犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日本語と韓国語⑤~日本語系統論

2008-02-29 00:20:04 | 言葉

 数年前に亡くなった言語学者、千野栄一が、1974年に書いた言語学エッセイに、日本語系統論を扱ったものがあります。

 それによれば、それまで日本語系統論のブームは3回あった。

 第一回目は、1955年に出た『万葉集の謎』という本で、ヒマラヤ山中の小国シッキムに滞在したことのあるお医者さん、安田徳太郎博士の「日本語・レプチャ語同系論」。
 レプチャ語で雨を「ドシャ」といい、これは日本語の「ドシャ降り」と関連がある、といったたぐいの他愛もない読み物で、言語学者には相手にされなかったものの、けっこうなベストセラーになった。


 その次は、1957年、国語学の大家、大野晋が、人類学、考古学、民俗学を動員して世に問うた『日本語の起源』で、日本語と韓国語の同系論
 これは言語学者も無視することができず、服部四郎が1957年、『日本語の系統』でさんざんに批判した。「音韻の理解が間違ってる」とか、「言語のことは言語学者にまかせろよ」なんて言われちゃった。


 三回目は、このエッセイが書かれた1974年。その前年に発見された高松塚古墳を契機に、日本語と高句麗語の関係がにわかに脚光を浴びた。中心になったのは、縄文時代の南方語(インドネシア語)を基層言語として北方系のアルタイ語(高句麗語)が被さったとする、村山七郎の説。

 そのあと、何回のブームがあったかは知りませんが、『人麻呂の暗号』やら『万葉集は韓国語でよめる』やらがベストセラーになった1990年頃も「日韓同系論」のブームといっていいでしょうし、韓国語からタミル語に「転向」した大野教授が、捲土重来で出した『日本語の起源(新版)』(1994)や,『日本語の形成』(2000)も話題になった。系統論への未練を捨てて、「計量言語学」という手法で新説を出した安本美典もいる。

 千野栄一によれば、日本語系統論の学者には二つのタイプがあるそうな。

 一つは、悲観的なハムレット型学者

 東洋の言語を専攻し、印欧語比較言語学に精通している人が多い。とにかく疑り深くて、

「学問というものは、自らたてようとする仮説にもっとも不利な資料を集めてきても、どうしてもその仮説を立てざるを得ないというような厳密さを要求するものだ」

と考えている。日本語は、琉球語との同系は証明されたが、朝鮮語、アイヌ語との間では成立しない、朝鮮語とアルタイ諸語の間も疑問、そもそも「アルタイ諸語」なるものが語族をなすかどうかも未解決という立場をとり、当然の帰結として日本語とアルタイ語との比較はとりあげもせず、「ウラル・アルタイ」などと無神経に言う人の論には耳もかさない。

 ここで念頭に置かれているのは、たぶん河野六郎と服部四郎。

 当代きっての朝鮮語の大家、河野六郎は

「母国語の起源を問い、その系統を考えること自体は意義のあることに相違ないが、残念ながら資料の制約はその追求の望みを絶ってしまう。言語に関して系統を明らかにするような新しい資料の出土はまずもって脈がない」

と、日本語系統論の事実上の断念を宣言してしまうなど、暗い話ばかり。


 もう一つは、楽観的なドンキホーテ型の学者

 これには二派があり、ハムレット型学者の結論に不満で、悪条件にもめげず真実を追求しようとする求道者タイプと、信念によってすでに日本語の系統が見えている人たち。
 彼らの特徴は、比較言語学の不正確な知識からくる、事実の誤り、独断、非科学的な論述。言語学において常識的に使われている術語を、断りもなく異なった意味で用いたりする。名指しはしてないものの、大野晋と村山七郎を指していることは明らかです。


 ただ、千野は、これらドンキホーテ型の人が学界に貢献する場合があることを、トロイの発掘に貢献したシュリーマンと、ゲルマン語の子音法則を無視してヒッタイト語のezzatteni(君たちは食べる)と古高地ドイツ語(esset)を対応させ笑い者になりながら、終局的に正しかったことが証明された、フロズニーの例を挙げて示してもいます。


