「インドネシア語には文法がないから易しい」
このインドネシア人の言葉を聞いて、大昔(たぶん30年以上前)に読んだ本を思い出しました。田中克彦という言語社会学者の『言葉と国家』(岩波新書、黄版)です。幸い、まだ保管していたので、その内容を紹介したいと思います。
この本には、ドイツの言語学者マウトナーの
「文法の誤りなどというものは、文法が発明される以前にはまったくなかった」
という言葉が引かれています。
つまり、「文法」はもともと言語に備わっているものではなく、誰かが人為的に作り出した「発明品」だというわけです。
文法(grammar)は、もともとラテン語のグラムマティカ(grammatica)から来ていて、グラムマ(gramma)は文字、ティカ(tica)は技術のことだそうです。中世ヨーロッパでは、文字で書かれる言語は唯一ラテン語だけだったので、「文字の技術」もラテン語だけに存在するものでした。
ラテン語は、古代ローマ帝国の中のラティウム地方(ローマのあたり)の言語がローマ帝国の公用語となったことにより、ローマ帝国の版図に広がりました。今日、ロマンス諸語にくくられる、イタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語などは古代ローマのラテン語の系統を引く言語です。ラテン語は、話し言葉としては各地で変容しつつ、俗ラテン語となりましたが、書き言葉としての古典ラテン語は、その後、昔の姿を保ったまま、西ヨーロッパの唯一の書き言葉として定着しました。
しかし、ラテン語は話し言葉から乖離していったので、正しく書くためにはgrammatica(文字の技術)を習得する必要がありました。そのため、grammaticaは、文字の技術という意味を離れ、しばしばラテン語そのものを意味する言葉として使われたそうです。
一方、各地の俗語は、長らく文字を持たず、したがって「文字の技術=文法」もありませんでした。文字と文法は、ラテン語だけに存在していたという時代が長く続いたのです。
これに対し、ラテン語ではなく俗語による文学活動が最初に行われるようになったのは、13世紀南フランスのプロヴァンス地方においてのことです。この文芸運動に触発されたイタリアのダンテは、14世紀の初め、男性特権階級に独占されていたラテン語ではなく、「女や子どもでも自由に話すことができ」、「専門的な勉強の必要のない」俗語による文学を主張し、古典ラテン語ではなく俗ラテン語の一つ、トスカーナ方言で『神曲』を書き上げました。
このようにして、俗語は、それまでラテン語にしかなかった文字を手に入れましたが、文法は依然としてラテン語の専有物であり続けました。
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