統計を素直に解釈すれば,
「日帝時代に近代化がなされ,食料が増産され,衛生状態がよくなり,人口が倍増した。日帝による搾取は,韓国で言われているほどには苛酷ではなかった」
となりそうなところですが,韓国でこのような解釈は許されない。日本の贖罪派の人々も,必死でこれを否定しようとします。
まず,「人口統計」を疑ってかかる。たとえば,水野直樹他『日本の植民地支配-肯定・賛美論を検証する』(岩波ブックレット,2001年)なる本。どうしても日本が悪かったことにしないと気が済まない人々が,よってたかって編んだ植民地支配否定・罵倒論です。
「肯定・賛美論が例外なく「歯切れのよい」論調であるのに対して,本書には「歯切れの悪い」内容が含まれているかもしれない。しかし,歴史的事実には多面的な性格があり,歴史の真実に忠実であろうとすれば,ある種の「歯切れの悪さ」を抱え込まざるを得ないということを私たちは大切にしたいと思う」(はじめに)
自分たちの旗色の悪さを,こういうふうに表現するようです。
で,この本の第10章に人口問題が取り上げられています。「Q10 日本支配下で朝鮮の人口は急増したのか」。そこに次の表が出ていた。
年/戸口調査人口/男女比/平均増加率/推計・国勢調査/指数
(女=100)(過去5年)
1910年 1,313(千人)113 8.6 1,631(千人)100
1915年 1,596 105 4.3 1,703 104
1920年 1,692 106 1.2 1,763 108
1925年 1,854 104 1.9 1,902 117
1930年 1,196 103 1.2 2,044 125
1935年 2,125 103 1.6 2,221 136
1940年 2,295 102 1.6 2,355 144
「推計・国勢調査」のうち,1910-20の推計は金哲『韓国の人口と経済』(岩波書店1965)による推計値。1925年以後は国勢調査。
「1910年の統計(戸口調査)は,それ以前の朝鮮半島の統計よりはマシだが,正確さに疑問がある。その理由は男女人口比。1910年の男女比は113で,1915年以降に比べ目立って高い。また1910~15年の平均増加率がやはり目立って高いため,1910年の人口に脱漏が多かっただろう」と推定する。そして,「いくつかの研究のうち,1910年の数字がいちばん少ないもの」が,表の金哲氏の推計値の1,631万人なんだそうです。
「これによれば,1910年から40年までの30年間に朝鮮人人口は約700万人,44%増えただけということになる」(つまり日本並で,特別朝鮮が高いわけではない)
日帝時代について論じるのだから1945年に近い数値を使うべきなのに,1940年の数字になっている(最後の国勢調査だからということでしょう)。
また,1910年は金哲の数字を使いつつ,同じ金哲の1945年の数字,2576万人は使わない。それに,なぜ海外居住人口を除外するんだろうか。人口増加率を低めに算出するための恣意的操作が感じられます。
あと,1910年の統計の信頼性を疑う理由が「男女比」ですが,男尊女卑の儒教倫理が強い韓国では,女児の間引きが広く行われていたことを考えると,理由をもっぱら「脱漏」とだけみるのが妥当なのか,やや疑問。これは,現在も,出産前の堕胎という形をとり,同様の傾向が見られます。
1990年の新生児の性比は116.5,1999年は109.6です(成人の性比は,101.4:1999年)。
1910年頃までは根強かった悪習(女児間引き)が,併合以後の啓蒙活動で少なくなったのではないか,という見方はうがちすぎでしょうか。
「日帝時代に近代化がなされ,食料が増産され,衛生状態がよくなり,人口が倍増した。日帝による搾取は,韓国で言われているほどには苛酷ではなかった」
となりそうなところですが,韓国でこのような解釈は許されない。日本の贖罪派の人々も,必死でこれを否定しようとします。
まず,「人口統計」を疑ってかかる。たとえば,水野直樹他『日本の植民地支配-肯定・賛美論を検証する』(岩波ブックレット,2001年)なる本。どうしても日本が悪かったことにしないと気が済まない人々が,よってたかって編んだ植民地支配否定・罵倒論です。
「肯定・賛美論が例外なく「歯切れのよい」論調であるのに対して,本書には「歯切れの悪い」内容が含まれているかもしれない。しかし,歴史的事実には多面的な性格があり,歴史の真実に忠実であろうとすれば,ある種の「歯切れの悪さ」を抱え込まざるを得ないということを私たちは大切にしたいと思う」(はじめに)
自分たちの旗色の悪さを,こういうふうに表現するようです。
で,この本の第10章に人口問題が取り上げられています。「Q10 日本支配下で朝鮮の人口は急増したのか」。そこに次の表が出ていた。
年/戸口調査人口/男女比/平均増加率/推計・国勢調査/指数
(女=100)(過去5年)
1910年 1,313(千人)113 8.6 1,631(千人)100
1915年 1,596 105 4.3 1,703 104
1920年 1,692 106 1.2 1,763 108
1925年 1,854 104 1.9 1,902 117
1930年 1,196 103 1.2 2,044 125
1935年 2,125 103 1.6 2,221 136
1940年 2,295 102 1.6 2,355 144
「推計・国勢調査」のうち,1910-20の推計は金哲『韓国の人口と経済』(岩波書店1965)による推計値。1925年以後は国勢調査。
「1910年の統計(戸口調査)は,それ以前の朝鮮半島の統計よりはマシだが,正確さに疑問がある。その理由は男女人口比。1910年の男女比は113で,1915年以降に比べ目立って高い。また1910~15年の平均増加率がやはり目立って高いため,1910年の人口に脱漏が多かっただろう」と推定する。そして,「いくつかの研究のうち,1910年の数字がいちばん少ないもの」が,表の金哲氏の推計値の1,631万人なんだそうです。
「これによれば,1910年から40年までの30年間に朝鮮人人口は約700万人,44%増えただけということになる」(つまり日本並で,特別朝鮮が高いわけではない)
日帝時代について論じるのだから1945年に近い数値を使うべきなのに,1940年の数字になっている(最後の国勢調査だからということでしょう)。
また,1910年は金哲の数字を使いつつ,同じ金哲の1945年の数字,2576万人は使わない。それに,なぜ海外居住人口を除外するんだろうか。人口増加率を低めに算出するための恣意的操作が感じられます。
あと,1910年の統計の信頼性を疑う理由が「男女比」ですが,男尊女卑の儒教倫理が強い韓国では,女児の間引きが広く行われていたことを考えると,理由をもっぱら「脱漏」とだけみるのが妥当なのか,やや疑問。これは,現在も,出産前の堕胎という形をとり,同様の傾向が見られます。
1990年の新生児の性比は116.5,1999年は109.6です(成人の性比は,101.4:1999年)。
1910年頃までは根強かった悪習(女児間引き)が,併合以後の啓蒙活動で少なくなったのではないか,という見方はうがちすぎでしょうか。
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