犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

李春植さん、逝去

2025-01-31 19:36:04 | 韓国雑学

 元「徴用工」の李春植(イ・チュンシク)さん(冒頭写真)が101歳で亡くなったことを、ソウル発共同電が簡単に伝えています。

【ソウル共同】韓国の元徴用工らを支援する市民団体は27日、韓国で日本製鉄(旧新日鉄住金)を相手取った賠償請求訴訟で勝訴した元徴用工の李春植さん(101)が同日午前8時57分(日本時間同)ごろ、老衰のため南西部光州の医療施設で死去したと明らかにした。

 韓国政府傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」が賠償を肩代わりするという政府の解決策に李さんは当初反発していた。財団関係者によると昨年10月に受け入れた。

 李さんは南西部の全羅南道羅州出身で、日本に渡り、1940年代に岩手県釜石市の製鉄所に配置された。2005年に韓国で訴訟を起こし、18年10月に最高裁で勝訴が確定した。


 李さんが亡くなったことについて、文在寅(ムン・ジェイン)前大統領がSNSに追悼のコメントを出したことを、中央日報が伝えています。

文前大統領、「日本強制動員」の李春植さん死去を哀悼…「恥ずかしくない国をつくる」

「日本製鉄の強制動員被害者・李春植さんが102歳を一期として亡くなったという残念な消息を聞いた」とし「故人の生涯と意志を記憶し追悼し、遺族に深い哀悼の気持ちを伝える」

「李春植さんは戦犯企業である日本製鉄に対して損害賠償訴訟で歴史的勝訴を引き出した主人公だった」

「李さんが勝訴の喜びに先立ち、先に亡くなった仲間に思いを馳せながら涙を流していた記憶が今も新しい。その悲しみと喜びの涙はわれわれ全員の涙だった」

「李春植さんが歴史を証言して一生懸命見せた人間尊厳の精神と不屈の意志をわれわれ後代がしっかりと受け継ぎ、恥ずかしくない国をつくっていきたい」

「謹んで故人のご冥福を祈りつつ、平安な安息を祈っている」


 中央日報の解説によれば、

 李春植さんは、1940年代新日鉄住金の前身である日本製鉄の日本製鉄所に強制動員され、劣悪な環境でつらい労役を強いられ、日帝が崩壊した後に帰国したが労役に対する賃金を受け取ることができなかった。大法院(最高裁)は2018年10月、日本製鉄・三菱重工業など強制労役日本企業の損害賠償責任を認める判決を下したが、被告企業がこれを受け入れなかった。韓国政府は、日本企業が出さなければならない賠償金を、日帝強制動員被害者支援財団が募金したお金で代わりに支給する「第三者弁済方式」という解決策を発表し、李さんはこれを受け入れて昨年10月に賠償金・遅延利子を受領した。

ということです。

 韓国政府の「解決策」は、15人分の判決金と利子の総額40億ウォン(約4億円)を、財団が出すというもの。一人当たり、2千万円以上になります。

 李春植さんについては、韓国の李宇衍(イ・ウヨン)氏、朱益鍾(チュ・イクチョン)氏が論文を発表しています(『反日種族主義との闘争』)。

 朱益鍾の調査によれば、李春植は17歳だった1941年、大田(テジョン)が募集した報国隊に志願したそうです。「報国隊」(勤労報国隊)は、学生、女性、農民を農繁期の農村や土木事業現場に短期的に動員するもの。41年に国民勤労報国隊協力令発布後、報国隊に召集された場合、応じなければならない法的義務が生じました。

 李春植は「報国隊として日本に連れて行かれた」と法廷で陳述していますが、日本製鉄の工員募集は短期臨時のものではなく、法令によって応じなければならないものでもなかったので、陳述は信ぴょう性に欠けます。「連れて行かれた」のではなく、自分の意思で応募したものでしょう。

 渡日後、李春植は釜石製鉄所で働き、1944年に徴兵されて軍事訓練を受け、神戸で米軍捕虜の監視員になりました。

 国民徴用令にもとづく徴用は、韓国では1944年9月から実施されました。それ以前に募集(民間または官斡旋)で渡日した労働者も、44年9月に「現員徴用」されました。

 李春植の場合、1941年に渡日し、44年には徴兵されているわけですから、「徴用工」だった時期はないはずです。

 李春植は、「三年間働いたが、月給を貰ったことがない」とか、「貯金をしてあげるからという言葉を聞いただけ、賃金を貰ったためしがない」と言ったそうです。

 ところが、李春植が働いていた釜山製鉄所の未払金の記録が残っていて、李春植の未払金は23.80円だったそうです。これは、約100円だった月給の4分の1以下。給料はきちんと受け取っていて、最後の月の分だけ、全額はもらいそこねた、ということでしょう。

「賃金を貰わなかった」という証言も、信ぴょう性に欠けます。

 文前大統領のSNSを読むと、李春植さんは、「日本の戦犯企業から賠償金を勝ち取った英雄」という扱いです。

 くり返しますが、 李春植さんはそもそも徴用工ではなかったし、「賃金を貰わなかった」という証言も疑わしい。

 2018年の徴用工裁判の判決については、以前、検討したことがあります。

徴用工問題では1ミリも譲歩すべきではない
元徴用工判決は日韓合意に反している
18年最高裁判決の少数意見

 李春植さんが亡くなって、あたかも歴史的事実のように「強制動員され、劣悪な環境で労役を強いられ、賃金を受け取ることができなかった、悲劇の被害者」というふうに伝えられることで、この間違った内容が韓国の「定説」になっていくのでしょう。嘆かわしいことです。

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