お友だちの
ジェマちゃんに
さそわれて、
クリンは、江東区・木場に 出かけました
「木場」という
地名は
江戸時代、
ここに、材木おき場があったのに、由来しています
江戸時代は、火事がとても多く、
しょっちゅう・まち(街)が もえていたので、
「建築資材」である木を、たくさん・ひつよう(必要)とした
らしい
そこで、この地に 木があつめられ、
材木商たちも、たくさん・あつまってきました
材木商の中には、
キブン(かんじ:「紀文」=紀伊国屋文左衛門)
や
ナラモ(かんじ:「奈良屋茂左衛門」)
など、
天下にその名をとどろかせた大金もちたちも、
いました
かれらが、ひいきにした深川だって、
またたく間に、有名花まち(街)になりました
しかし、今、都立公えん(園)となった・木場には、
そんな
はんえい(繁栄)の名ごりは、
見あたりません。。
昭和までは
このあたりに、
「貯め木」がおかれていた・そうですが、
「材木置き場」が
しんきば(新木場)に
うつってからは、
年に一度
「伝統芸能の角乗り」
が
ひろう(披露)されるくらいで、
ふだんは、江東区民のいこい(憩い)のスペース以外の
何ものでも
ないかんじ。。
・・・・・・
木場の、
木場たるゆえんは
なくなったのに・・・
うんが(運河)や、かし(河岸)のあとには、
江戸時代のおもかげが かいま見える気がするのは、
なんで
なのでしょう・・?
(つづく)