乗り物酔いの原因が耳系のアレがブラブラすることによって引き起こされるという事は前回の記事で明らかになり、その結果として乗り物酔いしやすいというのは先天的なものが大きく起因しているのではないか、というとこまで話を進めたわけだが、どうもそれだけでは済まないような、後天的な原因もあるのではないか?と思わざるを得ない体験を僕は実際にしている。
僕は過去に3回船に乗ったことがある。1回目は小学生の時に親戚だったかの集まりで屋形船に乗った。次に5年くらい前に再び屋形舟に乗った。最後は2年前に釣船に乗ったわけであるが、この際に酔ったのは1回目と3回目。2回目は全く酔わなかった。
1回目の時はさすがに小学生なので、どのような心構えで船に乗ったのかなんて全く覚えてないけれど、2回目と3回目は覚えている。
2回目の屋形船の際は小学生の時の体験があるので、もしかしたら船酔いするのではあるまいか?という懸念はあった。だが実際に乗ったらそんな乗り物酔いのことなどサッパリと忘れてしまった。
3回目の釣舟の時もやはり酔うのではないか?という懸念を抱え、ずいぶんとガッチリ準備した。いやそうでもないか。前夜に酒を大量に飲んで、しかも3時間くらいしか寝なかったし。備えたというであれば、朝メシを食べなかったのと、酔い止めを飲んだくらい。
だけど酒という点であれば2回目の屋形船の時だって十分な量を飲んでいたし、決定的な違いがあるようには思えない。さらに酔い止めまで飲んでいるのだ。
その結果、惨敗。もう酔いに酔った。天候は快晴でとても穏やかな海であったのにも関わらず。15人くらいで乗り合わせていたけど、ダウンしてたのなんて僕くらいのもんだ。
おかげで船長(?)さんから不思議な生き物を見るような目で見られることになった。
この2回目と3回目の明暗をハッキリと分けたのは、「酔うのではないか」という予感を捨てられたか、そうでないか、ただただそれだけに尽きると思われる。
つまり、もともと酔いやすい人が乗り物に乗る際に「酔うだろうか、酔うだろうか、」と終始酔うことを考えてしまうと、三半規管や耳系のアレ系に関わらず、もうそれだけで乗り物酔いに陥ってしまうのはないだろうか。
汗っかきの人が人前で「汗をかかないように」と思えば思うほど汗をかいてしまうのと似ているような。フロイトの言うところによる、「抑圧された心的トラブルの象徴的表現」的な具象。なんか違うな。
乗り物酔いというのはその感覚を思い出すだけで、なんだか気持ち悪くなってくるくらいの強烈さがあるので、なおさらのことだと思う。
そんなわけで、乗り物酔いをする事の結論としては先天的であったり後天的であったりいろいろと考えられるなぁ、というフワフワしたトコに着地して終わり。
余談だがHさんがこの夏休みを利用して大阪のUFJに旅行するらしいのだが、大阪までなんと深夜バスを利用して行くという。乗車時間なんと12時間くらいだとか。ひえー。
タイム伊豆マネー、時は金なり。時間を買うつもりで新幹線で行った方が良いのでは?と余計なことだ思いつつ言ってみたが、奥様が倹約家らしく少しでも安い交通手段を選択せざるを得ないとのこと。
12時間も何やってるんですか?と聞いてみると、「本でも読んでるよ」とHさん。
とうぜん僕は疑問を口に出してみる。「酔いませんか?」
Hさん「ぜんぜん酔わないよ」
へぇぇ。すげーな!10代の頃は僕も大阪や仙台に深夜バスでちょくちょく行っていたが、一体なにをやって凌いでいたのだろう。PSPも携帯もないあの時代に(仮にあっても酔うから使えないけど)。あの頃はテレビが付いてて映画を流していたり、座席にヘッドフォンが設置してあって音楽を聴くことができた。もちろんウォークマンも持参して行ったし。適当に音楽を聴いたり寝たりしてるうちに12時間くらいアッという間に過ぎ去ったのかもしれない。