久々想い出話しです。D高当時のお話しです。
多少ヤバいところもあるのですが、「若気の至り」、「時効」と云う処でお許しを!
決して母校の名誉を汚すつもりはございませんので、ご理解の程を。
前回の体育祭の続きになります。
無事、仮装行列の山車用に借りたリヤカーを返し終え、いよいよ打ち上げです。
私達2組はやりましたが、他のクラスはどうしたのかは覚えておりません。
会場は丁度自宅の引っ越しでほぼ空き家状態だった羽〇野の家。
そこに集まったのは総勢25人。クラスは全員で38(女子3人を含む)人でしたら65.78%の出席率です。
(撮影はT野くん。私は「あ~ん」・・・恥ずかし~い)
料理は写真で見ると「とんちゃん」がメインだったようです。
残念ながら乾杯の写真は出せません。ご理解ください。アハハ。
途中の事はほとんど思い出せませんので省略します。
まぁ、沈没事件のすぐ後ですので、その話で盛り上がった事は間違いないでしょう。
私が特に記憶に残っているのは〇瀬君の事です。
記憶違いかも知れないんですが、私の記憶では次の騒動と体育祭の打ち上げがリンクしてるんです。
会も終盤となり、テーブルから別の部屋へと移動したり、外で涼む者もいます。
そろそろ自宅へ帰る者も出始めた頃です。適量を超えた〇瀬が「帰る~!」といってフラフラと外へ出ようとするのを制止する数人がいます。なんと彼は原付きで来ていたらしく、「(原付きを運転して)帰る~!」と騒動しているのです。
当然、そんな事はさせられません。事故を起こすに決まってますし、そうなると、私達もヤバイ事になります。なんせ、沈没騒動のすぐ後ですからね。それこそ「謹慎」では済まない事態になります。
「泊まれ!」 「いや、帰る!」
そんなやり取りを繰り返しながら、2階へ上ったり、下りたり家中を廻っていました。
最終的には彼は寝てしまったようです。御世話をしてくれたのは誰だったんでしょうか?ご苦労様でした。
私はそのまま泊まりました。
翌朝の記憶です。
ちょっぴり二日●いが残る中、2階の一室に数人が居ます。沈没組みの面々だったんじゃないかなぁ。
部屋にはまだ引越しが済んでいないピアノが残っていました。
当時、羽〇野はピアノも弾くし、ドラムも叩く男でした。2年の時、9月の文化祭(だったっけ?)では上級生とドラムのセッションを披露したんだったなぁ。確かほとんど独学だったはずです。
私と誰かは窓際に腰かけ外をボーっと眺めています。
そして、誰かが羽〇野に言いました。
「なんか弾いてくれ」
「了解」
おもむろに彼が弾き始めたのは、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」でした。
これが朝のまどろみの中、いい感じでしたよ。
あの時、メロディーを聴きながら各々が未来に架けた橋は
現実のものとなったのか?
幻となってしまったのか?
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YouTube: サイモン&ガーファンクル『明日に架ける橋』
よくよく思い返せば、
8月27日の沈没騒動。
そして体育祭に向けた山車製作のひと騒動がたぶん9月末。
そして、体育祭が10月2日。
8・9・10月と騒動ばかりを起こしていたんですね。
この外にもまだまだ記憶に残っている騒動もあります。改めてUPしますね。
いや、受験生であることを感じさせない充実ぶり?ですね。
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