春ですね。
クリスマスローズが満開です。
先日、鼓の会があり、遊行柳の囃子を打ちました。
何十年も前、謡、仕舞を習い始めて何年かたった頃、外にも何かやってみたいと思うようになりました。
おお、そうだ。鼓だ!
当然、何の知識もありません。触ったこともない。
どうやら、能の鼓には2種類あるらしい。大鼓と小鼓。
そこで、能楽堂でじっと観察(鑑賞ではなく)。すると、どう考えてみても、小鼓は、大鼓の3倍くらい数多く打っているのです。
どうせやるなら、多く打てる方がいい!・・・・・
という、笑えるほどイージーな判断で小鼓に決定!
それが間違いのもとでした。
ポン、ポン、ポンとよい音が出る、はずでした・・・・・・・が、バケツの底を叩くほどの音さえしない。
後で知ったのですが、小鼓を始めたら3年間は音が出ないと心得よ、だったのです。
それにもう一つショックだったのは稽古場の見学。
高級そうな着物を装った、上品な御高齢の女性(お婆さん)が、ヨゥ、ホゥと掛け声をかけながら、小気味よくポンポンと打っているではないですか。しかも、無本。
こんなことが、自分にできるのだろうか?
ゴムボートでひとり、大海へ漕ぎ出すような気持ちでした。
素人が舞台に立つ
最初は、心臓が喉から飛び出るかと思いました。
ここはどこ、わたしはだれ・・・・頭が真っ白になり、舞台上で立ち往生。
回を重ねるうちに、少しずつ慣れてはきましたが、今でも、緊張がとれません。
舞台は忘れそうになった頃にやってきます。その時はあれこれ反省しても、すぐに忘れてしまいます。
情けないことに、いまだに、満足に帯が結べません。袴の紐もすぐに緩んでしまう
一番の問題は、ぶっつけ本番であることです(大きな曲では、事前の申し合わせもありますが)。
普段の稽古は、師匠と一対一。師匠が、謡、笛、大鼓、太鼓を一手に引き受け、それに合わせて、小鼓を打ちます。
ところが、いきなり、さあ本番。横に並ぶのはプロばかり。
能の囃子は、能管、小鼓、大鼓、太鼓、すべて一人ずつです。(翁の場合は例外で、小鼓が3人)
謡いも含め、それぞれが主張し、せめぎ合うところに、何とも言えない緊張感が生まれます。
予定調和の安全運転では、面白くない。
ですから、プロの方も手加減をしてはくれません。
↓組み立てると
蕪絵は、「根が張る」を「音が張る」ともじって、好んで使われます。
蕪は「良く実る」から転じて「良くなる」とも。こんな所にも、遊びごころが。
遊行柳という曲
遊行柳の手付け(楽譜)です。
何の変哲もない謡本ですが、赤で小さく書いてある部分が小鼓の手です。これがすべて。後は、練習あるのみ。
一番の難関は、暗譜です。
小鼓を始めてみてわかったのですが、早い曲よりもゆっくりしたものの方が、はるかに難しい。
勢いで打っていくのと違い、ゴマカシがききません。
ゆっくりの曲は位の高いものが多く、情感を表現できなければ退屈このうえない。
ですから、寂閑とした雰囲気を保ったまま、最後は消え入るように終わる遊行柳は、謡も囃子も力量が問われる能です。
今回の囃子は、遊行柳、後場です。
夜、柳の精が白髪の老翁姿であらわれ、遊行上人一行に、柳にまつわる故事を語る場面から始まります。
年老いて、弱々しい老翁ですが、華やかな都の情景を生き生きと語ります。
「~柳桜をこき混ぜて、錦を飾る諸人の、華やかなるや小簾の隙、洩れくる風の匂ひ来て~」
能・遊行柳は、桜の季節の物語りなのでしょうか?
西行が、柳の下で休み、歌を詠んだのは水無月(7~8月)半ば。
芭蕉がこの地を訪れ、句を詠んだのは6月初旬。
能・遊行柳、導入部、道行きで、
「♪~心の奥を白河の。関路と聞けば秋風も。~♪」
と従僧たちが謡います。
寂しさを出すため、季節は設定は9月に設定されているのです。
ですから、後場に、「~柳桜をこきぜて~」とあるのは、桜で華やかさを少し加えて、老柳の精が、よわよわしく舞を舞い、消えていく寂寥感をきわだたせるためと考えられます。
このように、デリケートな雰囲気を小鼓で打てたでしょうか。
もしよかったら聞いてみてください。青柳之舞の小書付きです。
囃子 「遊行柳 青柳之舞」
ps. 誤ってICレコーダ全削。あわてて復活ソフトかけるも、一部上書きされ、最後の部分が欠けています。まちがえた箇所もいくつか。それに鼓の音もイマイチだし・・・言い訳ばかりですがよろしく。
ps. 小書きとは、能の特殊演出のことです。小書きがつくと、通常とは少し異なるバージョンとなり、難易度が上がります。「遊行柳 青柳之舞」の場合は、シテの舞いが、通常の序之舞から青柳之舞に変わります。