犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

『朝鮮人慰安婦について考える』

2014-02-06 23:10:27 | 慰安婦問題

 今年も年明けから韓国のマスコミは毎日のように慰安婦、慰安婦、慰安婦なんだそうです(→リンク)。

 この問題についての私の考えは過去記事を参考にしていただければと思います(→リンク)。

 最近では、同時代を生きた人の発言として、故小野田さんの発言を紹介しました。

 今回は、やはり同時代を生きた韓国人の発言を紹介します。


 朴賛雄(パク・チャンウン)さんは、1926年生まれ。数え二十歳(満19歳)で終戦を迎え、51年ソウル大学卒業、64年ニューヨーク大学卒業、陸軍通訳将校(朝鮮戦争参戦)、京畿高校、延世大学、徳成女子大学、仁荷大学などで教鞭をとり、75年カナダ移住。トロント韓人会会長。2006年路上強盗に遭い、死去。

 著書『日本統治時代を肯定的に理解する-韓国の一知識人の回想』(2010年草思社刊)の中に、「朝鮮人慰安婦について考える」という一章があります。

 以下はそこからの抜粋です。

朝鮮人慰安婦について考える(2005年記)

 韓国人が慰安婦問題に関連して日本に対して抗議、叱責する内容を見れば、(1)日本人は残忍で悪意に満ちた民族であるという前提のもとに、(2)若い朝鮮女性らが路上で強制的に狩り込まれ、(3)何年間も精神的に、肉体的に甚だしく蹂躙されたということになっている。当時、日本人慰安婦の存在如何、あったとすれば朝鮮人は日本人に比べて、どのような差別があったかということなどについては、全然問われていない。

 僕は1926年生まれで、当時を生きた者として、また慰安婦に連れ込まれた同胞女性と同じ年齢層の者として、僕の見解をここで述べる。

(中略)

 朝鮮人慰安婦を考察するにあたっては、まず日本の渡海売春婦の歴史と規模を見きわめると共に、当時日本における農産物価格暴落とあいまって、農村の娘達が大挙、都会の娼婦街に身売りされていった経緯をわきまえなくてはならない。

 韓日合併の三百年も前から、日本の売春婦(通称からゆき)達は、植民地経営のため東南亜諸国に進出してきた、英仏独など列強の国民達が集まるインドシナやマレー半島に渡って性業を営み、彼女らの活動範囲は年と共に広く東南亜各地に広がった。

 昭和5年の農産物価格下落と相次ぐ凶作のため、日本の農村の娘達が群れをなして都市の紅灯街に売られていった。貧しい家の娘も妻も、家族の命を支えるために身を売るのは韓国の『沈清伝』にも見られる如く、親への孝行として賞讃の的でもあった。

 韓国の娘達も、戦前から既に日本の大都市はもとより、軍の慰安婦とかかわりなく、北海道をはじめ日本の各地に、果ては樺太にまで売春婦として渡っている。終戦後にも日本に密航を企て、途中で捕まって大村収容所の厄介になった者は数千にのぼる。

 また朝鮮戦争のときの米軍基地周辺の淫売の盛業ぶりを見ても、慰安婦の職業自体を問題にして日本をなじることはできない。2005年の今に至るまでも、韓国各地では売春業が堂々とまかり通って、これを取り締まる当局との摩擦が絶えない。

 2003年2月6日付『朝鮮日報』の社説によると、韓国での紅灯街の年間売上総額が24兆ウォン(2兆4千万円)に達し、これは国内総生産の4・1パーセントにあたるという。この額は、電気・水道・ガス・水道事業を上回り、農林漁業に匹敵する数値である。第二次世界大戦が終わって58年経った現在の時点で、韓国の性業が都会の裏町で、あるいは米軍基地の周辺で、これほど活況を呈するのは、これが貧困層の重大な収入源であると同時に、国家産業に及ぼす影響を無視しえないからでもあろう。

(中略)

 慰安婦たちは日本人、朝鮮人問わず、戦場にしつらえた慰安所に配置されて売春業を強要された。これは基本的には、精神的にも肉体的にも健全な、明るい仕事ではない。

 しかし彼女らは、「お国のため」というおだてと、期待を上回る稼ぎに惹かれて、やがては帰郷して幸福な生活に帰る日を夢みながら、性業者としての平凡な、そして比較的安定した日々を送ったようである。

 また場合によっては性業ばかりでなく、臨時の看護婦として病院に勤務させられた者もいたし、ときに戦火の現場に巻き込まれた場合には、負傷兵の看護や戦死者の処理、果ては陣地間の弾運びなどをさせられた例もあった。

 朝鮮出身と日本出身とでは、いざという場合の心構えに個人差があったろうけれど、戦場にいったん立たされたら、本国兵も傭兵もその働きはあまり変わらないものである。その当時、朝鮮の慰安婦らは名前も皆、日本名になっていたから、精神的にも殆ど差異はなかったようだし、これら朝鮮人慰安婦達は概して好評を博していたようである。

 しかし終戦間際になって、南方の各戦場での敗戦と玉砕が相次ぐ中で、出身地を問わず、多数の慰安婦が極度の不安と重労働、飢えと強行軍のもとに、長期間の苦痛と多数の犠牲を強要された事実は忘れられない沈痛事である。

(後略)


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2 コメント

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Unknown (うーん)
2014-02-15 17:18:38
はあ、慰安婦を「淫売」扱いですか。

西村慎吾以下ですな。
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淫売 (犬鍋)
2014-02-25 00:11:59
慰安婦、売春婦、娼婦、女郎…

いろんな言い方がありますね。

売笑婦なんてコメディアンみたいだし、遊女は楽しそう。

韓国語には、淪落女(ユッランニョ)なんてのもあります。
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