犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

慰安婦問題に対する韓国裁判所の認識

2015-12-25 23:28:33 | 慰安婦問題

 朴裕河著『帝国の慰安婦』の出版差し止めの仮処分訴訟の「決定文」(今年2月17日)を見つけたので、読んでみました(ハングル原文→リンク、日本語訳文→リンク)。

 決定文には、慰安婦問題に対する韓国の裁判所の認識を示されています。来年に予定される名誉棄損の民事訴訟の判決や、刑事訴訟の審理にも影響が大きいと思いますので紹介します。

 まず、決定文の中にある、原告の陳述です。原告(元慰安婦)は9人ですが、このうち5人が、慰安婦になったきっかけや慰安婦生活の実態について陳述しています。他の4人の陳述がないのは、高齢のため陳述できる状態ではなかったのではないかと推測します。5人の現在の年齢は、88歳から93歳。

1) 原告イ・オクソン
 「15歳だった1942年7月頃、朝鮮人の男性2人から「あれこれ言わずついて来い」と言われ、口をふさがれてトラックに乗せられ、拉致され、中国延吉の日本軍部隊内の幕舎で強姦された。平日は少ない時で1~2人、通常は10人程度、週末は30~40人の軍人の相手をした。慰安婦たちが言うことを聞かないと、主人は軍人(憲兵)を呼んで暴行し、着るものも食べるものもひどい水準で、軍人たちがご飯を残せば慰安婦たちはそれを食べ、軍人たちが残さなければ食事を抜いた」

2) 原告パク・オクソン
 「18歳だった1941年、工場に就職させてやると言われ、軍隊のテントのようなものが被せられた汽車に乗って中国に連れて行かれたが、汽車を降りた後は軍の車に乗って日本軍部隊から少し離れた慰安所で、一日に10~15人以上の日本軍人の相手をし、軍人病院で身体検査を受けたこともあった。洗濯をしに出かけるときも、軍人に監視された」

3) 原告カン・イルチュル
 「16歳だった1943年秋頃、報国隊を選ぶと言う日本の巡査に強制的に連れて行かれ、故郷のサンジュから中国の瀋陽を経て牡丹江まで行き、牡丹江で降りてからは軍の車に乗って軍部隊内に入り、軍医官の婦人科検査を受けさせられた。病気のときも軍人の相手をしなければならなかった。腸チフスを患うと、軍人たちは私を乗せて殺そうと山に連れて行ったこともあった」

4) 原告キム・クンジャ
 「17歳だった1942年、軍服を着た男から中国琿春に強制的に連れて行かれた。多いときは一日に40人程の軍人の相手をし、毎週金曜日に軍医官が性病検査などをした。生理のときも休めず、軍人たちがたくさん来る日は40人の相手をした。日本語が聞き取れず、日本軍の将校に殴られて鼓膜が破れたこともある」

5) 原告キム・スンオク
 「20歳だった1942年頃、工場に行けばお金を稼げると言う、ある朝鮮人男性の言葉に、どこに行くかもわからないまま、中国牡丹江に行った。逃げて捕まったら殺されるため、逃げることは考えられなかった。一緒にいた慰安婦の中には自殺した者もいた」

 上の陳述を整理すると、

慰安婦になった年齢は、15歳、16歳、17歳、18歳、20歳。

慰安婦になったきっかけは、拉致が2人、騙しや甘言が3人。

募集をした人は、朝鮮人が1人、日本人が1人、残りの3人は不明。日本人は「巡査」。国籍不明のうち1人は「軍服を着ていた」。

相手をした人数は、「少ないときで1日に1~2人、普通は10人、多いときで30~40人」、「一日に10~15人以上」、「一日に40人程度」

軍医から性病検査を受けた者が3人。

輸送に軍が関与したと証言したのは2人。

慰安所の主人(経営者)の話をしたのは1人。

 その他の証言として、「強姦された」「(主人または軍人から)暴行を受けた」「軍人になぐられて鼓膜が破れた」「軍人の食事の残りを食べた」「洗濯のときも軍人に監視された」「生理のときも休めなかった」「殺されそうになった」「仲間が自殺した」など。

 これらの陳述と、その他の資料から、裁判所は慰安婦問題について、次のような認識を示しています。

慰安婦の動員について

証言を根拠に、
➢日本軍が直接的な暴力、拉致などによって強制連行した。
➢年齢は10代中盤から後半だった。
➢輸送に日本軍が直接介入した。
➢軍医官が検診した。


国連の各種報告書(クマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書、国連人権委員会の2008年の報告書)や河野談話を根拠に、
➢軍が直接慰安所を設置・運営し、統制した。
➢数万人以上を動員した。
➢募集は、民間業者が欺瞞、人身売買などを行った場合が多かった。
➢植民地体制下で、憲兵と警察等が連携して動員した。
➢軍が慰安婦の輸送に深く介入した。
➢抵抗すると軍人が暴力を振るったり、脅迫したりした。


慰安婦たちの生活は、
➢まともな衣食住を与えられなかった。
➢休みも与えられなかった。
➢多いときは1日に20~30人の軍人の相手をした。
➢拒否すると殴られ、殺されることもあった。
(根拠は5人の証言か?)

