日本三大美林の一つ、秋田杉が県境に素晴らしい美林があります。
C61-20牽引の上り普通列車は、ここ奥羽本線で出会った後、日豊本線で再会しました。
最近になって、JR東日本の手で動態保存の工事が完了して、東日本管内で
現役として活躍中です!
今日のフオトは、昭和40年代に奥羽本線で活躍した頃の懐かしい雄姿です。
1969年5月 C61+客車+D51補機
今から数十年前、昭和45年3月/
京都は弥生3月の季節であり北野天満宮では梅のたよりのある頃に、まだ雪深いある東北、北海道と雪国へ鉄道の旅に出かける。
京都駅を19時30分発車の日本海号に乗車する。当時、京都口はEF58牽引でナハネ20寝台車、食堂車を連結しており動くホテルと言われていた。
当時の夜行列車と言えばボックス式の座席で座れば良いが、混雑時は立ったまま終点までと言う時代であったのでベッドで横になるのは有り難いご時世であった。
20系ブルートレインは3段ベッドのためベッドの高さが低く着替え場合には頭がつかえるので屈んで行い身体を横にして眠りにつくが旅行に行くと言う興奮から
中々眠りつけない。(当日は2号車8番上段) やがて寝付いて気がつくと灰色の日本海を北へと進んでいた。
列車は、途中の米原駅で機関車交換の後に北陸、羽越、奥羽経由して青森を目指しいる。
朝になって車掌さんがベッドの解体作業に来て,乗客は一時通路に避難して手慣れた解体作業を見守る。
中段、上段のベッドをかたずけて下段のベッドが長椅子代わりになって1ボックス6人が座ると行った風景である。
やがて、下車駅「大館」の車内放送があったので身支度をする。
大館駅について下車すると、駅のアナウンスが「大館、大館、花輪線乗り換え!」と少しズーズー弁のアナウンスに東北に来たのだと言う実感が湧く。
DD51牽引機 日本海牽引機 陣場駅の雪景色
大館駅で見送る20系 日本海号
大館で普通列車に乗りかえると機関車はC6128号機が客車が数量を牽引する。
大館駅に到着のC6128号機 普通列車
大館から陣場駅まで乗って下車する。ここは秋田県と青森県の県境で陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関と急勾配が続くので,その区間は貨物列車は後補機
を着けて峠越えに挑む!
D51は平坦線では1000トンの貨車を引くが,急勾配(25/1000の場合)の場合は牽引力が1/3に減少する。
奥羽本線のように幹線の場合は、1000トンの貨車を引くためにD51+貨車+D51×2(後補機)で急勾配の運送量を確保していた。
客車はC61が牽引しており、後補機としてD51が使用されている。
(昭和45年10月に、勾配改良のため新線にルートを変えて10/1000勾配になって現在に至る)
雪の国道を歩いて線路端に行きSLの勇姿を撮影するが当時は、現在のように鉄道の情報はなく、いきあたりばったりで撮影するので効率が悪かったが
そのような条件下で迫力のある写真が撮れた時の喜びは計り知れない。
特にサミットとして矢立トンネルの前後で勾配に挑む黒い塊D51、C61が吹き出す大量の噴煙が鉄道の醍醐味であり魅せられた私です!
矢立ごえに挑むD511+D51+貨物+D51
C61牽引の上り普通列車
以下次に続く!