10代のころ、短期間ですが、夢日記をつけたことがあります。
枕元にノートを置いて、目が覚めるとすぐ書きとめました。
ほんとにすぐに書かないと忘れます。
断片的なキーワードひとつふたつでもいいのです。
書くと忘れません。
読み返し、思い返し、あるいは他人に話したりするたびに、
意味のない夢は意味づけされ、ひとり歩きを始め、、
少しずつ変形し増幅して、だんだん違ったものになっていく。
それは怖い夢ばかりでした。
身体に悪いからすぐにやめなさい、と教えてくれた人がいました。
やめて、よかったと思います。
〈殺風景な港のようなところです。
岸壁に大きな船が、ぼんやり見えます。
夜なのか、暗くて、雨も降っているようです。
おおぜいの人がいて、その船に乗ろうと急いでいます。
わたしも、その中にいます。誰かとしっかり手をつないでいます。
突然、光がさすように、わかるのです。
ああ、そうか。夢じゃない。こっちがほんとうなんだ。
いつもみていた、むこうが、夢だったんだ。
わかったことがうれしくて、うれしい気持ちでいっぱいになって、
わたしは笑いながら走っていく。誰かと手をつないで〉
…あれは、どこへ行く船だったんだろう。
「こっちがほんとうだ」という、あのときの感覚は、
いまでも鮮明に思い出すことができます。
普通に町を歩きながら「あ、こっちは夢だ」と思うこともあります。
わたしは、いま、どっちがわに、いるんだろう。