goo blog サービス終了のお知らせ 

クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

延命寺の首切り地蔵(春の奥浅草を歩く・4)

2021-04-05 | クリン江戸散歩

 えこういん(東京・南千住の小塚原回向院)

の並びに、

えんめいじ(延命寺)が あります

 江戸時代・・、ここ(小塚原刑場)で 刑死した人は

20万人 と 言われますが、、

みんなが みんな、

回向院に、おはか(墓)を 作ってもらえるわけでは

ありませ

 

 そこら辺に、ほうち(放置)された・いたい(遺体)が

たくさん・あったそうです

 

(屍肉を求めて、カラスギャーギャー、野犬ウロウロ・・

 

 そんな「骨が原=小塚原」の、むえん(無縁)仏を

くよう(供養)している

ありがたい・おじぞう(地蔵)さんがいる

と いうので、

こちら、延命寺に 来ました


 ででん!!

(うおっ デカい
 ※通称:首切地蔵さまです


「27個の花崗岩」を 組み合わせた・おじぞうさんは、

2011年(東日本大震災)に

うで(腕)がおち

胴体も ずれちゃったけど・・


寄付があつまって、なんとか、元の状たい(態)に もどったらしい


 打ち捨てられた・罪人のたましいの 

面どう(倒)を、

300年も見てきた、おじぞう(地蔵)さん

が・・

 

くずれたままじゃ、

あまりに いたましすぎる。。


(ふっかつ(復活)してくれて、良かったな、、

と 

クリンは、思いました


 

 

よく見ると、やさしいお顔を しています。

 


 (さっきは、ビクッとしちゃって、ごめんなさい

でも・・・


 ごおおおおおおぉ・・・・・・
(となりの線路で、常磐線が通過

 

効果音が こわすぎるんですよねここ・・

 

 

 

(次回、「春の奥浅草を歩く」は、三ノ輪周辺の、昭和な風景を お届けいたします

 

 

コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小塚原回向院(春の奥浅草を歩く・3)

2021-04-04 | クリン江戸散歩

 JR・南千住駅北口すぐのところにたつ、

こづかはら・えこういん(小塚原回向院)。

 

 ここは、同じ場所にあった、

「小塚原刑場」の刑死人を

とむらうため、

江戸時代に たてられた・お寺です。

 ぼち(墓地)には、「吉田松陰」、「橋本左内」

など

ばく(幕)末の志士の はかや、

「盗賊・鼠小僧」や、「毒婦・高橋お伝

の はかなど、

 刑場のつゆと消えた、有名人が ねむっていたりしますが・・

 

いちばん・目を引くのは

入り口近くの かべ(壁)に かけられた、

 この、『解体新書』のひ(碑)です

 ここで処刑された・死体のかいぼう(解剖)を

見るために おとずれて

のち、

「日本初の、本格的解剖翻訳書を あらわした、

杉田玄白

前野良沢たちの 

じぜき(事跡)を 記念する・ひ(碑)。。

 

 彼らは、苦心さんたん(惨憺)して

『解体新書』を 世に送りましたが

ここで

そういう・いみのあることをした人が 

いてくれて

少しは 救われるような、、?

ふくざつな思いの クリンたちでした・・

 

だって・・

「 菜の花も咲き乱れ、はりつも候て人も出、にぎやかに候、ちと御こし候へかし

千住宿の遊女が、客をさそう・口実にしたほど、

江戸時代、

処刑は「見世物」として

人気があったそうですから・・

 

「菜の花も咲いてるしはりつけ(磔刑)もあって、

にぎやかよ~ あそびに来てぇ~と、遊女がさそった・手紙があるそうです

オイオイ・・)


 てっきん(鉄筋)コンクリートのこのお寺の下にも、

ぼうだい(膨大)な数の人骨が ねむっている

と きき、

 下ばっかり・見てしまう、クリンでした。

 

 

 

(次回は、線路の反対側にある「首切り地蔵」を 見に行きます これが、回向院なんか目じゃないくらい、すごかった・・🐻 )



 

コメント (25)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南千住駅の歴史(春の奥浅草を歩く・2)

2021-04-02 | クリン江戸散歩

 さて やって来ました!!奥浅草散歩

スタートはここ、

みなみせんじゅ(南千住)です。

 となりは、江戸4宿の一つで有名な「北千住」ですが、

今回は そちらでなく、

 江戸時代の処刑場」があった、南千住を見て 歩きます

 

クリンたちが 降り立った、

この、南千住駅・・

実は

 江戸時代の二大刑場のひとつ、

「小塚原刑場の、真上」に つくられた駅です

 

(もうひとつは、鈴ヶ森刑場

 今でこそ・・ 駅前は再開発され、大きなマンションもたちますが

ここは かつて、

「骨が原(こつがはら)」といわれた、

人骨ゴロゴロの 野原でした。

 

(今でも、ちょっと「道路工事」で掘っただけで、数十人分のしゃれこうべが出てきたりするそうです

 

 JRと日比谷せんの線路に ぶったぎられて

二ヶ所に 分かれちゃったけど、

20万人の刑死者を 弔っている

という、

ふたつの寺院が ありますので、

 クリンたち、まず駅北側の、

えこういん(回向院)に おまいりします

 

 

(その3、「小塚原回向院」に、つづく

 

 

コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春の奥浅草を歩く・1

2021-04-01 | クリン江戸散歩

クリン、隅田川の桜、見に行かない? 

・・久しぶりに、奥浅草を 歩きたい。」

しん(親)友・チットが さそってきたのは

コロナ以前、、

 

 (あさくさ・・?)

 「行く

 

よろこびいさんで クリンがついて行った先は、

観光地浅草」ではなく

 

せんそうじ(浅草寺)のうら手の、おくあさくさ(奥浅草)

でした。 

 「奥浅草」・・それは、さんや(山谷)とか、

よしわら(吉原)とかが

あるエリア。。

 

ハッキリ言って

用のない人が、行く場所ではない、

かなり・とくしゅ(特殊)で、

昼間は、ぜんっぜん・人がいないまち(街)でした

が、、


今年みたいに 

コロナがあって、人出が気になる 

という場合には、

ちょうどいい・さんさく(散策)スポットかも しれません。


 
あとで、リポートしますが・・

山谷は「労働者の街」、

吉原は「遊郭の街」、

そして、おくあさくさ(奥浅草)とは、

それらに、

「罪人の処刑場であった小塚原」

を ふくめた、

江戸時代の うらさびれ・エリア です


(そんなところに行って、おもしろいの?)

と 

思われるかも しれませんが・・

 これが、けっこう、「江戸の端っこ」っぽい

フンイキを のこしていて

いせかい(異世界)ですし

 

ふだん目を向けない・さびしい界わい(隈)に 

目を 向けるのに・・

今年ほど、てき(適)した・春は、

ありません

 

「蔵出し画像」で すみませんが、

ゴールの すみだがわ(隅田川)まで・・

 「奥浅草グルメ」とともに、

決して

浮かれることのない、

しずかな江戸の春を ごらんくださいませ


(と、いうわけで 次回から、「クリン江戸散歩~春の奥浅草を歩く」

を はじめます

めっちゃ・ディープな内容ですが よろしく~

 

 
コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする