ちょっと気になってることを書きます。
カウンセリングの研修会…ということなのですが、「カウンセリングの体験」ということと「研修」ということの関係が難しいなと思っているんです。実は私自身はその辺を気にすることなくここまで来たのですが、2回ほど「あれっ」と思うことがありました。
1回はミニカンの実践中に相手の方に質問しようとされたケース。その時のカウンセラー役の方は、より深く相手の方の話を理解するために質問したかったとおっしゃりました。先生はそのとき「それはカウンセラーの思いですね」と。実際のカウンセリングの場だと場合によっては少し質問することもあるかもしれません。最近、ネット上で知り合った方の応対も質問しながら少しずつ深いところを聞いておられました。しかし、この研修の場では「あいづち」と「レス」だけで聞いていく実践を主とされます。
もう1回は、カウンセラー役のときに、先にカウンセラー役をされた方の気持ちを質問されたケース。あとでの全体の分かち合いのときにそのことを聞いただけなので、どのような流れでどのような質問をされたのかは詳しく知ることが出来ませんでしたが、クライエントの方も少し戸惑いがあった感じはありました(二人ともこの春、初めてミニカンに参加された方です)そのことを聞いた先生は「ここは練習の場ですから決まったとおりにしてください」と応えられました。それを聞いたカウンセラー役の方は「すこしきついですね」という言葉を残されました。私は、先生の言葉がきついのではなく、自分にとってはきついと言う感じに受け取っています。
その実践の時の、その方の気持ちを大事にするなら、質問したい気持ちを尊重してあげることもあるのかもしれません。私自身、気持ちを尊重されると言うところからカウンセリングが深まっていった感じがあります。
しかし、一方で先生のおっしゃることもわかります。ここで練習しないことには、実際の場ではなかなか傾聴と言うことができませんから。
そこで、私自身がいままで体験した感じだと、カウンセラー役であろうと、クライエント役であろうと、その最中に色々な気持ちが出てきますし、ある程度その気持ちを受け止めている感じがありました。最初は表で行っている行動と、奥の気持ちのちぐはぐさに気持ち悪い感じがありましたが、いつしか「決まったとおり」で居ることに違和感が無くなり、カウンセラーなら聞くに徹することで発見できる自分があり、クライエントなら話すうちにどんどん湧き出てくる自分に気付く驚きがあります。不思議とその状態を「自由」と感じるんですね。
一方で、自分が少しでも経験した上で、初めて参加される方とペアを組むときに「少しゆっくり目に話そう」とか「できるだけわかりやすい話をしよう」という配慮をしていることがあります。これは「今ここの気持ち」と言うことになると少し余計なものが入っていますから、少し決まりから外れてしまいます。
でも、そういう配慮を感じながら話しているというのも、その時の私の気持ちだからいいのかな?そのへんが今の微妙な感じですね。
振り返ってみれば、やっぱり「形」を大事にした上でわかってくることもあるんだろうと思います。まだまだ経験を積んでいくことが私には必要ですから、まずは基本形をしっかりと。
カウンセリングの研修会…ということなのですが、「カウンセリングの体験」ということと「研修」ということの関係が難しいなと思っているんです。実は私自身はその辺を気にすることなくここまで来たのですが、2回ほど「あれっ」と思うことがありました。
1回はミニカンの実践中に相手の方に質問しようとされたケース。その時のカウンセラー役の方は、より深く相手の方の話を理解するために質問したかったとおっしゃりました。先生はそのとき「それはカウンセラーの思いですね」と。実際のカウンセリングの場だと場合によっては少し質問することもあるかもしれません。最近、ネット上で知り合った方の応対も質問しながら少しずつ深いところを聞いておられました。しかし、この研修の場では「あいづち」と「レス」だけで聞いていく実践を主とされます。
もう1回は、カウンセラー役のときに、先にカウンセラー役をされた方の気持ちを質問されたケース。あとでの全体の分かち合いのときにそのことを聞いただけなので、どのような流れでどのような質問をされたのかは詳しく知ることが出来ませんでしたが、クライエントの方も少し戸惑いがあった感じはありました(二人ともこの春、初めてミニカンに参加された方です)そのことを聞いた先生は「ここは練習の場ですから決まったとおりにしてください」と応えられました。それを聞いたカウンセラー役の方は「すこしきついですね」という言葉を残されました。私は、先生の言葉がきついのではなく、自分にとってはきついと言う感じに受け取っています。
その実践の時の、その方の気持ちを大事にするなら、質問したい気持ちを尊重してあげることもあるのかもしれません。私自身、気持ちを尊重されると言うところからカウンセリングが深まっていった感じがあります。
しかし、一方で先生のおっしゃることもわかります。ここで練習しないことには、実際の場ではなかなか傾聴と言うことができませんから。
そこで、私自身がいままで体験した感じだと、カウンセラー役であろうと、クライエント役であろうと、その最中に色々な気持ちが出てきますし、ある程度その気持ちを受け止めている感じがありました。最初は表で行っている行動と、奥の気持ちのちぐはぐさに気持ち悪い感じがありましたが、いつしか「決まったとおり」で居ることに違和感が無くなり、カウンセラーなら聞くに徹することで発見できる自分があり、クライエントなら話すうちにどんどん湧き出てくる自分に気付く驚きがあります。不思議とその状態を「自由」と感じるんですね。
一方で、自分が少しでも経験した上で、初めて参加される方とペアを組むときに「少しゆっくり目に話そう」とか「できるだけわかりやすい話をしよう」という配慮をしていることがあります。これは「今ここの気持ち」と言うことになると少し余計なものが入っていますから、少し決まりから外れてしまいます。
でも、そういう配慮を感じながら話しているというのも、その時の私の気持ちだからいいのかな?そのへんが今の微妙な感じですね。
振り返ってみれば、やっぱり「形」を大事にした上でわかってくることもあるんだろうと思います。まだまだ経験を積んでいくことが私には必要ですから、まずは基本形をしっかりと。