焼け木売るバカ、それを買うバカ
売る方も売る方なら、買う方も買う方です。
単なる焼け焦げた板。しかも、万札1枚。
裏側は
表面が焼け、ススで黒くなっています。裏側の方がひどい。一部は、炭化。
横90cm、縦45cm、厚さ2.5cm。重さは6kgもあります。
オリジナルの丸い吊り金具も残っていて、これは間違いなく、高札。
でも、文字らしきものは見えません・・・・・・かすかに1文字か2文字それらしきものが。
そこで、いつもの強力ライトの登場です。
お、おーーーーー・・・・・・・・
大の男3人(この作業は一人ではできないので、助っ人が他に二人)が、期せずして、感動の大声をあげました(笑)。
これほど劇的に変化する高札板は初めてです。
奉行の文字もくっきりと・・・なんとか、全体が把握できそうです。
高札の内容
何日間も格闘して、やっと読めました。
定
何事によら須よろしからさることに
百姓大勢申合せ候をととうととなへ
ととうしてしゐてねかひ事くわたつるを
こうそといひあるひハ申合村方
たちのき候をてうさんと申前々より御法度に
候條右類の儀これあらハ居村他村に
かきら須早々その筋の役所へ申出べし
御ほうひとして
ととうの訴人 銀百枚
こうその訴人 同断
てうさんの訴人 同断
右之通下されその品により帯刀苗字も
御免阿る遍き間たとへ一旦同類に成とも
発言いたし候ものゝ名まへ申出るにおゐてハ
その科をゆるされ御ほうひ下さる遍し
右類訴人いたすものなく村々騒立候節
村内のものを差押へととうにくわゝらせ須
一人もさしいたさゞる村方これあらハ
村役人にても百姓にても重にとりしつめ候ものハ
御ほうひ銀下され帯刀苗字御免さしつゞき
しつめ候ものともこれあらハそれそれ御ほうび
下しおかる遍き者也
明和七年四月 奉 行
定
何事によらず、良くない事を企み
大勢が申し合わせることを徒党と言い、
徒党して、強引に願い事を企てることを
強訴という。また、示し合わせて居町居村を脱走することを逃散といい、これらはいずれも厳禁である。右の類のことがあれば、居町居村に限らず、すぐさまその筋の役所に通報せよ。
ご褒美として
徒党の通報者 銀百枚
強訴の通報者 同断
逃散の通報者 同断
右のとおり与える。さらに、通報内容によっては、苗字帯刀も許されるので、たとえ、一度仲間になった者であっても、首謀者の名前を申し出れば、その罪をゆるし、ご褒美を与える。また、右の類の通報をする者がなく、あちこちの村々が騒ぎ立った時でも、村内の者を取り鎮め、徒党に加わらせず、一人も咎人を出さなかった村があるならば、村役人であれ百姓であれ、主になって取り鎮めた者にはご褒美を与え、苗字帯刀も許し、続いて鎮めた者達がいるならば、それぞれにご褒美を与える。
明和七年四月 奉 行
明和七年四月発布の徒党強訴逃散禁止札です。
徒党、強訴、逃散の禁止を定め(恒久法)として命じ、通報者には褒美を与えると述べています。
また、通報の内容次第では、苗字帯刀が許され、騒ぎに加わった者でも首謀者の名を知らせれば罪が免除となりました。村内を鎮め、咎人を出さなかった場合、百姓であっても功労者には褒美を与え、苗字帯刀を許すなど、手厚い優遇策を用意していたのです。
江戸中期以降は、幕府や諸藩にとって、切支丹よりも、民衆が徒党を組んで事を起こすことの方が厄介だったのでしょう。
火事と高札
江戸時代、家の密集した場所では、火事が非常に多かったので、町中に設けられた高札場は、しばしば、火事の被害を受け、高札も火にまみれました。
災害時に、高札場から高札をはずして避難させる担当の役も決まっていたようです。
焼失をまぬがれた高札はそのまま掲げ、一部破損品は補修して再利用、焼けのひどい高札は廃棄処分されました。
この明和の徒党禁止高札は、火事にあいながらも、再利用されることも、処分されることもなく、200年余保管され、偶然、私の手許に来たのです。
高札の掲示場所や来歴は不明ですが、品物の出所からして、関東地方の高札場の物らしい。
火事にあった高札。
現存するのはこの品のみか?