兵庫県知事の暴君ニュースを見ていたところ、ちょっと気になってゴソゴソと資料をあさっていたら、思いがけなく、大学の「卒業者名簿」がでてきた!
平成元年度の卒業者名簿。平成2年3月経済学部卒業者は224名。平成元年10月の卒業者は2名。経済学部だけで卒業者は1年間で226名となる。
まず驚いたのは、卒業者名簿の記載内容。「学籍番号」「氏名」「ゼミ」はわかるが、「会社所在地」「会社名」「住所(自宅)」「住所(連絡先)」「電話番号(自宅)」「電話番号(連絡先)」「出身校」と個人情報が満載!
経済学部では9名が同じ会社に就職している。ただし、法学部等他の学部からも採用されていたので、確か17名が同窓同期だったような・・・しかし、メガバンクは統合したので、同期は増えているものの、もうほとんど退職・出向しているはずだ。当時、都市銀行は13行あったが、採用がなかったのは「北海道拓殖銀行」「埼玉銀行」「協和銀行」の3行のみ。当時はバブルということもあり、都銀、信託、長信銀などへの就職が目立つ。
個人情報とともに驚愕なのが、大学院の修了者数。修士11名、博士2名となっている。あと、博士課程での単位修得者(博士論文にOKのでなかった者)は5名。
修士の出身大学も掲載されていて、他大学は11名中7名。といいつつも、中国の大学出身が3名だ。11名のうち9名が本学博士課程に進学。2名の内1名の就職先が日銀、もう1名は家業とのこと。
博士2名はともに出身大学は他大学。そのうち1名の先輩はゼミで指導をしてくださったやさしい先輩。今は本学で教授をされている。単位修得者は3名が外国人。台湾2名にブラジル1名。
以上を見てきて驚愕なのが院生の少なさ。あと、院生の進路も博士課程と、当時の文系修士のストイックさが伝わってくる。もし、当時、私が「修士6つ持ってます」って言っても信じてもらえなかっただろうし、詐欺師扱いか、ディプロマミル扱いだったことだろう。
当時は通信制大学院はなかった。通学オンリーだったので、仕事をしながら複数修士を持つことは時間的・経済的・物理的にも困難だった。というか、夜間大学院ですら、平成元年に制度がスタートされたばかりで、そもそも、社会人が大学院って発想が希薄。院生は、すべからく、研究者を目指して頑張っておられたわけで・・・今は、幸せな時代となったものだ。ただ、院生の市場価値が暴落したため、学位取得後も就職先がないということも起こっているのだが、、、
最後に、学籍番号があるので留年した年数も一目瞭然。昭和61年4月1日に入学したのは240名。そして卒業生226名中、4留1名、3留1名、2留5名、1留18名となっています。ストレートでの卒業生は201名なので、240名が201名になった計算。ただ、単位不足以外にも「留学」など訳あり留年もあるので、ストレート=正義とは思っていません。
どんなに時間がかかっても、卒業できれば十分。人生において14回、卒業・修了することで、ようやく「そんなに急がなくても・・・」と思えるようになれました。