犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日帝時代の人口④~台湾の場合

2008-01-25 00:05:50 | 近現代史

 あの時代,朝鮮半島以上の人口増加を示した地域がありました。それは,同じく日本の植民地支配下にあった台湾です。台湾のすごいところは,その事実をきちんと「国定国史教科書」に書いちゃうところ。

第八章 日本の植民地統治時期の教育、学術、社会

第二節 社会の変遷

人口の激増

 日本の植民地統治時期、総督府は熱帯伝染病に対し、有効な予防・治療をおこない、公衆衛生を強化し、交通、産業、教育などを改善した。このため、台湾の人口は長期にわたり高い出生率を維持し、死亡率が大幅に低下した結果、人口は不断に増加した。一八九六年当時の人口は約二百六十万人で、一九四三年には約六百六十万人(在台日本人を含む)にまで増加した。優に二・五倍も増加したわけで、その増加速度は世界でもトップであった。(注①)
【注釈】①一九三〇年から四一年の間、台湾の人口の年平均増加率は二・五%で、世界主要国の二~十倍に相当し、世界一位であった。

 
台湾の教科書はこのほかにも,土地制度の改革,貨幣と度量衡制度の統一,交通網の整備,農業改革,米の増産と砂糖王国の樹立,工業化への進展,教育と学術の発展,纏足追放と断髪の普及,時間厳守の観念の養成,遵法の精神の確立,近代的衛生観の確立などの見出しを立てて,日本統治時代を肯定的に評価しています。(→リンク

 もちろん,韓国の国定国史教科書は「人口倍増」に触れるわけがない。人口統計を載せていた「民族文化事典」はといえば,人口増加ではなく「海外流出」を問題視して,「日帝の強圧と収奪のせいだ」などと分析する始末。

 以下に訳出してみました。

韓国民族文化事典「人口-日帝強占期の人口」

(1)人口成長

 日帝強占期の韓国の人口の成長は,日帝植民地政策でわが国をはじめとしたアジア地域に対する軍国主義拡張という政治的 ·軍事的要因によって,大きな影響を受けた。したがって,この時期の人口分析においては,人口の自然増加をもたらす出生と死亡の要因だけでなく,日帝の抑圧と収奪の中で,生存のために国外へ流出した人口移動の要因もまた,人口変動に大きく作用している。

 1910~44年の国内の人口成長推移を見れば,1910年の1,313万から1944年の2,512万へ,約1,200万の実数増加があり,年平均1.9%の人口成長率を見せている(表2参照)。日帝強占期の人口動態は,多数の申告もれのせいで正確な測定が不可能だが,全般的に高出生・高死亡の人口動態パターンを見せ,これを反映してこの時期の人口の年齢構造も典型的なピラミッド型になっている。

(2)人口移動

 この時期の人口成長に大きな影響を与えた人口移動要因は,出生・死亡による人口の自然増加要因以外に,植民地支配と収奪のための日本人の韓国流入と,政治的迫害,経済的窮乏から逃れようとする韓国人の海外流出という,方向を異にする二つの国際人口移動の流れを生んだ。


 最初の国勢調査が実施された1925年に,すでに44万を越える日本人が韓国に居住しており,1940年にはその数が約71万になり,その間(1925~40)日本人は26万の実数増加,年平均3.2%という非常に高い流入率をみせた。わが国が日本から解放された1945年当時,韓国人の海外居留民はざっと満洲地方に約160万,日本に210万,中国本土に10万,旧ソ連に20万,アメリカなどその他地域に約3万で,計400万人が超えると推算され,この数は当時韓半島内に居住していた韓国人の約6分の1にあたるほどの多さである。


 日帝36年間に,このように大量の韓国人の海外流出は驚くべきことであり,特にこれらが単なる移民ではなく,本質的に日帝の強圧と収奪に耐えられずに生存と生活手段を求めて祖国を去った流民であるという点が,この時期における韓国人の移動特性だ。日中戦争(1937年)以前の韓国人の日本流入は,軍需産業の膨脹とこれによる労働力需要の急増にともなう出稼ぎ労働的なものである。この時期に渡日した韓国人は,計70万以上で,年平均4~5万人が日本に流入し,本質的に労働移民の性格を帯びていた。


 その後の日本流入は,日帝の太平洋戦争勃発(1941)と,これを遂行するための強制的な人力動員の性格を帯び,この時期に渡日した韓国人の数は計120万人以上に達する。これ以外にも第二次大戦中,軍人として23万人,軍属として15万人,女子挺身隊として20万人という多数の人員が動員され,これらは永住でもなくて定住地もない戦時の強制動員による人口大移動だった。満洲地方への韓国人流出は,日帝の政治的弾圧と土地収奪で生活手段を失って祖国を去った難民であり,本質的に永住の性格を帯びていた。韓日合邦当時,すでに20万人以上の韓国人がおり,この数は1925年に53万に増加している。在満韓国人はその後も増え続け,解放当時約200万を越える人々が満洲に居留していたと推定される。


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8 コメント

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大人と小人 (スンドゥプ)
2008-01-25 13:03:53
孔子曰く、君子に三畏(さんい)あり。天命を畏(おそ)れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言を畏る。小人(しょうじん)は天命を知らずして畏(おそ)れざるなり。大人に狎(な)れ、聖人の言を侮(あなど)る。
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よくわかりませんが… (犬鍋)
2008-01-29 23:54:48
台湾が大人で,韓国が小人なんでしょうね。
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先日、朝日新聞で (スンドゥプ)
2008-01-30 09:26:25
台湾が親日的になのには理由があると、誰かが書いてました。
しかし戦争直後の事情なのに、未だに教科書で好意的なのはなぜ?
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あの教科書 (犬鍋)
2008-01-30 22:54:09
が出たのは1998年。李登輝時代ですね。京都帝国大学出身で,帝国陸軍軍人だった彼の意向が反映しているのでは?
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朝日の記事 (スンドゥプ)
2008-01-31 11:07:13
朴裕河(世宗大副教授)のコメントでした。
台湾は中国の共産主義と対立する構造の結果、日本の植民地時代に対するよいイメージを持ち続けなければならなかったのだそうだ。
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でも… (犬鍋)
2008-02-02 00:50:47
その論理でいくと,北朝鮮という共産主義と対立する構造の韓国が,なぜ反日?
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Unknown (saizwong4915)
2008-03-17 10:28:34
>韓国人の海外居留民はざっと"満洲地方に約160万","日本に210万",中国本土に10万,旧ソ連に20万,アメリカなどその他地域に約3万で,計400万人が超えると推算され,この数は当時韓半島内に居住していた韓国人の約6分の1にあたるほどの多さである。

良く見て、当時の世界状況を理解していれば、このデータから著者のような結論はでないことがわかる。
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移民の理由 (犬鍋)
2008-03-18 00:19:48
saizwong4915さん,コメントありがとうございます。

労務動員は別として,日本への移民は生活移民(多くは密航)。

満州も,一旗上げるための移民が大半でしょう。
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