かなくてはならなかったせいだよ。日本人の中流家庭の平均的な受験生ならみな家庭教師がつくだろうに、きみにはそれがなかった。…(下巻38ページ)
1957年は、私が生まれる4年前。当時の、早稲田大学に合格する「日本人の中流家庭の平均的な受験生」がみな家庭教師についていたとは、とうてい思えないのですが、いかがでしょうか。これは、著者李ミンジン氏の故国、韓国の1980年代ぐらいの受験戦争からの類推のように思えます。
次は1962年の東京。
多くのコリアンが犯罪組織の下で働かなくてはならないのは、ほかに仕事がないからだ。役所や一流企業は、どれだけの学歴がある人物であってもコリアンは雇わない。(下巻103ページ)
この辺りの事情について、私は知らないので、近くの飲み屋のご主人(私より2歳年上、大阪南部出身)に聞いてみました。
「ぼくが育ったあたりは、朝鮮人が近くてね、学校には在日がたくさんいましたよ。やんちゃなのが多くてね、やくざになるのもいたね。何しろ、まともな就職ができないからね。在日お断りって、明言する企業もあったくらいだから」
小説の中の記述は事実なのかもしれませんが、「どれだけの学歴がある人物であっても」の部分は、ちょっと疑問です。
1976年横浜での話。
モーゼスの幼馴染の外山春樹は横浜で刑事をしていましたが、定年退職した同僚からある自殺事件を引き継ぎます。在日コリアンの高校生が、自宅マンションの屋上から飛び降りた事件です。刑事が高校生の両親に話を聞きに行くと、中学校の卒業アルバムを見せられます。そこには、「死ね」「半島に帰れ」などの罵詈雑言が書き込まれていました。成績がよく、妹たちの面倒見もよかった息子が、在日だという理由だけでいじめを受けて、それを苦に自殺したのです。
以前の記事に書いた通り、著者李ミンジン氏は、イェール大学の3年生の特別講義で、日本で活動するアメリカ人宣教師から、「在日コリアンであるために卒業アルバムに差別的なメッセージを書かれた男子中学生が、ビルの高層階から身を投げて死んだ」という話を聞いてショックを受け、この作品の着想を得たと書いています。おそらく、『パチンコ』の中の事件は、大学時代に聞いた事件をもとにしたものなのでしょう。
ネットで調べると、実際に1979年に類似した事件が起きていたことがわかります。埼玉県の中学生が、中学でいじめを受けて飛び降り自殺したが、小学校の卒業メッセージファイルに「死んでください」などの罵詈雑言が書かれていたというものです(リンク)。
高校生か中学生かの違いはありますが、宣教師がした話、『パチンコ』の中に出てくる事件は、たぶんこの事件なのでしょう。
最後に指紋押捺の話。
1979年、モーザスは、息子ソロモンの外国人登録のために、市役所に行きます。
1952年以降に日本で生まれたコリアンは、14歳の誕生日に市区町村の役所に日本の在留許可を申請しなくてはならない。その後は日本を永久に離れないかぎり、3年ごとに同じ手続きを繰り返す。
当時、日本で、外国人登録をするためには、指紋押捺(左手の人差し指)をする必要がありました。小説の中で、指紋押捺が否定的イメージで描かれ、コリアン差別の象徴のように扱われています。
確かに日本人には指紋押捺の義務がないため、1980年代、指紋押捺制度は外国人、特に日本における外国人の圧倒的多数を占めていた在日コリアンに対する差別だとして、左派、民族団体(総連、民団)が反対運動を繰り広げました。その結果、1993年より、この制度は廃止されました。
けれども、韓国では当時、住民登録をする際、全国民に、十指の指紋押捺が義務付けられていたのですね。指紋押捺拒否運動が盛り上がっていたとき、日本に来ていた韓国人留学生は、「私たちは本国で十指を押捺しているのに、キョッポ(僑胞=在日コリアン)がなんであんなに騒ぐのか」と、シニカルに見ていました。私が1996年に韓国に赴任し、外国人登録を行う際にも、十指の指紋押捺をさせられました。
