水面下…というか、水面あたりを出たり入ったりしながら進んでいた話が一段落し、来年度から新たな役職に赴くこととなりました。
って言うほど大層なことでもないんですが、名前だけの役職になるのか、責任を担った大役になるのか、動いて見なければ分からないなぁって感じで。
まぁ、この話はもう少ししたら公に出来るんですが、今はこんな”感じ”だけのところで。
で、この役を受けていく上で、結構調整役的な動きが多くなりそうな予感があります。
そこで、変に解決に動くより、当事者の対話の場面を出来るだけ作りたいなという思いがでてきてます。
それこそ、ここ数年カウンセリングの場で学んできたことが役立ちますし、私がその立場になる意味がそこにある気がしています。
まさに「聞き方・伝え方」を、その場に参加する人が意識してくれれば、新たな関係が生まれるんじゃないだろうか。
それを1年(もしかしたら2年)かけて…
うーん、無難に役をこなすなら、淡々と進めていくことも出来るんだろうけど、そういうことを引き受けて背負っちゃうのがMANU.所以ということで。
まぁ、主に会議的な話し合いの場が多くなると思うんだけど、そこに持ち込みたいことの1つが「私メッセージ」であり、相手を否定・非難する言葉で進めるんじゃなく「私はこうあって欲しい」という伝え方。
本当は、小手先のテクニックじゃなく、相手を尊重するマインドが伴ってこそなんだけど、まずは形からだけでも、ずいぶん風通しがよくなると思う。
なんかしらの意見を述べるとき、そこには「こうあって欲しい」という理想があるんだろうけど、ほとんどの場合「そうでない現状」を問題にし、その当事者のやり方を否定し、非難し、「なぜ分かってくれない」と責めてしまう。
そこを、お互いの立場や現実を尊重しつつ、「こうあって欲しい」ということをゆっくり受け取りながらコミュニケーションを取っていければ。
おそらく、そういう場を作るにはファシリテーターとしての役がいないと難しいと思うし、それを私がやり切れるかは不安でもあるけどね。
などということをここ数日、考えたり、人に話したりして、自分のなかでゆっくりと熟成されていってる感じがします。
リアルにしろ、ネット上にしろ、つながっていたいと思うから何かしらのアプローチをし、コミュニケーションを図ろうとするんだろうけど、その手段(発信のしかた)がずれてしまうと、”つながっていたい”ということよりも攻撃的なものが先に伝わってしまい、当然相手は防衛に走ってしまうし、場合によっては守るために逆に攻撃に転じてしまう。
幾度となくそういう場面に出くわしてきたし、時には無意識のうちに攻撃する側になっていたこともあった。
おかげさまで、まだまだ完璧とはいえなくとも、攻撃エネルギーが枯れ始め(老齢化か?)比較的ゆったり受けることが多くなってきた(当社比)し、逆にそういう攻撃的な空気に過敏になって、こちらが燃え盛らないように距離を置くことも覚えてきたしね。
と、いつものように話がずれてきたけど、こういう「伝え方」の部分を今一度深めてみたいと思ういいタイミングで、今週の金曜日(11日・祝日)に「聞き方・伝え方の学び」が行われる。
最近テレビでの露出が増え、好感度の高いある方の「話し方」を参考に、そのあたりを参加者と深めてみたいなと思ってる。
といいつつ、いつもその場の面子や雰囲気で流れに任せて動きを変えたりもするんだけどね。
さらに、来週の日曜日(20日)には日曜礼拝の講師役を引き受けている。
当初予定されていた先生が急遽駄目になったんで、ピンチヒッター。
こちらは今のところ「聞き方」の部分を、子どもたちに合わせて話しようかと下案を練ってる。
うーん、刺激にはことかかないんだけど、私個人の糧にはなっても、家族の糧(経済的に)ならないってのが目下の問題だなぁ。
最近話題にしてるドラマ「スクール」で”貧乏”なんてことをテーマにされた日にゃあ、心穏やかざる状況で見てたしねぇ…(苦笑)