萱津神社からの帰り道、なんだか、意味ありげの石碑を見つけました。
「阿波手森」
「阿波じゃないのに、何で阿波?」と思い、ネットで萱津神社のHPを調べてみると・・・
>当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手あわでの杜もり」と呼ばれ歌枕として
>多くの詩歌が読まれた所であります。
とあり、なるほど、この萱津神社の場所が「阿波手」なのねと思っていたところ・・・
>名称の由緒は、古伝によると、日本武尊やまとたけるのみことが伊吹山で戦傷され、
>当地にたどり着いたが、尊の傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、
>久米くめの八腹やばら(食事の世話をする者)を妻である宮簀姫みやづひめのもの
>に遣わされ後事を託された。
>比女は、話を聞き、取るものもとりあえず当地に向かったが、尊は伊勢に向かった
>後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、
>この森を「不遇あわでの森」という様になったという。又、尊は伊勢に向かうに
>あたり比女に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生れ来る者に再びこの
>悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの二本の榊は地
>上二メートル程の所で連理となりこれが当社のご神木「連理れんりの榊さかき」
>であります。
「不遇」=「あわで」=「阿波手」なのですね。意味を知って、なんだか、悲しくなってしまいました。
「阿波手森」
「阿波じゃないのに、何で阿波?」と思い、ネットで萱津神社のHPを調べてみると・・・
>当社が鎮座する鎮守の森は、昔より「阿波手あわでの杜もり」と呼ばれ歌枕として
>多くの詩歌が読まれた所であります。
とあり、なるほど、この萱津神社の場所が「阿波手」なのねと思っていたところ・・・
>名称の由緒は、古伝によると、日本武尊やまとたけるのみことが伊吹山で戦傷され、
>当地にたどり着いたが、尊の傷は重く再び立つ事ができなくなるのではと直感され、
>久米くめの八腹やばら(食事の世話をする者)を妻である宮簀姫みやづひめのもの
>に遣わされ後事を託された。
>比女は、話を聞き、取るものもとりあえず当地に向かったが、尊は伊勢に向かった
>後だった。姫は人目も憚らず悲嘆され、その悲しみの姿から、だれ云うとなく、
>この森を「不遇あわでの森」という様になったという。又、尊は伊勢に向かうに
>あたり比女に逢うことが叶わず非常に残念がり、後の世に生れ来る者に再びこの
>悲しみなき様にと祈願を込め雌雄二本の榊をお手植され、後にこの二本の榊は地
>上二メートル程の所で連理となりこれが当社のご神木「連理れんりの榊さかき」
>であります。
「不遇」=「あわで」=「阿波手」なのですね。意味を知って、なんだか、悲しくなってしまいました。