以上、長々と『パチンコ』に見られる史実を検証してきました。
全体として、細かい事実誤認はありますが、大きな歪曲や捏造はない、というのが私の評価です。
むしろ、幼時にアメリカに渡り、アメリカで教育を受けた著者が、韓国語も日本語も不自由な中で、よくぞここまで歴史的事実を調べ、この大作に結実させたものだと、感心します。
物語としても、波乱万丈で、大変面白いので、ぜひ一読をお勧めします。
下巻の冒頭に、力道山が登場します。
モーザス(イサクとソンジャの息子)は、お気に入りの漫画や古銭、父の眼鏡など大事な品物を納めたトランクの蓋の内側にプロレスラーの力道山の写真をテープで貼っていた。在日コリアンの力道山とは違って、モーザスは相手と密着して長時間組み合うのは好きではない。力道山は空手チョップで有名だが、モーザスにも必殺パンチがあった。…(下巻7ページ)
戦後の日本プロレス界のスーパースター、力道山は朝鮮半島出身ですが、生前はそのことを徹底して秘匿していました。アメリカの巨漢レスラーを空手チョップでバッタバッタとなぎ倒している姿に熱狂した日本人は、彼が生粋の日本人だと思っていたわけです。死後、彼の出自を扱った雑誌の記事や伝記により、彼がコリアンであることが明かされたわけですが、『パチンコ』にあるように、1955年の段階で、力道山がコリアン出身であることが知られていたとは考えにくい。もしかして、在日社会では公然の秘密として知られていた可能性を否定できませんが。
モーザスの兄、ノアは、浪人をした末、1957年、早稲田大学に合格します。そのとき、実の父、コ・ハンスは次のように言います。
きみはとても優秀だ。ふつうの受験生と違って勉強する時間が足りなかっただけのことだろう。必要以上に時間がかかったのは、家庭教師がつかず、家計のために朝から晩まで働かなくてはならなかったせいだよ。日本人の中流家庭の平均的な受験生ならみな家庭教師がつくだろうに、きみにはそれがなかった。…(下巻38ページ)
1957年は、私が生まれる4年前。当時の、早稲田大学に合格する「日本人の中流家庭の平均的な受験生」がみな家庭教師についていたとは、とうてい思えないのですが、いかがでしょうか。これは、著者李ミンジン氏の故国、韓国の1980年代ぐらいの受験戦争からの類推のように思えます。
次は1962年の東京。
多くのコリアンが犯罪組織の下で働かなくてはならないのは、ほかに仕事がないからだ。役所や一流企業は、どれだけの学歴がある人物であってもコリアンは雇わない。(下巻103ページ)
この辺りの事情について、私は知らないので、近くの飲み屋のご主人(私より2歳年上、大阪南部出身)に聞いてみました。
「ぼくが育ったあたりは、朝鮮人が近くてね、学校には在日がたくさんいましたよ。やんちゃなのが多くてね、やくざになるのもいたね。何しろ、まともな就職ができないからね。在日お断りって、明言する企業もあったくらいだから」
小説の中の記述は事実なのかもしれませんが、「どれだけの学歴がある人物であっても」の部分は、ちょっと疑問です。
1976年横浜での話。
モーゼスの幼馴染の外山春樹は横浜で刑事をしていましたが、定年退職した同僚からある自殺事件を引き継ぎます。在日コリアンの高校生が、自宅マンションの屋上から飛び降りた事件です。刑事が高校生の両親に話を聞きに行くと、中学校の卒業アルバムを見せられます。そこには、「死ね」「半島に帰れ」などの罵詈雑言が書き込まれていました。成績がよく、妹たちの面倒見もよかった息子が、在日だという理由だけでいじめを受けて、それを苦に自殺したのです。
