コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

さかのぼって秋季研修会1回目の話

2005-10-09 00:22:06 | ミニカウンセリング

このブログを始めたときにはもう済んでいた1回目の研修会。
久々に懐かしい(といっても2ヶ月空いただけだけど)面々と逢えると思ってたが、今回の参加者は少なめ。一人の復帰メンバー(春には不参加)が加わって5人(他に世話人一人と先生が二人)
その分、いろんなワークが濃密になりそうだ。

逐語録は私がクライアントとして録音したものをペアを組んだTさんが起こしてきたものを聞いての検討。自分が話し手なので、上手く話せているかなど余計なところも気になるが、Tさんが上手く聞いてくれているので、思ったより話が出来ていたようだ。10/3の書き込みにも書いているが、自分が思っていたことと違うことが湧き上がってきて話している。出し切ったと言う気持ちよさが、あらためて逐語録を見ながらテープを聴くことでよみがえってくる。

その後、クライアント以外の参加者で検討するのだが、一人待っている私はあちこちに聞き耳を立てるような感じで、不安なひと時を過ごす。もうこの時点で「良く見られたい」という我執の塊。何でも受け入れる柔軟性がない。しかし、そういう柔軟性がない自分と言うことは受け入れられる。その辺が少し変わってきたところだ。

後半のペアはIさんと組む。自分の話したことは忘れてしまったのだが(研修会が再開してカウンセリングに触れる喜びを話したと思う)カウンセラー役で話を聞くときに少し緊張していた。相手のIさんは自分よりずっと上手く出来る人、っていう固定観念を持っている私がいるから。うん、これは不自由だ。私はよく出来事に対してもRESするのだが、今回は出来るだけ出来事は流して感情を抑えていこうと気合を入れていた(苦笑)ところが、聞こえてくる話は延々出来事が続くのだ。頷きは出てくるのだが、RESを控えていると私の中に違和感が出てくる。しかし、後半、それらの出来事を通じての気持ちの話しになると、すごくホッとした気持ちになり、楽に聴いている私だった。振り返りのときにそのことも話したのだが、そういう私を受け入れてもらい、さらにホッとした(ということは受け入れなかったら…というところに固執してたかもしれない)最後にIさんに「高橋さん(私のこと)はチャレンジャーですね」と言っていただいた。なんとも照れくさいのだが、できるだけ”素”でありたい私は、現状の「良く見られたい」病から脱するのもチャレンジだと思う。チャレンジしていきたい私がいる。
そのあと、ミニカンと振り返りを通じての思いを分かち合う時間があるのだが、出来事が長く困っていた私の話に先生が「出来事も聞いてほしいんですね」とおっしゃったことを心に留めた。これは大事なことだと。

今回は意識して出来事よりも感情をと思っていたが、無理に分けるのではなく、「聞く」に徹すること。そう分けようとするからいらん力が入るのかもしれない。