元町をぬけて
「山下公園通り」に出ると、
ホテル・ニューグランド (※チットとおにいちゃんの「結婚式場」)や、
居りゅう(留)地時代の「外国商館」があり、(※今は創価学会の施設)
ほどよく・クラシカルです
ニューグランドについては、何度か・ふれてるし、
右手の山下公えん(園)は、別のきかい(機会)に
あそびに来たいと
思っているので、
今回は
スルーします
「歴史的建造物」が
バンバン・出はじめるのは、
「公園通り」のつきあたり
「開港広場」前あたりからです
「英一番館跡」&「シルク博物館」
「横浜海岸教会」
「横浜開港資料館」
開港しりょうかん(資料館)には、
中庭に、
「ペリー来航図」に描かれた、たまくすの木(楠)が
ドドンと 立っているので、必見
しかも、そのうら(裏)手に、「旧英国総領事館」のたてものもあって、
れきし(歴史)を まのあたりにすることができます
(いいかんじのカフェも 見つけました♪)
しかし、
このエリアでは
クリンたち、
そのとなりに立つ、
海岸教会にこそ
もっと きざみこまれた・れきし(歴史)のおもみを かんじたのです
教会のリーフレットをよんで 知ったのですが、
ここの
チャーチベルは、
1875年
教会が たてられたさい、
アメリカから
おくられたものだそうで、
長い間、
礼はい(拝)の時を告げる・かね(鐘)の音として
この一たい(帯)に
ひびきわたっていました
しかし、「第二次世界大戦」が おこると、
ご多分にもれず
「金属回収令」で
もっていかれそうになり、
その時
教会は、
ぼくし(牧師)さんたちを
中心に、
必死で ていこう(抵抗)して
守りぬいた・らしい。。
「アメリカからの 愛の贈り物を、鉄砲の玉にして
送り返すことはできない!」
わたなべぼくし(渡辺連平牧師)は
がんとして
つっぱね、
とうごく(投獄)されても
かね(鐘)を
わたしませんでした
そんな気もちの上に
たっているからなのか・・
海岸教会は、白百合のように、りん(凛)とした
フンイキが
あります
(つづく)