コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

第61回日本PTA全国研究大会 三重大会 3

2013-08-29 00:46:41 | PTA

2日目は伊勢に移動しての全体会

ちょっと雨になりましたが、全国から集まった約8000名がアリーナに集います。
昨年の京都大会では8000人同時に収容する場所がなかったため、京都国際会館の大ホールをメインに4つのサテライト会場で之開催という手段を取るしかありませんでしたが、やはり一堂に会するというのは雰囲気が違います。

開会式では主催者や来賓の挨拶。
その中では会場のある伊勢市長のお話が印象的でした。
と書きながら、その内容を忘れてしまっている私…
数年かけて取り組まれて、何かの成果を出されたお話だったんですが、ぜひその取り組み過程のお話を聞きたいなと思ったのですが。
(また思い出したら何らかの形で…)

基調講演はバイオリニストの川井郁子さん。
子どもの頃の思い出、原風景。
難民キャンプ訪問や基金設立などを通しての国際的な活動。
自らの出産を通じての、子育て意識の変化などのお話を聞かせていただきました。

ただ・・・その7割がたはバイオリン演奏。
音楽を通じての感動はあるのですが、PTA研究大会の意識で参加したことを考えるとちょっと物足りなさも。

などと思い返してはいますが、その場で聞いた演奏の数々はすばらしく、その音色、演奏力など、本物の持つ訴える力はすばらしく、最後には”何か”に打たれて涙していたのは事実です。

具体的な話を聞くのとは違いますが、このPTAの集いに参加して心が動く時間をいただいたのは大事なことだと。


一年前、わけもわからず、ただ無事終えることを目指した京都大会。
このたび、ゆっくり二日間参加したことで、私がお手伝いしたものの中身がやっと知れてきました。

それまで知らなかったことを知る、ということの連続が、わたしのPTA活動ですね。
そんなわたしで、地元の中学校から様々な団体まで、これからもいろいろとまなびの場が続きます。


第61回日本PTA全国研究大会 三重大会 2

2013-08-25 15:08:57 | PTA

昨日アップした新聞画像、実は私写っております。

 

 

1日目午後は実践発表とパネルディスカッション。
分科会テーマは「組織運営」なので、基本テーマに沿った内容発表です。

ここでは、会場の津市にある学校の話題。
平成の市町村合併で津市に組み込まれた村にある小学校、過疎化・高齢化により、町民の数が昭和半ばより7分の1くらいまで減ることに。
それに伴い、統合統合を繰り返し、10校を超えていた小学校がついに1校にまで。

その最後の統合に伴う、学校・地域・PTAによる苦悩と対応の取り組みのお話でした。

統合による新しい学校のPTAという組織作りという点ではテーマに即しているかもしれませんが、かなり特殊な状況下の話として聞こえてきました。
もちろん、京都市においても周辺部で児童数減少の問題はありますのでまったく無関係ではありませんが。

統合の必要性として「子どもたちのために」ということが正面に出てくるのですが、それは「学業の場」としての小学校の役割が主体。
一方で、卒業生の心のよりどころや、地域の方々のコミュニケーションの舞台としての「コミュニティの場」としての小学校の役割を考えると、簡単に統合に賛成というわけにはいきません。

この二つの役割をどう捉えるかは、様々な部分で「学校のあり方」に影響を与えていきますね。


あと、最初に「行政の施策」として話が出てくるのですが、単純に「子どもために」と投げかけるだけで、その後の個々の思いにどこまでどのように対応されてきたかのお話は聞きたかったですね。
この日の話では、地域とPTAと校長先生との葛藤の記録となっていましたから。


まぁ、いろいろと思いは出てきますが、この児童数現象による統合に加えて、「小中連携」という点での統合ということも身近に起こっていますので、実際に行政の動き方と、問題に直面させられた地域・学校現場の問題をいろいろと考えていくことは大事だと教えていただきました。


第61回日本PTA全国研究大会 三重大会 1

2013-08-24 21:14:23 | PTA

第61回日本PTA全国研究大会 三重大会に参加してきました。

昨年の第60回は京都が開催地。
日P研究大会の何たるかを知らないまま、おもてなしスタッフとしてお手伝いさせていただいておりました。
あれから一年、今年はゆっくりと参加者として。