 そして上のような慰安婦認識の下に、裁判所は「日本国と日本軍が慰安婦を強制動員したのは、歴史的事実である」と断定します。

 また、原告らのような軍慰安婦は、日本の売春婦とは質的に異なっており、
➢ほとんどが10代ないし20代前半の女性であった。
➢意思に反して日本国と日本軍によって強制動員された。
➢戦時下の中国、東南アジアなどの慰安所に閉じ込められ、監視された。
➢最小限の人間らしい生活も保証されなかった。
➢一日に数十人の軍人を相手に性行為を強要された。
 これらのことから「軍慰安婦は「性奴隷」である」と断定します。

 次に、日本政府の責任については、次のように述べます。
➢日本軍が慰安婦を強制連行したこと、
➢慰安所の設置・運営等に直接間接に介入したこと
➢動員の強制性、慰安婦の規模、慰安所での「性奴隷」生活の実態
などから見て、日本軍慰安婦制度は、奴隷制を禁じた国際慣習法やILO条約等に違反し、ニュルンベルク国際軍事裁判所の「人道に対する罪」に該当する、歴史上類例を見ない反人道的な不法行為(犯罪行為)である。また、民間業者たちが欺瞞、人身売買などで募集した場合も、日本軍は刑法上、共犯責任を負う。

 したがって「日本は慰安婦たちに対して賠償責任がある」と断じます。

 また、個人請求権については、1965年の日韓条約および請求権協定の交渉過程で日本が植民地支配の不法性を認めず、支配の性格について合意に至らなかったため、日本の反人道的不法行為や植民地支配による不法行為の損害賠償請求権は、協定の対象に含まれるとはいえない。そして、たとえ慰安婦の請求権が協定の対象に含まれているとしても、国民の同意なしに個人請求権を消滅させるのは近代法の原理に反するので、慰安婦の個人請求権は請求権協定によって消滅しない、と述べています。

 こうした認識の下に、裁判所は『帝国の慰安婦』の34個所について、削除しなければ原告らの名誉が侵害されるとして、削除を命じる仮処分を決定しました。

 ただし、朴教授が、
➢軍慰安婦の募集において民間業者の責任を強調していること、
➢日本国が軍慰安婦たちに対し直接的な国家責任を負わず、たとえ責任があるとしても請求権協定を通して消滅していること、
➢日本国の朝鮮半島の植民地支配は、法的に有効である

などと叙述している点については、裁判所の認識とは異なるが、これは法律の専門家ではない朴教授の単純な意見表明であって、憲法上保障される学問の自由や表現の自由の保護領域内にあるので、裁判所がその表現を禁止するよりも、自由な討論と批判などを通じて市民社会が自ら問題を提起し、これを健全に解消するのが望ましい、としています。

 上の裁判所の認識は、「韓国の常識」となっている内容ですね。朴教授は、『帝国の慰安婦』によって、このような韓国の常識に疑問を呈したわけですが、裁判所には通用しませんでした。

 裁判所の認識がおかしいのは、慰安婦の認識の根拠として、原告の陳述を使っていること。陳述がどのような過程で行われたのかわかりません。裁判官が、原告らに対して直接行ったのでしょうけれど、原告たちは88歳から93歳という高齢ですし、原告側弁護士立ち会いの下に、誘導尋問的に、都合のいい部分だけを聞き出したのでしょう。慰安所の運営者が軍人なのか民間人なのか、それは日本人か朝鮮人かであるとか、お金の授受があったのかなかったのか、など、とても重要な情報が抜けています。

 もう一つ気にかかるのは、裁判所がはたしてこれらの証言の裏をとったのか、とる努力をしたのかという点。まさか、元慰安婦の言うことはすべて無条件で正しい、と裁判所が考えているはずはないでしょう。

 それから、慰安婦認識の根拠が、証言以外に、国連の報告書と河野談話である点。

 クマラスワミ報告書について、『帝国の慰安婦』は、虚構であることがわかっている「吉田証言」を根拠にしていること、慰安婦の年齢が14~18歳とされていること、動員に学校制度が利用されたと書いていること、20万の朝鮮人女性、大半の女性を殺したなどと書いている点を問題にしています。マクドゥーガル報告書も、「20万人のうち14万5千人を殺した」としている点で、問題が多い。

 さらに河野談話は、朴教授が『帝国の慰安婦』で書くとおり、軍人が強制的に連れて行ったという意味での強制連行は認めておらず、業者による本人の意思に反した募集という間接的な強制性しか認めていませんから、「日本国と日本軍が慰安婦を強制動員した」ことの証拠にするのはおかしいです。

 裁判所が、『帝国の慰安婦』をチェデロ(きちんと/まともに)読んだのか、疑わしいと言わざるをえません。

 また、裁判所は決定文の冒頭で、

「日本軍慰安婦の数は8万人から10万人もしくは20万人程度と推定されており、そのうちの80%は朝鮮女性であり、残りはフィリピン、中国、台湾、オランダなどの女性たちである」

として、軍慰安婦から日本人慰安婦を除いています。

 こうすることで、『帝国の慰安婦』が、「日本軍慰安婦の苦痛が日本人娼婦の苦痛と変わらない」と書いたことを、原告らに対する名誉毀損としているのですね。

 この認識も極めておかしい。「朝鮮人慰安婦はすべて無垢な乙女」「日本人慰安婦はすべて売春婦」という、韓国の常識に沿ったものです。そして、朴教授が指摘するとおり、こうした認識は「売春」に対する差別意識が顕著です。

 仮処分の決定をした裁判官と、民事訴訟、刑事訴訟の裁判官は違うのでしょうけれども、裁判所のこのような慰安婦認識を見ると、残り二つの裁判の行く末がとても心配です。


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