*見出しのカラー画面は5月の龍が森なので雪はありません!
昭和45年当時!
深夜の函館駅でC623牽引の急行すずらん6号を見送った後に、青函連絡船第2便で青森に早朝4時20分に到着する。
青森駅を奥羽本線の422レで6:30頃に発車して大館駅に9時前に着き、花輪線に乗り換えて竜が森駅には昼前に到着する。
花輪線は大館と好摩を結ぶ全長約107キロの路線で、今回訪れる龍が森駅は勾配区間のサミットにありその前後の赤坂田ー岩手松尾は
33/1000の急勾配があり線路規格の関係から老兵8600形式のSLが奮闘している。
龍が森駅は現在、安比高原駅と改称してスキー場のメッカとして東京方面からDE10牽引ブルートレインの臨時列車として活躍した事で
記憶に新しいと思います。
昔の話に戻りますが、龍が森では上り列車は8600型SLが本務機と後補機のプッシュブルで運転で又下り列車は重連運転で
8600独特の甲高い擦れたような汽笛を鳴らして急勾配に挑む姿は小型機関車なので可愛くて健気な感じがして、C62のような
豪快な動きとは一味違った魅力でしょう!
なお、旅客列車はほとんどがDCですが、朝晩の2往復はSL(8600)が牽引していました。
*補機区間は荒尾新町ー岩手松尾で8600が連結される。
龍が森がサミットなので、下り列車は岩手松尾寄りに、上り列車は赤坂田寄りに移動して急勾配を煙をあげて喘ぎながら登ってくる勇姿を撮影しますが
主に龍が森駅から赤坂田よりの場所(雪の積もって滑りやすい道路を北側に向かって歩くとトンネルをオーバークロスした付近に着く)から俯瞰気味に
上り貨物の勇姿をカメラに収めたり録音するなどして半日を過ごしました。
本務機8600に貨物を挟んで後補機の8600を従えて上ってくる 墨絵風の山並みを背景に8600が奮闘する
8600が喘ぎながら煙を上げて急坂を登る姿は、人間が急坂を心臓が激しく動悸しながら登るのと同じと言われますが文字通り喘ぐと言った表現が当てはまります。
なお、8600形式のSLは大正時代に製造され動輪直径が1m60cmで主に旅客用SLとして広く使用されていたが、現在でも老兵の8600型は九州の肥薩線で
SL人吉号として活躍しています。
プッシュブルで短い貨物を押し上げる 下りの8600重連の列車が発車する
夕方、龍が森駅をDCに乗って好摩経由で盛岡に着き、盛岡20時発の東北本線夜行急行「十和田3号」204レに乗車する。
この列車は自由席6両、指定座席1両、寝台2両、食堂車などを編成しており、小生は自由席の座席に席を確保して長い撮影旅行に
疲れた身体を横たえて夜行列車で一路上野を目指す!
早朝に上野駅に到着すると行き止り駅独特の雰囲気(回送列車は推進運転)を楽しんだ後、大都会の雑踏の中を山手線に乗り換えて
東京から新幹線に乗り継いで夕方には京都に無事帰ってきた。
京都駅に着くと京都はもう春の息吹が感じられて、つい先ほどまでは雪深い北辺の地でSLを追いかけていたなどとは考えられない
相違感を感じながら、身体の中ではいつまでも北の大地のSLの豪快なドラフト音と汽笛の音が残響としてが流れていた!
終わり!