1日目は津市での第一分科会に参加、テーマは「組織運営」
午前の基調講演は 萩野 慎二氏
探査衛星「はやぶさ」を開発・運用したNECのエンジニアリング、プロジェクトディレクターさん。

お話の具体的な中身は、はやぶさの開発から7年間の飛行を元に、数々のトラブルをどのように切り抜けてきたかのお話。
宇宙・科学・技術好きにはなかなか面白いお話。
最後の方にちょっとだけPTAに”寄せて”「評価の仕方を加点方式にするメリット」もありましたが。

しかし、そのお話の中で印象的だったのは、トラブルへの対応の仕方。
もちろん、その開発段階から試行に試行を重ねて、失敗しない完璧なものを目指されたはず。
それでも、トラブルは起こる。
そんなときに、出来ないことを嘆くのではなく、そのときに出来る材料をフル活用して打開策を生み出していく姿に心打たれるものがありました。

成功するのは、偶然の積み重ねで、それよりも失敗することでそれを克服し成長していくことの方が大事なんだと。
むしろ「トラブルはラッキー」とまでおっしゃる言葉が響いてきました。
姿勢制御の機能が壊れたら、他の噴射機能を姿勢制御に流用したり、想定外の状況が起こったときに、それを克服することが新たなチャレンジだとプランを練ったり。
もちろん、トラブルが起こったときに「大歓迎」って事はなかったと思いますが、課題があれば燃え上がる技術屋魂といいましょうか…

理想や夢想に逃げるのではなく、今起こっていることを正直に受け止めて、それを糧にしていく…もちろん、そう”しなければいけない”となってしまうとしんどいことですが、一度受け止めることで視点を変えていくことは、普段の活動にも役立てることが出来る気がします。


花背山の家2013

2013-06-27 23:21:18 | PTA

今年も小学校の「花背山の家」宿泊行事にボランティアで参加してきました。

2011年2012年の様子)

今年は梅雨のど真ん中プラス台風の接近で連日の雨。
イベントのほとんどが室内に振り返られ、楽しみの一つのテント泊も山ヒルの大量発生ということで中止。
まぁ、それも思い出なんでしょうが。

いろいろネタになることもあったのですが、今年は先生の動きについて。
その是非や、評価は私の立場ですべきことじゃないので、あくまで私の感覚の範疇で。

うちの学校は2クラスあるので、二人の担任の先生が同行しています。
(昨年までなら連続宿泊の規定で交代での参加でしたが、今年は最初から最後まで帯同することがOKになったようです)

私がお手伝いした山歩きの帰りのことです。
バスの前よりと後ろよりで二つのクラスが分かれたのですが、担任の先生(の方針?)によって雰囲気が違います。
片方は先生も静かなら、子どもらも静かに座ってます。
もう片方は先生を中心に冗談を言い合ってにぎやかです。

一見、後者の先生の方が子どもらとの距離も近く、よい関係つくりができているように思えました。
しかし、20分ほどのバス移動の様子を見ていると、その輪に入れない子が何人かいたように思えます。
もちろん、座席の関係もあるでしょうし、他の状況なら分け隔てなくしっかり目を配っておられると思います。
そういう意味では、もう一方の先生の方は、すべての生徒に等しく距離をおいているといえる気がしてきました。

いやぁ、子どもの集団を率いるというのは難しいんだなと。


もうひとつ別のエピソードですが、夜のミーティングに男子が参加しに来ません。
どうも、何か問題(?)があって、その話し合いが長引いているとのこと。
まぁ、ちょっとしたいじめのようなことがあって、そのことで先生が怒っているのだろうと。
案の定、遅れてきた男の子の何人かは泣いています。
あぁ、怒られたんだなと。

どうしたのか聞いてみる手もあったのですが、学校の中のことは先生にお任せする方がいいと思っていますので、事情は聞きません。
同行している管理職の先生や二人の担任がちゃんと情報交換されていましたから。