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25 コメント

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それでも地球は回っている (スンドゥプ)
2008-02-29 11:00:59
ガリレオみたいに後で真実が判明するようなことにはなかなかならないと思う私は、ハムレット型かな。
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ガリレオ (犬鍋)
2008-03-02 16:24:32
当時の望遠鏡の精度を考えると,「木星の衛星を見つけた」と言うガリレオを信じないほうがまともな感覚だった,というのを,大学のときの科学史の授業で聞いたことがあります。
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今春永さま (犬鍋)
2012-01-04 20:32:54
ブログを開設されたのですね。

おめでとうございます。

以下にブログのアドレスを掲げます。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/

今までのコメントはすべてこのブログにあるようですので、当ブログからは削除させていただきます。
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「現日本語」と「現朝鮮語」の類似語はなぜ少ないか (今 春永)
2012-01-09 10:57:02
「現日本語」と「現朝鮮語」の類似語はなぜ少ないか

「現日本語は古代朝鮮語と同じではないか」ということについて私見を述べます。現日本語といっても、大和言葉(和語)に限定する必要があります。現在の和語は、「記紀」「万葉」の言葉とほとんど同じです。「記紀」「万葉」は飛鳥~奈良時代の渡来人によって書かれたものであると、多くの古代史研究家が述べていることからすれば、「記紀」「万葉」は古代朝鮮語で書かれたことになります。
 では、なぜ「現和語」と「現朝鮮母語」の類似語が少ないかということです。
私見による推測になりますが、現和語は「百済王朝の言葉」を主とし、現朝鮮母語は「朝鮮統一をした新羅王朝の言葉」を主とするのではないかということです。従って、古代朝鮮全土は方言だらけで、国が異なると言葉が通じなかったと推測されます。もし、現朝鮮母語が新羅王朝の言葉を継続しているとすれば、百済王朝と新羅王朝の間では言葉が通じず通訳が必要であったかもしれません。勿論、日本の方言の違いからもわかるように、百済王朝と新羅王朝の言葉の差は「鹿児島弁」と「東北弁」の違い程度であり、語法が同じであるから、案外通訳が容易であったのではないかと思われます。第一、言葉の約80%は漢字語(言葉)であるから、相互の母語部分はさほど苦なく対処できたのではないかと推測されます。

 新羅王朝の古代文献について皆目知らないので何とも言えませんが、日本の古代文献の言葉は、「古今和歌集」「源氏物語」「土佐日記」・・などの一連の文学作品の和語と同じで、江戸、明治~昭和の文学作品の和語ともほとんど同じであるから、百済王朝の言葉を主とするものが現和語の水源であると推測されます。
現朝鮮母語が、どの程度「新羅王朝の言葉」の影響下にあるかは朝鮮の学者でなければわからないでしょう。しかし、日韓語は、本質的にそっくりであり、学習すればするほど、言語の基層世界において双子が親子ではないかと思われるほど似ていることに気づきます。
例えば、擬音・擬態語「うわっははは ウワハハハ」「うふふふ ウフフフ」「えへへ えへへ>」「おほほ オホホ」「ごとんごとん ゴトンゴトン」「こら コラ」「ころころ クルクル」「こん コン」「こんこん コムコム」「さくさく サクサク」「ざくざく ジャクジャク」「さらさら サルサル」「さんざん サンサン」・・などのように意味をともなわないものはそっくりな言葉が多い。
言葉の類似性にとって、最も大きなポイントになるものは、二国間の人々の「発想」「表現習慣」「歴史的な言語基層の共通した流れ」・・などです。例えば、おでん屋での「あなたは豆腐ですか」「いや、大根です」という会話は、日韓人ならすぐ解釈できる。この表現は「言語の本質」にかかわることであり、単語が似ているかどうかという単純な比較を超えた重要なポイントです。なぜなら日韓語ほど通訳しやすい言葉はないでしょう。政治・経済に関する韓国の新聞記事をパソコンの翻訳機で翻訳するとき、瞬時にそっくりな和文に変わります。あまりにもそっくりな文になるので驚嘆するほどです。
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毎度 (犬鍋)
2012-01-09 17:07:50
コメントありがとうございます。

今回の投稿はご自身のブログ記事とは違っていたので、削除していません。

コメント内容は、残念ながら私の読解力では何がいいたいのかよくわかりませんでした。

現代日本語と現代朝鮮語には類似語が少ない。それは、現代日本語は百済王朝の言葉であり現代朝鮮語は新羅王朝の言葉で、百済王朝と新羅王朝の言葉が違っていたからだ。

というところまではわかりました。

それがそのあとの
「百済語と新羅語は方言程度の違いしかない」
とか
「漢字語が80%」
とか
「現代韓国語と現代日本語が似ている」
ということにどうつながるのかがわかりにくい。

