コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

秋期研修会 3回目

2006-10-15 00:01:36 | エンカウンターグループ
今回は前日までの3日間、華光会の仏教青年会大会に参加していたため、ちょっと疲労気味。普通は、大きい行事のあとは一日のんびりする日を入れるのですが、今回は急ぎの仕事を請けていたのでままならず。大分身体の重さを引きずっていた感じです。
一方、気持ちの方は3日間の法座で充実しており、勢いその話題になると身体の芯の火照りがよみがえってくる感じです。

今回、先生が遅れてこられるとのこと。また世話人さんもお一人を除いて遅れてこられるという、ちょっと落ち着かないようなざわっとした感じで始まりました。しかし、順番にチェックインする段になって、参加者の居場所が伝わってきます。手探りだった前2回に比べて、かなり参加者との距離が近づいているせいでしょうか。

自由な時間になってしばらく沈黙があったのですが、私の中には「沈黙を味わう」という気持ちと、「自分の中で蠢いてる、火照りを表に出したい」という二つの気持ちが揺れていました。結局、口を開き、できるだけ”自分の感じ”のところで話しようとしました。が、法座のことを仏教的なことや、体験的なところ…一種特殊な状況の説明を抜きに話することは難しいものがあります。わかってもらうには説明も必要でしょうが、自分自身が話したいと言うことと、自分で味わいなおしたいという気持ちから、なんとなく一方的な話に終始した気がします。あまり広がりませんでしたが、わたし的にはOKかな。

後半はSさんの人との関わりについて感じておられるところを中心に、数名がやりとりをして広がっていきました。内容はパスしますが、感じたこと。
わたしとしては「裏切られた」という気持ちを相手に”わかって欲しい”という感情が中心の話だと受け止めていました。その受け止め方に共感してくださる方も居ましたし、Sさんもそういう感じで居られたようです。ところが、別の方が自身の受取りと、それにまつわるエピソードを話されるうちに、Sさんの底にある別の気持ちに焦点が当たってきたようです。「相手に非を認めさせたい気持ち」これが明らかになってきました。

振り返ってみると、私はSさんの気持ちを自分に取り込んで、「わたしならこの気持ちが中心だ」というもので収めてしまっていた気がします。これは純粋にSさんの気持ちを聞いていくこととは違います。ミニカンだと、ひたすら聞いて行くことに焦点を絞りますが、エンカウンターの場合、聞き手と話し手が自分の中で混ざっており、相手の気持ちを自分に取り込んで発言する…ある意味、それもいまここの自分の気持ちではありますが、「発言を盗る」というか、一つの発言を大事にしないまま、自分の思いで薦めようとしてしまう。そんなことに気付きました。
一方で、一度は「こうだろう」と思っていたものが、複数の人の発言に触発されて隠れていた気持ちが出てくる…これはエンカウンターの醍醐味なのでしょうね。

結構、深いところで感じていました。

3日間の疲れで、無防備に言葉を受け止め、自分に力を入れずに関われていたおかげかもしれません。

「とのひろ」さんもブログに書かれています。