(ビボウロクです。)
じょうかんじ(三ノ輪・浄閑寺)の けい(境)内にて・・
「武者小路実篤の書」が きざまれた、ひ(碑)を 見つけました
「古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。アア
このつづきが 気になった・うちのチット(落語好き)は、
「 奥多摩生まれとは、親しみわくね どんな咄家さんだったんだろう」
と 言って、
後日、その はなし家さん(三遊亭歌笑)の落語が のっている、
『歌笑純情 詩集』を 借りてきました。
以下、まくらの続き・・(わが生い立ちの記)
「われ、たらちねの胎内を出でしころは、長谷川一夫遠く及ばざる眉
「 この顔で 面白いわ」(チット)
「ああ、されど、われは幼きころより頭脳明晰なれば、五つ六つのこ
われは天稟の才あるにまかせて、あらゆる書籍を乱読し、、」
「 ふ~ん」
「そのころより、われは、、まろやかなる、乙女の胸、深紅の口もと
赤き褥しとねにうち伏して、大理石のごとき、乙女の肌にひしと抱
われはこの世にペニシリンなきことを嘆きいたりき」
「あらら、、(淋病にかかっちゃったみたいです)」
吉原の、うらのお寺に眠る・笑いに ふさわしい・・
この、さんゆうていかしょう(三遊亭歌笑)さんは、
終戦から5年間、人気ぜっちょう(絶頂)だったのに、占領軍のジープに ひかれて 亡くなりました
あの 林家三平も、あこがれた人
だったそうですが、、
ご本人も自虐する「珍顔」のせいで、幼いころから そがい(疎外)され、
売れ てからも、耐えることが 多かったらしい、、
なのに
めげずに、こぐんふんとう(孤軍奮闘)し
敗戦に うちひしがれていた・日本人に 笑いをていきょう(提供)しつづけ た
そういう・人だったそうです
まったく、知りませんでしたが・・
こういう・未知とのそうぐう(遭遇)があるから、
お出かけって、やめられないんですよね
(※ビボウロクなので、コメントらんはお休みします 今度こそ、吉原に10か月住んだ、樋口一葉の旧居跡に まいりますね)