以前の記事に書いた通り、著者李ミンジン氏は、イェール大学の3年生の特別講義で、日本で活動するアメリカ人宣教師から、「在日コリアンであるために卒業アルバムに差別的なメッセージを書かれた男子中学生が、ビルの高層階から身を投げて死んだ」という話を聞いてショックを受け、この作品の着想を得たと書いています。おそらく、『パチンコ』の中の事件は、大学時代に聞いた事件をもとにしたものなのでしょう。
ネットで調べると、実際に1979年に類似した事件が起きていたことがわかります。埼玉県の中学生が、中学でいじめを受けて飛び降り自殺したが、小学校の卒業メッセージファイルに「死んでください」などの罵詈雑言が書かれていたというものです(リンク)。
高校生か中学生かの違いはありますが、宣教師がした話、『パチンコ』の中に出てくる事件は、たぶんこの事件なのでしょう。
最後に指紋押捺の話。
1979年、モーザスは、息子ソロモンの外国人登録のために、市役所に行きます。
1952年以降に日本で生まれたコリアンは、14歳の誕生日に市区町村の役所に日本の在留許可を申請しなくてはならない。その後は日本を永久に離れないかぎり、3年ごとに同じ手続きを繰り返す。
当時、日本で、外国人登録をするためには、指紋押捺(左手の人差し指)をする必要がありました。小説の中で、指紋押捺が否定的イメージで描かれ、コリアン差別の象徴のように扱われています。
確かに日本人には指紋押捺の義務がないため、1980年代、指紋押捺制度は外国人、特に日本における外国人の圧倒的多数を占めていた在日コリアンに対する差別だとして、左派、民族団体(総連、民団)が反対運動を繰り広げました。その結果、1993年より、この制度は廃止されました。
けれども、韓国では当時、住民登録をする際、全国民に、十指の指紋押捺が義務付けられていたのですね。指紋押捺拒否運動が盛り上がっていたとき、日本に来ていた韓国人留学生は、「私たちは本国で十指を押捺しているのに、キョッポ(僑胞=在日コリアン)がなんであんなに騒ぐのか」と、シニカルに見ていました。私が1996年に韓国に赴任し、外国人登録を行う際にも、十指の指紋押捺をさせられました。
以上、長々と『パチンコ』に見られる史実を検証してきました。
全体として、細かい事実誤認はありますが、大きな歪曲や捏造はない、というのが私の評価です。
むしろ、幼時にアメリカに渡り、アメリカで教育を受けた著者が、韓国語も日本語も不自由な中で、よくぞここまで歴史的事実を調べ、この大作に結実させたものだと、感心します。
物語としても、波乱万丈で、大変面白いので、ぜひ一読をお勧めします。
アメリカではオバマ前大統領も読んだとのことで、そのまま事実として国外の方々に広まっていくのでしょうね。一般的な韓国の人々ですら、検証することなく七奪を事実として捉えていますものね。
私の留学時の担当教員は日本に対して怒りが出たけれど様々な矛盾を感じて果たして韓国の通説は事実なのだろうかと疑問をもったそうです。こういう感度の鋭い人が韓国に増えれば、日韓関係ももっとよくなるのにと思いますが、難しいですよね。
指紋押捺
私は1998年に交換留学で韓国に行きましたが、忘れもしません梧木橋 。ほぼ一日をあの入国管理事務所にいることを余儀なくされ、屈辱的にすべての指の指紋を取られましたよ。
あの時、思いました。在日の人たちは日本に対しては文句を言うけど、韓国がやっているこれはいいの?....って。
韓国だけでなく、様々な地域に関心をもっている犬鍋さんのブログを今年も楽しみにしています。
梧木橋には、私も駐在員だった時にビザ更新のために年に一回行きました。公然と賄賂を要求されることもありました。
私の先輩の駐在員は、なぜか日本製のカレンダーを要求され、水着女性のカレンダーを持っていったら、普通は1年しか出ない駐在員ビザで、3年ビザを認めてもらえたそうです。