で、宿泊研修が終わって、帰ってきた息子に話を聞くと、思わぬ答えが返ってきました。

「守ってやれなくてごめん、と先生が謝っていた」

もちろん、息子も全部の状況を知っていないでしょうし、記憶している部分の話だけですから真実はわかりません。
でも、私はそのことをうれしく感じています。
泣かせた子を怒る・叱ることは普通に行われていると思います。
しかし、外からそういう圧力で「悪いことをした」と思わすのではなく、先生自身が泣いた子に「ごめん」と謝ることで、泣かせた子らが自分の内側から「悪いことをしてしまった」と気づく。
起こって当然の先生が謝るなんて、相当衝撃的なことだと思います。
しかも、3日間も寝食を共にし、ある意味非日常の関係が出来上がっているときです。

私自身、昨年度の卒業式で「大人として子どもらに謝罪する」ということを、ひとつは謝罪として、ひとつは非があれば謝る見本として、PTA会長としてさせていただきました。
祝辞を掲載した記事
謝ることはカッコ悪いことじゃないと思ってます。

PTA会長を退いたので、昨年までのようにしょっちゅう学校に行くことはないでしょうが、この学年の子らが、このあとどういう風に成長していくのか、楽しみにしたいと思ってます。


25年度の京都市PTA連絡協議会研修会

2013-06-16 23:57:23 | PTA

先週、表題の研修会がありました。
いろいろ所属している中で、市P連はまだ25年度への引継ぎが終わっていません。
という微妙なタイミングですが、PTA会長・PTA役員5年歴任者の表彰や、広報誌コンクール入選校の発表などもあるためこの時期に。
新役員、新会長の紹介も行われました。

第2部の講演会は「佐々木則夫氏」をお迎えしての「佐々木流 人材育成術」というテーマで。
女子サッカーのなでしこJAPANを率いて、国際大会で実績を上げておられる監督のお話は、組織作りという点や、学校でのスポーツ育成の点でとても参考になるものでした。

ポイントの一つは、指導者が1から10まで指示するのではなく、選手自ら考えてプレーさせるということ。
そのために、理解度の高いものをキャプテン(リーダー)にして、そこに大部分を任せる。

最初は8割9割を指示して理解させていたのが、指示は2割あとは選手が考えるという形が出来上がってきたそうです。


これは同時に、体罰や厳しい言葉で指導することがなくても、関係作りがしっかり出来ていれば結果につなげることが出来るということ。
もちろん、そこには監督のお人柄と、確かな育成・戦術のバックボーンがあるからでしょう。
翻れば、その部分に自信のない指導者が、指導力があるように見せかけるために”力で抑える”ことしか手段がなく、結果良好な関係が築けないという事ですね。

私自身は、なんでも自分で動いてしまうタイプですから、後進の育成が苦手で、もともと能力のある方が継いでくださったおかげでぼろが出ずに済んでますが…


こういう素敵なお話を聞かせていただけるから、PTAの役というのはお得な気がします。

いつものことですが、ここに書いているのは高橋がこう聞かせてもらったという部分で、内容に関してはごく一部分でしかありません。
興味のある方は、ぜひ直接佐々木氏のお話に触れてください。 


中P連総会 藤田副市長の講演会

2013-05-30 20:04:03 | PTA

中P連の総会が無事終わった。

総会は前年度の報告と新年度の承認事項があるから、当然この時期に集中する。
で、私の場合は前年度は小学校のPTA会長、今年度は中学校のPTA会長になるんで双方に参加。
さらに、前年度は小学校が南区の理事校、今年度は中学校が下京・南支部の理事校ってんで、それぞれの支部の総会も参加。
おまけに、前年度は小P連の役員、今年度は中P連の役員ってんで、その総会も…

ただ参加ってだけなら、総会を構成する権利者のひとりとして、あれこれの総会に参加し、報告をしっかり聞かせていただくということもある。
が、今回に限っては、上記のすべてが壇上で報告したり承認されたりの立場(笑)
当然、その当日だけ参加すればいいってことではなく、事前に何度も会議を開いて会計や事業のチェックが必要になる。

そのほかにも、地域などでの役割として参加する総会もいくつかある。

いやぁ、いい経験させていただきました。
(あとひとつ、来月に残ってるのもあるんですが)


こう書くとPTA会長って無茶苦茶負担があるように思われますが(いや、確かに時間的金銭的負担はいっぱいあります 笑)この立場だからこそ参加できる講演会や研修会があり、そこで受ける刺激は時間やお金の負担に換算できない、充実を与えてくれます。
(今までいろんな講演で受けて刺激もいっぱいアップしてますので、探してみてください)

