クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

三遊亭歌笑(春の奥浅草を歩く・7)

2021-04-10 | クリン江戸散歩
(ビボウロクです。
 
 
じょうかんじ(三ノ輪・浄閑寺)の けい(境)内にて・・
 
 「武者小路実篤の書」が きざまれた、ひ(碑)を 見つけました


「古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。アアされどわれ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き落語家歌笑をはぐくみし故郷は南奥多摩絶景の地なり」

 このつづきが 気になった・うちのチット(落語好き)
は、
 
 奥多摩生まれとは、親しみわくね どんな咄家さんだったんだろう
 
と 言って、
 
 後日、その はなし家さん(三遊亭歌笑)の落語が のっている、
 
『歌笑純情詩集』を 借りてきました。
 


以下、まくらの続き・・(わが生い立ちの記)

「われ、たらちねの胎内を出でしころは、長谷川一夫遠く及ばざる眉目秀麗な男子なりしかど、世の移り変わりとともにわが容貌も一変し、いまや、往年の銀幕、フランケンシュタイン第二世の、怪顔を思わするごとく豹変せり。・・」

 「 この顔で 面白いわ」(チット)


「ああ、されど、われは幼きころより頭脳明晰なれば、五つ六つのころは、音楽家たらんと志し、、
われは天稟の才あるにまかせて、あらゆる書籍を乱読し、、」
 
 
 ふ~ん


「そのころより、われは、、まろやかなる、乙女の胸、深紅の口もとから、洩れにし、言の葉を聞くたびに、あたかもマイナス百ボルトの電流にかかりしごとく、われは猛烈なる性欲の攻撃を受け、これを肉体によりて解決せんと欲し、三十路の春、メンデルの法則にしたがいて廓の門をくぐりぬ。

赤き褥しとねにうち伏して、大理石のごとき、乙女の肌にひしと抱かれ、おお、われ生涯最高の一夜を過ごせしその明くる日、、

われはこの世にペニシリンなきことを嘆きいたりき」

 
「あらら、、(淋病にかかっちゃったみたいです)」


 吉原の、うらのお寺に眠る・笑いに ふさわしい・・


 この、さんゆうていかしょう(三遊亭歌笑)さん
は、
 
終戦から5年間、人気ぜっちょう(絶頂)だったのに、占領軍のジープにひかれて 亡くなりました

あの 
林家三平も、あこがれた人
 
だったそうですが、、

 ご本人も自虐する「珍顔」のせいで、
幼いころから そがい(疎外)され、
 
売れてからも、耐えることが 多かったらしい、、

なのに
 
めげずに、こぐんふんとう(孤軍奮闘)し
 
敗戦に うちひしがれていた・日本人に 笑いをていきょう(提供)しつづけ
 
そういう・人だったそうです
 
 
まったく、知りませんでしたが・・
 
 こういう・未知とのそうぐう(遭遇)があるから、
 
お出かけって、やめられないんですよね
 
 
 
 
(※ビボウロクなので、コメントらんはお休みします 今度こそ、吉原に10か月住んだ、樋口一葉の旧居跡に まいりますね
 
 
 
コメント
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