要するに、理屈はともかく
「現代日本語と現代韓国語が同系であると私は信じる」
ということだというように理解しました。
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現日本語」と「現朝鮮語」の類似語はなぜ少ないか (今 春永)
2012-01-10 15:35:57
解りにくいところがあるようですので追加します (1)

この記事は、古代史研究家の諸先生の著書から私が推測して書いていますのでそれが正しいものであるという結論をもたないで下さい。しかし、縄文時代と弥生時代が区別されているのを、さもあらんと思うように虚構の話になるばかりではないでしょう。その辺の判断は個人個人の力量によって異なります。できるかぎり多くの説を参考にして結論を出せばいいでしょう。

日朝語は2万年前に別れた、いや5000年前だなどと学者らしき方がお書きなっているのを読むと、学のない者は「なるほど、2万年前~5千年前に別れたのか。だから現日本語と現韓国語は違うのだなどと納得してしまう。偉い先生がおっしゃるがゆえに一層信じてしまう。しかし、よく考えて見ると、いわゆる一国の共通語 (標準語) ができたのは国によって異なるけれども、日本の場合だと、おそらく明治~昭和のころであったでしょう。朝鮮の場合も、おそらく、新聞・書籍・ラジオなどが全国に普及したころからでしょう。
従って、2万年前~5千年前に別れたという考えは、当時、朝鮮全土が共通語を使っていたという前提を置いていることになります。日本を見てもわかるように、おそらく、奈良時代は方言だらけで、他地域に行けば言葉が通じなかったのではなかったでしょうか。現在でも、鹿児島弁と東北弁は通じないでしょう。朝鮮も同じく、新羅が朝鮮統一をする前(いや以後も)方言だらけで、百済と新羅の言葉は通じなかったのではと推測されます。さらに言えることは、当時、一般民衆の方言のほかに「宮廷語 (王朝語)」があったわけで、限られた上層階級のハイクラスの言葉があったから、ことは複雑です。「宮廷語」も方言(限られた範囲の上級語)であるわけだから、百済王朝の言葉と新羅王朝の言葉は、いずれも「方言」であるために話が通じなかったと思われます。新聞・ラジオもなかった時代、言葉の共通化は困難であったと想像されます。

現大和言葉が「百済王朝の言葉(方言)」を継続するものであり、現朝鮮母語が「新羅王朝の言葉(方言)」を継続するものであれば、元々、方言同士で通じなかったわけだから、現在、日朝語に類似する言葉が少ないのは当然だということになります。勿論、百済の王朝語が現大和言葉の水源であるからと言って、新羅の王朝語が現朝鮮母語の水源であるということは断定できません(他国の歴史はわかりにくい)。
それでも、現日本語と現朝鮮語の類似語が少ないのは、いずれの言葉も古代の方言(各王朝語)を継続しているためではないかと思いたくなる。

しかし、類似語が少ないから日朝語は同系語ではないという説には疑問がある。それは単に類似単語の数に基づくもので、多視的に、言語の本質・基層世界などの面から見れば話は異なるのである。
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「現日本語」と「現朝鮮語」の類似語はなぜ少ないかへの回答 (2) (今 春永)
2012-01-10 20:06:25
“約80%は漢字語(言葉)であるから、相互の母語部分はさほど苦なく対処できたのではないかと推測されます”

現在、日韓語の約70~80%は漢字語であると言われている。日韓語が異なると言っても、全体から見れば約20~30%の母語が異なることになる。従って、韓国語を学習するのは、英独などを学習するより容易である。朝鮮が、百済、高句麗、新羅、伽耶王国群などにわかれていたころ、それぞれの国はそれぞれの言葉(方言)を使っていたから言葉が通じなかっただろう。しかし、現在の朝鮮語や日本語から推測して、殊に、王朝言葉は中国の影響下にあったから、言葉に占める漢字の割合は大きかったに違いない。従って、国が変われば言葉も変わると言っても、20~30%の部分での違いになり、通訳なども比較的容易にできたのではないかと推測される。