昨日も総会に引き続いての研修会で素敵なお話を聞かせていただきました。

講師は藤田裕之京都市副市長
私がPTA会長になる前に「教育委員会生涯学習部長」をされており、また行政区区長として地域のかかわりを肌に感じて来られた、PTAとは縁の深い方。
今回の研修会講師をどなたにお願いするかの会議の中で、副市長就任直後でお忙しいだろうが、もし時間のご都合が合えばぜひお願いしたいということで、なんとかご都合をつけていただけた。

テーマは「地域ぐるみの人づくり・まちづくり ~PTA活動に期待すること~」と、まさに藤田氏だからこそ語っていただける、私が今一番聞いておきたいこと。
PTA仲間でPTAについて語り合うことはとても楽しいし、多くの学びになるけれど、べつの視点からもらえる”気づき”がないと、枠が狭くなる。

お話はPTAをめぐるところで多岐にわたっていた。
子どもをめぐる現状であったり、近年話題になる教育委員会のあり方であったり、それらもただ現状を憂いたり問題提議するのではなく、「そこにPTAがどう関わっていくのか」ということを投げかけてくださる。

ちょうど、この春の卒業式や入学式で祝辞を贈らせていただくとき、またいろんな総会で挨拶をさせていただくときにいつも話させていただいた「規範ということは親がまずわが身を振り返り、子どもの手本となることを考えなければ」ということについても、藤田氏の口からしっかりと聞かせていただいた。
自分の思いとリンクすると、単純にうれしい気持ちになるのと共に、それは独善ではなく大事なことを聞かせてもらい伝えさせてもらっていることが確認できる。

学校や先生の批判を家庭ですると、子ども自身も不信を持ってしまうし、結果として学力向上の妨げになる。
PTAとして学校という教育環境に関心を持ち思いを伝えていくことは、なんでも学校任せにするよりは大事なことではあるけれども、自分の考え方を押し付けることになれば困ったことだし、それが批判・否定になってしまえば、学校と家庭の関係が難しくなるだけではなく、子どもたちに悪影響を与えてしまう。
そこに、家庭という個の単位でなくPTAという形で「いろんな考え方がある」ことを見聞きしていくことの意味は大きい。
単なるイベントをこなすための活動ではなく、子どもに繋がっていく活動だということは言いつづけていたが、その具体的な意味が藤田氏のお話でストンと腑に落ちた気がした。


あと、私がPTA活動に取り組みだしたときにすでに出来上がっていたいろんな仕組みが、それを作り出すことに関わってきた藤田氏から聞かせてもらうと、「形だけのこの活動はどうなんだろう?」と思っていたものの意味と、作り上げるときの思い・熱が伝わってきた。
根本を知らないから「形だけ」と思ってしまったが、その役割を考えて活用すれば、私自身が「こういう活動はできないだろうか?」と考えることを実現する器として用意されていたことがわかった。

当たり前のように思っていた「子どもを共に育む京都市民憲章」にしても、親としてPTAとして、この憲章をどう見るかによって大きく意味合いが変わってくる。

私の少し前の先輩方がそういう作り上げられていく熱のさなかに居られたが、その熱は伝わってきてもいまひとつノリ切れない感もあった。
出来上がっているものを、そのなぜ作る必要があったかから知っている人と、出来た物だけ見ている人。
その温度差を今回のお話でつないでもらった気がした。

そう、東北震災のことでも、話だけ聞いていた段階と、現地を訪れて肌で感じてからでは、私の中の意味合いが大きく変わったように。


本当は、話していただいた中身をそのままお伝えすることが大事なんだとは思うが、このブログはかなり私の考えが混じっているものと理解してください。


最後に、中身ではなく、その立ち居振る舞いというところで。
まずは話し慣れて居られる感じからの安心感が強かった。
おそらく、声のトーンや話す速度、間の取り方が私の感覚にあうのだろう。
そして、資料としてはパワーポイント用に作成されているが、パワーポイントは使わずに話をされたこと。
以前のエントリーで話題にしたこともあったが、スクリーンを見やすくするために暗くして講演者の
顔が見えないのはとてもさびしい。
しっかりお顔を拝見しながら、その中身を話してくだされば、資料を見る必要はない。
そういう意味でも、終始藤田氏と会場が繋がってる状態でお話を聞かせてもらえたのはうれしい。

