昨夕は仙台の義兄宅に立ち寄り夕食を頂き、暫しの歓談で楽しいひと時を過ごしました。
その後、再び東北道に乗り長者ヶ原SAでP泊。
久しぶりの車中泊でしたが、あまり煩くもなく、気持ち良く目覚めました。
朝食をゆっくり食べた後、更に北上。
高速を降り気仙沼で家内の友人を尋ね久しぶりの再会、お互いの近況を交換。
そして午後3時過ぎに家内の実家がある陸前高田に到着。
実家は先の大震災で流され、今は仮設住宅住まいです。
高台の住宅地造成も終わり、数日前に自宅再建の地鎮祭を行い、復興が着実に進んでいる事を感じました。
写真を見る限り、市街地の復興はまだまだ見えてきませんが、ダンプカーが走り回っている様は頼もしくも見えました。

旧・道の駅 高田松原は、震災直後の姿のまま震災遺構として残されています。

隣接する敷地には震災で亡くなられた方の追悼碑が建立されていますが、今も立派な生花が手向けられていました。
私たちも想いを込めて合掌!

津波に耐えて残った一本松は「奇跡の一本松」として希望の支えになりました。

その一本松に寄せる思いを歌にして残そうと船村徹が喜多條忠に作詞を依頼し、自ら作曲して作ったのが「一本の松」でした。
歌うのは陸前高田市出身の千昌夫。
それが立派な石碑になり、生きる希望を後世に伝え続けたいとの思いが伝わってきました。
その後、再び東北道に乗り長者ヶ原SAでP泊。
久しぶりの車中泊でしたが、あまり煩くもなく、気持ち良く目覚めました。
朝食をゆっくり食べた後、更に北上。
高速を降り気仙沼で家内の友人を尋ね久しぶりの再会、お互いの近況を交換。
そして午後3時過ぎに家内の実家がある陸前高田に到着。
実家は先の大震災で流され、今は仮設住宅住まいです。
高台の住宅地造成も終わり、数日前に自宅再建の地鎮祭を行い、復興が着実に進んでいる事を感じました。
写真を見る限り、市街地の復興はまだまだ見えてきませんが、ダンプカーが走り回っている様は頼もしくも見えました。

旧・道の駅 高田松原は、震災直後の姿のまま震災遺構として残されています。

隣接する敷地には震災で亡くなられた方の追悼碑が建立されていますが、今も立派な生花が手向けられていました。
私たちも想いを込めて合掌!

津波に耐えて残った一本松は「奇跡の一本松」として希望の支えになりました。

その一本松に寄せる思いを歌にして残そうと船村徹が喜多條忠に作詞を依頼し、自ら作曲して作ったのが「一本の松」でした。
歌うのは陸前高田市出身の千昌夫。
それが立派な石碑になり、生きる希望を後世に伝え続けたいとの思いが伝わってきました。
