遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

面白古文書:歳をとると米がもらえた

2021年09月20日 | 面白古文書

久しぶりの面白古文書です。

36.6 ㎝x29.0 ㎝。明治3年。

津軽石村 
  孫七祖母 
   いわ 
    九十三歳

王政御一新養老典
 被為 挙生涯弐人
 扶持従
天朝下賜候事
明治三年庚午 七月
             江刺県廰 角印    

 

津軽石村 
  孫七祖母 
   いわ 
    九十三歳

王政御一新養老典を為され、
挙(こぞって)生涯弐人扶持、
天朝従(より)下賜候事

明治三年庚午 七月
     江刺県廰 角印     

この古文書は、明治3年に、王政一新養老典が開催され、天皇から、生涯、扶持米2人分が津軽石村のいわさん(93才)に下賜された時のものです。

江刺県:明治2年、仙台藩領、盛岡藩領の一部をまとめ、明治政府が設置した。明治4年に廃止。
津軽石村:岩手県下閉伊郡津軽石村。昭和30年まで存在。

 

養老典とは、官製の敬老祝賀会で、江戸時代から散見されます。聖徳太子や養老の滝伝説に、養老のルーツがあると言われています(はっきりとはわかりません)。有名なのは上杉鷹山の敬老精神に基く諸策ですが、他藩でもあったようです。が、まとまった資料はみあたりません。

養老典が目につくようになるのは、明治2-5年です。まだ、足元がかたまっていなかった明治政府が、王政復古の掛け声によって新体制を強化しようとしていた時期です。すべての県で養老典がもたれたかどうかは不明ですが、高齢者に福を施すことによって、新政府への印象を好転させる狙いがあったのでしょう。

それにしても、生涯弐人扶持とは大判振る舞いですね(^.^)

コメント (6)
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