まだまだ余韻が残っていて、いろいろ語りたくなるけれど、何日かして私の中で熟成されたり、他の話題とリンクしたりしたらまた書くかもしれない。


京都市中学校PTA連絡協議会

2013-05-09 00:04:58 | PTA

3月で小学校のPTAを卒業させていただき、4月からは長男の進学にお供して中学のPTA会長に。
で、その学校が今年の支部理事に当たっていて、下京・南支部の会長ということで。
さらに、今日の新旧合同理事会にて、中P連本部役員として承認されました。

昨年度、小P連支部理事と小P連本部役員の掛け持ちであれほどハードな日々を送ったというのに、今年度は初めてする中学のPTA会長というハードルを抱えたまま、いくつもの顔を持つこととなりました。
懲りない人です。


しかし、こうやっていろんな立場を経験することで、どんどん新しいドアが開いていくのを感じます。
今日も中Pの先輩といろいろ話をしながら、小学校でのPTAと学校、PTAと子どもという関係とは違ったアプローチで、生徒会との関わりという手段が生まれてくることを聞き、いろいろ試してみたくなってます。

まぁ、あまり先走るのも良くないので、明日の「第1回実行委員会」という、中学校の役員会で皆さんの反応を聞いてみたいなと。

他にも、小学校時代とはいろいろとスタンスが違う感じも味わってますが、PTAはPTA。
目的だけは誤らないように、足元をしっかり見ながら一年張り切っていきましょう。


2年前、初めて理事というものになって、単Pや小Pの意味、推薦理事が何なのかも判らないまま参加した理事会でしたが、今はそういうことを「ちゃんと伝えないと初めての人は不安しかない」と慮る側になってますね。
「相手に伝わって、はじめて伝えるということが成立する」
この原点に戻って、子どもらのための活動の下ごしらえをさせていただきます。 


春は別れと出会いの季節

2013-04-19 00:21:02 | PTA

3月の終わりから4月にかけて、小学校PTAから中学校PTAへ立場が変わるに伴い、あちこちで総まとめや引継ぎが。
もう少ししたらひと段落だろうけど・・・

とりあえず、所属小学校は新しい会長さんにバトンタッチ。
でも、会計の仕上げと決算・事業報告の総会はまだ残ってる。
新しい役員さんも全員は決まってないので、そちらが優先。
(とはいえ、そのあたりの作業は現役役員さんにお任せして、私は顧問の立場で)

小学校の支部としては、支部理事としての理事会は昨日終了。
あとは来週の総会。
それと5月に入ってから支部の新旧合同委員会兼総会でお役ごめん。

小P連の役員としては、昨日の新旧理事会で一区切りで、あとは来週の総会を残すだけ。

市P連としては、まだ今週末の人権パレード、来月の常任理事会まで立場は継続。

と、終わる一方で新たに引き受けた中学のPTA会長職がスタート。

所属中学校としては、3月の総会・引継ぎ会から学級委員会選挙などすでにいろいろ始動。

で、これがまた支部理事担当校になってるんで、5月に入れば支部理事として新たな立場に。

流れによっては市Pの方にも関わるので、5月までは小Pとして、6月からは中Pとして…てことは、新旧合同の常任理事会はどっちに座るんだ?

小学校の方は今年支部のバレー大会担当校なのでそのお手伝いを、中学も理事校なのでバレー大会の担当校として…

うーん、5月までは新旧入り乱れて、むっちゃハードになりそう。


で、この機会にいろいろと資料を整理して、スキャナーで取り込んでPDF化という作業を。
いろいろばたばたしてるけど、PTAの活動ありきじゃなくて、”子どものためにPTA活動”という原点にも引き戻してもらえる。


昨年度は、いろいろ問題があって、そのことによって「PTAとしてどうすれば」ということをつきつけられた。
今年は、問題への対応ではなく、根本的な安心・安全のところで、根っこの活動ができればと願っている。


