※ 村上春樹の小説の話ではありません。
人称代名詞は、印欧語ではとりわけ重要で、会話でも多用されます。
たとえば一人称単数の人称代名詞は、英語は I 、フランス語は je 、ロシア語は я です。
では、日本語の一人称単数代名詞は何か。
中学校の英語の授業では「私(わたし)」と習います。
でも、I、je、яと私はいろいろな意味で違いがあります。
まず、英仏露語では、一人称単数代名詞が一つしかないのに、日本語にはたくさんあることです。
私(わたし)、私(わたくし)、僕、俺、あたし、わし、おいら、吾輩…
そして、I、je、яは純粋に「一人称単数」という文法的機能を表しているのに、日本語の「私」は、独特のニュアンスを持っています。
中村明著『語感の辞典』(2010年、岩波書店)は次のように説明します。
わたし【私】
男では「僕」より改まった言い方、女では「あたし」よりやや改まった言い方で、ともに「わたくし」ほどは改まっていない和語。男女の比較では、男の場合は子供は用いず、女の場合は子供でも用いるし、ともに大人の場合は、男のほうが改まりの度合いが大きく、女の場合はごくふつうのことばに相当する。
ついでに、「僕」は、次の通り
ぼく【僕】
「俺」より丁寧で、「私」よりぞんざいな男の自称の漢語。「俺」に比べて青少年が多用する感じがあり、老年層の使用に若干の違和感を覚える場合もある。日常会話や改まらない手紙などで使われる。話し言葉の調子があるため、硬い文章にはなじまない。
当ブログの中で、私は自分のことを「私」と称しますが、ブログ中に出てくる会話での自分の発言では、「僕」と表現することが多いです。
実際、私が話し言葉の中で「わたし」を使うことは滅多にありません。家族の中では、絶対に使わない。仕事での会議など、あらたまった場では使うかもしれません。
還暦を過ぎた今、私が会話で「ぼく」を使うと、「若干の違和感」を覚えられてしまうかもしれないので、これからは注意しないとなりません。
印欧語とのもう一つの違いは、使用頻度です。
一人称単数に限らず、日本語の会話の中で、人称代名詞の使用頻度はきわめて低い。
特に、二人称(あなた、きみ…)は、私の場合、ほとんど使いません。話し相手を表現する必要がある場合は、名前(あらたまった場面では「さん」づけ)を使います。
三人称の「彼、彼女」も、話し言葉では滅多に使わないんじゃないでしょうか。最も使用頻度の高い場面は、中高の英語の授業だと思います(英文を訳すときに瀕用される)。
一人称単数の話に戻れば、日本語で「私(や僕)」を多用しなくても会話が成立するのは、会話においては、ある動詞の主語がだれであるかは、言わなくても、文脈や状況からわかるからですね。
ほかの言語だって、面と向かって話していれば、動詞の主語が自分なのか相手なのかぐらい、わかりそうなものですが、ここには特殊な事情があります。
英語の場合、「I do it.」(わたしがする)のIを省略してしまうと、「Do it!」(しろ!)という命令文になっちゃうんですね。
フランス語も、似た事情があります。動詞の一人称単数の形は、二人称(親称)の命令形と同じです(敬称の場合は違う形)。
一方、ロシア語の場合は、そのような心配はありません。なぜなら、一人称単数形と命令形は違う形だからです。
それだけではありません。英語は、6つの人称(数)で、三人称単数以外、すべて同じであり、フランス語の場合も、6つのうち3つもしくは4つが同じ音形(表記は違う)であるのに、ロシア語の場合、6つすべて音形が異なるので、極端に言えば、主語人称代名詞を言わなくても、動詞の形から人称と数がわかるのです。実際、一人称単数現在の主語は、しばしば省略されます。
日本語は、文法的な人称も数もありませんから、動詞の人称変化はありません。
私、あなた、彼(彼女)、私たち、あなたたち、彼らのどれが主語に来ても、動詞の形は同じです。
なのに、会話の中で人称代名詞を省略できるのは、前述のとおり、「言わなくても、文脈や状況からわかるから」です。
ロシア語と日本語は、まったく異なる理由から、どちらも人称代名詞を省略しやすい、という共通点をもっています。
人称代名詞は、印欧語ではとりわけ重要で、会話でも多用されます。
