JR・南千住駅北口すぐのところにたつ、
こづかはら・えこういん(小塚原回向院)。
ここは、同じ場所にあった、
「小塚原刑場」の刑死人を
とむらう
江戸時代に たてられた・お寺です。
ぼち(墓地)には、「吉田松陰」、「橋本左内」
など
ばく(幕)末の志士の はかや、
「盗賊・鼠小僧」や、「毒婦・高橋お伝」
の はかなど、
刑場のつゆと消えた、有名人が ねむっていたりしますが・・
いちばん・目を引くのは
入り
この、『解体新書』のひ(碑)です
ここで処刑された・死体のかいぼう(解剖)を
見るために おとずれて、
のち、
「日本初
杉田玄白、
前野良沢たちの
じぜき(事跡)
彼らは、苦心さんたん(惨憺)して
『解体新書』を 世に送りましたが、
ここで
そういう・いみのあることをした人が
いてくれて、
少しは 救われるような、、?
ふくざつな思いの クリンたちでした・・
だって・・
「 菜の花も咲き乱れ、はりつも候て人も出、にぎやかに候、ちと御こし候へかし」
と
千住宿の遊女が、客をさそう・口実にしたほど、
江戸時代、
処刑は「見世物」として
人気があったそうですから・・
(「菜の花も咲いてるし、はりつけ(磔刑)もあって、
にぎやかよ~ あそびに来てぇ~」と、遊女がさそった・手紙があるそうです
オイオイ・・)
てっきん(鉄筋)コンクリートのこのお寺の下にも、
ぼうだい(膨大)な数の人骨が ねむっている
と きき、
下ばっかり・見てしまう、クリンでした。
(次回は、線路の反対側にある「首切り地蔵」を 見に行きます これが、回向院なんか目じゃないくらい、すごかった・・🐻 )