現在の日韓語から朝鮮三国時代の言葉を想像すると、百済王朝と新羅王朝の言葉は方言であったため単語は異なっていても、語法・発想・文末語・・などが現在の日韓語と同じようにそっくりであったと思われる。日本の方言を見てもわかるように、方言は、単語が異なっても語法・語順などはほとんど同じである。日帝時代、「日本語と朝鮮語の違いは方言の差にすぎない」と言って、日本語の学習を強要したという伝説があるが本当の話かもしれない。
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和語と百済語は全く別ものです (坂田三吉)
2012-01-11 09:33:17
記紀や万葉を百済人が書いたと言うのは全くでたらめです。これを根拠に和語は百済王朝の言葉と言うのもデタラメです。万葉集に相当するものは朝鮮には存在していません。自国に存在していないものをどうして言葉の通じない外国へ行って日本人にかわって作れるのでしょうか。百済語が和語になるためには百済が和を征服するとかそういう大きなことがなければなりません。百済は七世紀に亡びて、遺臣達が百済再興のために和に出兵を要請してきています。白村江で負けて百済人を連れて日本へ引き上げますが百済人は難民で居候です。大和言葉もわかりません。小数の人は大事にされたかもしれませんが基本的には底辺から立ち上がらなければなりません。和語が百済語という主張が全くの嘘です。
 朝鮮語と和語が同系統の語とすれば5000年前に分かれたぐらい違っています。それは基本的な語の違いから軽量できます。
 現日本語と現朝鮮語に類似語が少ないかと言う問題に対する解答は当時から和語と朝鮮語は類似語が少なかったからと言えます。これは基本的な語についてですが現代生活に必要な政治、経済、学術に関しては1000語ぐらいの日本生まれの漢字語が朝鮮と中国で使われていまして、これは類似語ではなく全く同じ単語です。
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坂田さんへの回答 (今 春永)
2012-01-11 16:00:30
「日本語と韓国語は同系語」を検索してそのブログをご覧になればわかると思いますので簡単に説明いたします。
(1) 縄文晩期約7.5万の人口を列島に散在させれば、縄文時代の倭人(原住民)はどこにいるのかわからなくなるでしょう。
(2)弥生~奈良時代にかけて、倭国の人口が60万~600万に増えたのは朝鮮からの渡来人によるものです。稲作や混血によるとする人もいますが、縄文人の子孫の人口があまりにも少ないので想像を超えています。
(3) 従って、いわゆる縄文人の「倭語 (日本語?)」は、日本列島の人口の約90%を占める渡来人 (農民) の方言によって席捲されたのです。
(4)渡来人の言葉と言えども、農民を主とする言葉ですから低層語彙に属し、万葉歌の高度な言葉と並列するような漢字を用いるものではありません。
(5) 従って、「万葉集」が書かれる前、日本にまとまった文献はありません
(6)「万葉集」は百済王朝の上層階級のエリート (漢字に精通し万葉仮名を駆使できる人々) が、「白村江の戦」の敗北によって渡来したころに書かれたのです。
(7)「万葉歌」を書いた人の社会的地位からもわかるように、数百年以上にわたり、吏読表記 (百済の万葉仮名) に精通して高度な朝鮮文化を形成し、その文化に浴していた知識層の系統を引く人たちでなければ、万葉歌がつくれるはずがありません。
(8)「万葉集」がつくられた飛鳥~奈良時代の大和王朝は、朝鮮からの渡来人によって維持され、政治・経済・文学・建築・・など当時の史跡はすべて渡来人によって形成されたものです。(縄文人の子孫の倭人は、その様子を都の片隅から眺望していたでしょう)。
(9)「万葉」「記紀」の言葉のほとんどが、現大和言葉に含まれているということは、現在の日本語の標準語 (和語) は大和朝廷の言葉(百済王朝の言葉)と同じだということになります。
くだくだ書くと切りがないので、もっと詳細に知りたいならば、タイトル「日本語と韓国語は同系語」を検索して吟味してみて下さい。今後、具他的な例を紹介して、現日本語と現朝鮮語がいかに似ているかを紹介いたします。

繁栄した現在の日本から古代を眺めているので錯覚をしてしまうのではないでしょうか。奈良時代でさえ方言だらけであったことを考え、当時の日本人が日本の標準語で「万葉歌」を書いたなどと思ってはなりません。
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コメント欄の使用について (犬鍋)
2012-01-12 21:52:58
「今後、具他的な例を紹介して、現日本語と現朝鮮語がいかに似ているかを紹介いたします。」

それはご自身のブログでお願いします。

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