卒業

2013-03-21 23:31:07 | PTA

長男が小学校を卒業しました。
同時に私の小学校PTA会長のお仕事も卒業です。

今まで思っていなかった様々なことを”考えさせられる”2年間だった気がします。
そんな思いを、子どもらへお祝いの言葉として、同時に大人への提言として。
そう、子どもの問題は、まず周りの大人が考え直さないと、いくら子どもが変わろうとしても大人の影響が大きいですから。
本来は、日々のPTA活動の中で伝えていきたいところですが、多くの方が耳を傾けてくれるこの機会を利用させていただきました。
事前に原稿をチェックしてくれた連れ合いからは「祝辞ではないね」と渋い顔されましたが。

私の思いとしては、子どもたちが一緒に聞いてくれているところで、大人としての”至らないところ”をはっきりと示し、謝罪することで「うるさく言うけど大人が出来てないじゃん」としらけられることなく、「大人もだめなところあるから、一緒に育っていこう」というメッセージにしたかった。

感謝するところは感謝し、謝罪するところは謝罪する。
えらそうなことは言えないので、身近な言葉で。

実際はこの原稿だけでとどめず、最後にフレンドリーな言葉でお祝いと感謝も述べましたが。

    祝  辞

 

  植物や木々の蕾がふくらみはじめ、柔らかな春の風とともに芽を出そうとしている、このよき日に、K小学校を卒業していく皆様に、お祝いの言葉として感謝とお詫びの言葉をPTAを代表して贈りたいと思います。

  まずは、今この場所で立派な巣立ちの姿を見せてくれてありがとうという感謝の気持ちです。事故や虐待、いじめや体罰に苦しんだり、自ら死を選んでしまうということが起こることもあります。こうして皆さんがここに揃っていることは当たり前のことではありません。もちろん、私たち親・先生・地域の大人たちは皆さんが揃ってこの日を迎えてくれるように一生懸命お手伝いしてきました。でも、皆さん自身が一生懸命生き続けてくれたことが一番大事です。ありがとう。

  つぎに、よい見本ばかりでなかったことに対してごめんなさいと言いたいです。もちろん、皆さんの笑顔の為に大人は一生懸命でした。しかし、時には「あなたのために」という思いが強すぎて、厳しく接したり、しつけや体罰という形で身体や心を傷つけてしまったことがあるかもしれません。思いは正しくとも手段が間違っていなかったかということを、最近の事故・事件を通じて大人たちは考え出しています。今までは間違った見本もあったかもしれませんが、これから中学生になる皆さんは、自分の目で何が正しいかを見極めて行ってください。そんな皆さんのよき手本となるよう、大人も努力を続けていきます。

  

  皆さんが、これから成長していくためにひとつお願いがあります。最近起こっている様々な出来事を避けるためにいろんなことが言われていますが、私はまず最初にひとつのことをするだけで問題解決に向かえると信じています。それは自分を大事にするのと同じように、目の前にいる人を大事にしてほしいということです。自分がこうしてもらえたらうれしいと思うことを相手にし、こうされたら嫌だと思うことをしない。そういうふうに、相手の気持ちを考えて大事にするだけで、まずは目の前の人と、クラスの仲間と、学校の仲間と、その絆はすべての人々につながっていきます。その第一歩が目の前の友達・兄弟・先生・親を大事にすることから始まります。

  

  

  保護者の皆様、お子様のご卒業おめでとうございます。

今子どもたちに話したことは、まず私たち大人が見本となって示す必要があります。あるはずがないと思っていたような出来事が続いた昨今、子どもの見本となりえているかどうか見直す良い機会だと思います。「いじめはいけない」といいながら、弱い立場のものを責めたりすることはなかったでしょうか?「暴力はいけない」といいながら、弱い立場のものに手を上げることはなかったでしょうか?「悪口はいけない」といいながら、家で他人の悪口を言ってなかったでしょうか?「大人だから」「子どもを守るために」というのはこちら側の理屈で、相手はどう感じているのか目の前にいる人を大事にするというのはどういうことか、まず大人が考えて、よりよき見本になっていたいと思います。

  保護者の皆さん、先生がた、子どもは大人の背中を見て育ちますから、こうして立派に巣立っていく子どもたちを前に、わが身を振り返る機会にしていただければ幸いです。

  

