今朝、おばあちゃんが死んだ。
ずっと病院で寝たきりだったし、93歳ということもあり、そう遠くない時期にこの日が来ることは予想できた。
先週には知人の訃報があった。
今まで知人の告別にはできるだけ赴いていたが、なぜか今回は気が向かなかった。
家庭や仕事の予定がやりくりつかず、葬儀には連れ合いだけがいくことになったときは、不思議な安心感があった。
日曜日には日曜礼拝で法話をし、その知人の話題を持ち出しもし、大人の座談会では当然のごとくその話題にもなった。
でも、メールや人の言葉で知人の死をしるだけで、面と彼の姿と向き合うことを避けて、リアルではないところに自分を置こうとしていた気がする。
今から思えば、この来るべき祖母の死…よりー身近なリアルな死を予感していたからこそ、逃げていたんじゃないだろうか。
昨晩、病院からの連絡があり、院長先生から状況を聞き、今後の方針を相談した。
その中の一部は家族の同意が必要な項目だったために、呼ばれて説明を受けた。
その時点で、結末は予想できた。
でも、予想なんてものは妄想妄念と同じで、リアルなものではなく、自分の想像しえる範囲で作り上げたものでしかない。
連れ合いに連絡をし、時間が遅かったんで寝ていた息子二人を残して、娘二人は最後の挨拶をさせた。
付き添うという母だけ残して帰宅し、朝に母からかかってきた電話で病院に向かった。
その電話をかけて病室に戻ったときには、すでに息を引き取っていたそうだ。
私はそんな状況でも「まだ間に合う、会える」という、何の根拠もない思いを旨に、朝の混雑した道を車を走らせていた。
そう、この期に及んでも、おばあちゃんが死ぬということはリアルではなく、想定外だ。
まったくもって、自分の都合でしかものを考えていない。
病室に居たおばあちゃんは、穏やかな顔をしていた。
呼吸マスクやいろんな装置がすでにはずされていたため、これまでよりも楽そうに見えた。
手は暖かかった。
私の手なんかより、はるかに生気があった。
でも、命はそこになかった。
お寺、葬儀社など、いろんな手続きを請負い、事務的にこなしていく。
逆に、感情的なことを感じることがない感じで、淡々とことを進めていく。
一度、家につれて帰り、今後の相談をする中、祖母が世話になっているお寺のご住職が来られ、枕経をお勤めしていただく。
臨済宗のお勤めで、南無妙法蓮華経。
日時などを打ち合わせして、家族交代で家に帰り色んな準備。
私は夕方に一度帰り、子どもらをつれて戻った。
普通の布団に寝ている、身近な状態を息子らに見ておいて欲しかった。
祖母の家に向かう途中で、息子らに初めて祖母の死を告げる。
どこにどう反応しているのか、泣きじゃくる息子ら。
説明や理屈じゃないところなんだろうと思う。
祖母の家に着いたら、うちの家族と母とだけで白骨の御文章をあげさせてもらう。
何かお勤めをしようかとも思ったが、息子らに聞いてもらうにはこの方がいいだろうと。
御文章そのままあげたあと、その意味を説明する。
浄土真宗に縁の浅い母にも何か伝わればと。
祖母の残した写真やノートをみんなで見る。
私と出かけたときのことを記して「食事に連れて行ってもらった。うれしかった」などと…
そのままそこで食事をして、今帰ってきた。
おばあちゃんの死を、受け止めることが出来ているのか、まだリアルじゃないのか、それすら分からない感じに包まれている。
ましてや、自分の死などまったく現実感がない。
白骨の御文章を、今一度拝読すべきはこの私のほうだ。
このあはれなものに問われているのだ。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。
一生すぎやすし。
いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。
我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。
されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。
あわれというも中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。