庭の片隅に、また、見逃しそうな花が咲いています。
フッキソウ(富貴草)、キチジソウ、キッショウソウなどと、結構な名前がついていますが、名は葉の様子から来ていて、花はイマイチとか。
私としては、ドウダ!と言わんばかりの花よりも、ひっそりと咲くこんな花に心が動きます。
キリシタン札や明治政府、五榜の掲示のドタバタ劇から高札の終わりまで、まだまだ続きます。
が、少し疲れたので、能のよもやま話などをボチボチ。
例によって、たまりにたまった能関係の故玩を紹介しながらです。
お付き合いをよろしく。
能楽の絵
能を描いた絵は、江戸時代から、多数描かれています。
江戸時代は、基本的には、絵師による肉筆の一品物。
歌舞伎とちがって、人気役者の浮世絵に相当する物は存在しません。
ただ、わずかですが、勧進帳(安宅)や俊寛など歌舞伎にもある(元々、能を歌舞伎にアレンジした)演目や歴史上の有名事件などには、能の浮世絵があります。
明治以降は、肉筆と錦絵の両方があります。残された品も多いです。
次に描かれた場面についてです。
能絵には、大きく2種類あります。
①実際に能舞台で演じられる様子を描いたもの。
②能のストーリィのなかのある情景を写実的に描いたもの。
②に関しては、能舞台では、あらゆるものをギリギリまでそぎ落としてあり、演出も実にあっさりしています。ですから、情景はすべて想像で描かれたものです。
江戸時代の絵は、ストーリィ中の情景描写が多い(②)。
逆に、明治以降はほとんどが舞台絵です(①)。
能 『遊行柳』
遊行上人(ワキ)が従僧たち(ワキツレ)を伴い白河関を越えて陸奥にやって来ると、一人の老人(前シテ)が現れ、かつて遊行聖が通った古道を教え、そこに生えている名木「朽木柳」に案内する。老人は、西行がこの柳のもとで休み、歌を詠んだ事を教えると、柳の蔭に姿を消します(前場)。
(中入り)
その夜、一行が念仏を唱えていると、老柳の精(後シテ)が現れ、上人の念仏で草木まで成仏できた事を感謝する。老柳の精は、華やかだった昔を慕い、柳にまつわる様々な故事を語り、よわよわと舞を舞う。やがて、夜明けとともに消えてゆき、あとには朽木が、残っているだけだった(後場)。
その夜、一行が念仏を唱えていると、老柳の精(後シテ)が現れ、上人の念仏で草木まで成仏できた事を感謝する。老柳の精は、華やかだった昔を慕い、柳にまつわる様々な故事を語り、よわよわと舞を舞う。やがて、夜明けとともに消えてゆき、あとには朽木が、残っているだけだった(後場)。
観世小次郎作。
世阿弥の名作『西行桜』を意識して作られました。
派手な場面は何一つないけれど、しみじみとした情感あふれる、能らしい能です。
「道のべに清水流るる柳蔭 しばしとてこそたちどまりけれ」
西 行
史蹟:遊行桜;栃木県那須郡那須町芦野
芭蕉は、謡曲にも造詣が深かったようです。
奥の細道では、「殺生石」を訪れた後、この地に足を止めました。
敬愛する西行法師が詠んだ「清水流るる」の柳を訪れ、その下で、自分も休んでみたかったのでしょう。
感慨に耽っているうち、気がつけば、田植えは終わっていた。
「田一枚植えて立ち去る柳かな」
芭 蕉
能・遊行柳の絵
河鍋暁翠は、河鍋暁斎の娘。女性画家。
いずれも明治時代の木版画、能舞台を描いたもの。
老柳の精(後シテ)が、作り物から出て、遊行上人(ワキ)に、老柳を表す柳の故事を語っているところです。
謡曲画誌
稀覯本です。
江戸時代、本格的に能を解説した唯一の絵入り本。
全八巻のうち、1,4,6,7,8巻しか持っていません (ん万円もつぎ込んだのに)。
復刻がなされています(勉誠出版、2011年)が、これはオリジナル。
橘守国は、上方の浮世絵師。詳細不明。
『謡曲画誌』は、50代の作と言われている。
遊行柳は、四巻に載っています。
絵は2枚。いずれも、能の中の一場面をリアルに描いています。
華やかな都の様子を語る場面です。
「🎵~蹴鞠(しうきく)の庭の面。四本の木蔭枝たれて。 暮に数ある沓の音。🎵~」
正式の蹴鞠場には、4本(柳・梅・松・楓)の式木が植えられていました。よく見るとそれらが描かれています。
蹴鞠は、遊行柳のストーリーとは何の関係もない(しいて言えば、柳の木が関係している?)のですが、能の本文(謡曲)では、このように、シュールに飛ぶことが多くあります。
謡曲はこの後、次のように続きます。
「🎵柳桜をこきまぜて。錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂いより。手飼の虎の引綱も。ながき思いに楢の葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなしや。🎵~」
手飼の虎=飼猫
じつはこれ、源氏物語、第34帖若菜上の一場面です。
「桜の花の下、蹴鞠に興じる柏木たち。その時、女三宮の飼猫が紐をからませ、御簾を上げてしまう。女三宮を見てしまった柏木は・・・・・・」
(源氏絵屏風六曲一双の一部。詳細はまたいずれ)
ことば遊びのように、ぴょんぴょん話しが飛んでいく。
能の特徴のひとつです。
こんなところが、移り気な自分に合っているのかも。