  最後に、高いところからではございますが、ご来賓の皆様に、ご挨拶申し上げます。公私ともご多用の中、卒業式にご臨席賜り誠にありがとうございます。地域の皆様のお力添えもあり、今ここに卒業式を迎えることができました。今後とも、K小学校の子どもたちに、ご支援をよろしくお願い申し上げます。

  

  

  では、卒業生の皆さん、私たち大人もまだまだ学んでいきます。皆さんの手本となるよう努力していきます。ひとりひとりがお互いを大事にしあって、楽しい中学生生活を送って下さい。

    

    平成二十五年三月二十一日

   K小学校PTA会長 高橋京介

最後に 予定通り、「K小学校のPTA会長と児童という関係は今日で終わりです。これから顔を合わすことはほとんどないと思いますが、もし見かけたら気軽に元会長・高橋のおっちゃんと気軽に声かけてください」と。
これで、中学の入学式で「また会えたな ニヤッ」というネタを使えます。 

 


尊重から始まるつながり

2013-03-20 19:14:55 | PTA

明日はいよいよ卒業証書授与式。
2年間請け負ったPTA会長も、これで一旦お役ごめんとなる。
単Pの会長としてのみならず、南支部PTA連絡協議会・小学校PTA連絡協議会と所属させていただくにあたり、それまではスルーしていたさまざまな問題が、興味の中心にすえられた気がする。
会長職を離れるにあたり、最後のPTA新聞の原稿依頼があった。
おりしも、卒業証書授与式の「祝辞」を考える必要もあったので、同じ趣旨で子どもへのお祝いの言葉を軸に発するものと、保護者向けのものとに仕上げた。
せっかく考えたことでもあるので、私自身の記録もかねてこのブログにアップしてみたい。 


 日ごろはPTA活動にご協力をいただき、まことにありがとうございます。

 おかげさまで、無事2年間のPTA会長任期を終えることが出来そうです。

 その間、南支部の会長という役を同時にいただくことにより、南区にとどまらず、京都市のPTA活動、また日本全国から仲間をお招きしての「PTA全国研究大会 京都大会」のスタッフとして、さまざまな出会いを通じてPTAということを意識させていただきました。

 幸いなことにこの九条塔南小学校で報道をにぎわすほどの案件はありませんでしたが、いじめ・虐待・体罰などの事例がさまざまな話題として耳にはいってきています。その解決法は事例によって細やかなものが必要だとは思いますが、手近なところで、しかもすぐに行動に起こせることがあると思っています。

 「目の前にいる存在を大事にして、尊重する」

 平たく言えば、相手の気持ちになって考えてみて、嫌なことはせず、うれしいことはする。ただそれだけです。

 子どもが子どもへ、親が子どもへ、先生が子どもへ、立場は違えどもその構図は「相手のことを思いやることが出来ず、”あなたのためを思って”という、こちら側の理屈で行動」していることです。そのことが相手の苦痛につながっているとしたら…。

 そうです、こちら側は悪意があるのではないのですが、相手がどう思うかの想像力が足りない状態で、”善意の押し付け”をしたときに、相手を困らせてしまうのです。

 「しつけのつもり」「指導のつもり」こちら側は「あなたのためを思っている」ということなのに、そのことで死を選ぶほどの事例が実際あるのですから。直接的な暴力はもちろん、言葉かけだけでも相手を傷つけて追い込むことはあります。ぜひ、「こういう言われ方をしたら、私だったらどう思うだろうか?」ということを意識してください。そのワンステップだけで、ずいぶん関わり方が変わってくると思います。

 このことは、親同士、親と教師のような大人同士の場面でも起こります。自分の子どもを大事にするのは当たり前ですが、相手への尊重をなくしてしまうとそれは「自分の子どもを守る」ことから逸脱して「相手を攻撃する」ことに陥ってしまいます。

 子ども同士の問題を解決するためには、まず大人が見本を示す必要があります。子どもを尊重し、回りの相手を尊重することを意識して、手本として子どもに「関わり方」の大事さを伝えてあげてください。

 自分が尊重されていると感じられたら、次は目の前にいる人を尊重することがきっと出来るはずです。そのことが、子どもを育んでいくことになりますから。
 立場は変われど、まだまだ子育ては続きます。皆さん、これからも一緒に子ども笑顔を守っていきましょう。