たとえば一人称単数の人称代名詞は、英語は I 、フランス語は je 、ロシア語は я です。
では、日本語の一人称単数代名詞は何か。
中学校の英語の授業では「私(わたし)」と習います。
でも、I、je、яと私はいろいろな意味で違いがあります。
まず、英仏露語では、一人称単数代名詞が一つしかないのに、日本語にはたくさんあることです。
私(わたし)、私(わたくし)、僕、俺、あたし、わし、おいら、吾輩…
そして、I、je、яは純粋に「一人称単数」という文法的機能を表しているのに、日本語の「私」は、独特のニュアンスを持っています。
中村明著『語感の辞典』(2010年、岩波書店)は次のように説明します。
わたし【私】
男では「僕」より改まった言い方、女では「あたし」よりやや改まった言い方で、ともに「わたくし」ほどは改まっていない和語。男女の比較では、男の場合は子供は用いず、女の場合は子供でも用いるし、ともに大人の場合は、男のほうが改まりの度合いが大きく、女の場合はごくふつうのことばに相当する。
ついでに、「僕」は、次の通り
ぼく【僕】
「俺」より丁寧で、「私」よりぞんざいな男の自称の漢語。「俺」に比べて青少年が多用する感じがあり、老年層の使用に若干の違和感を覚える場合もある。日常会話や改まらない手紙などで使われる。話し言葉の調子があるため、硬い文章にはなじまない。
当ブログの中で、私は自分のことを「私」と称しますが、ブログ中に出てくる会話での自分の発言では、「僕」と表現することが多いです。
実際、私が話し言葉の中で「わたし」を使うことは滅多にありません。家族の中では、絶対に使わない。仕事での会議など、あらたまった場では使うかもしれません。
還暦を過ぎた今、私が会話で「ぼく」を使うと、「若干の違和感」を覚えられてしまうかもしれないので、これからは注意しないとなりません。
印欧語とのもう一つの違いは、使用頻度です。
一人称単数に限らず、日本語の会話の中で、人称代名詞の使用頻度はきわめて低い。
特に、二人称(あなた、きみ…)は、私の場合、ほとんど使いません。話し相手を表現する必要がある場合は、名前(あらたまった場面では「さん」づけ)を使います。
三人称の「彼、彼女」も、話し言葉では滅多に使わないんじゃないでしょうか。最も使用頻度の高い場面は、中高の英語の授業だと思います(英文を訳すときに瀕用される)。
一人称単数の話に戻れば、日本語で「私(や僕)」を多用しなくても会話が成立するのは、会話においては、ある動詞の主語がだれであるかは、言わなくても、文脈や状況からわかるからですね。
ほかの言語だって、面と向かって話していれば、動詞の主語が自分なのか相手なのかぐらい、わかりそうなものですが、ここには特殊な事情があります。
英語の場合、「I do it.」(わたしがする)のIを省略してしまうと、「Do it!」(しろ!)という命令文になっちゃうんですね。
フランス語も、似た事情があります。動詞の一人称単数の形は、二人称(親称)の命令形と同じです(敬称の場合は違う形)。
一方、ロシア語の場合は、そのような心配はありません。なぜなら、一人称単数形と命令形は違う形だからです。
それだけではありません。英語は、6つの人称(数)で、三人称単数以外、すべて同じであり、フランス語の場合も、6つのうち3つもしくは4つが同じ音形(表記は違う)であるのに、ロシア語の場合、6つすべて音形が異なるので、極端に言えば、主語人称代名詞を言わなくても、動詞の形から人称と数がわかるのです。実際、一人称単数現在の主語は、しばしば省略されます。
日本語は、文法的な人称も数もありませんから、動詞の人称変化はありません。
私、あなた、彼(彼女)、私たち、あなたたち、彼らのどれが主語に来ても、動詞の形は同じです。
なのに、会話の中で人称代名詞を省略できるのは、前述のとおり、「言わなくても、文脈や状況からわかるから」です。
ロシア語と日本語は、まったく異なる理由から、どちらも人称代名詞を省略しやすい、という共通点をもっています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます