40年前に入手した鰹の形の蓋物漆器です。
京都、東寺の骨董市で購入しました。
実はこの頃、私は心身ともに衰弱しきっていました。
その少し前、私は目を患い、地方の大学病院で手術を受けたのですが、手術ミスで右目を失い、おまけに院内感染で高熱が続き、生死の境をさまよいました。こちら側へ戻ってこられたのは偶然です。低レベルの病院で、危うく殺されるところでした。
この時の記憶はあまりにも悍ましく、今でもはらわたが煮えくり返るので、これ以上は止めておきます。
にわか片目は不自由です。湯飲みに注いだつもりのお茶が全部テーブルの上にこぼれる始末、遠近感がとれないのです。効き目がダメになり、細かい作業はできません。仕事も、内容を180度転換せざるをえませんでした。
なお、私のブログの文字が異様に大きいのはそういう事情からですのであしからず。
何事にもやる気がで出ず、悶々とした日々を送っていました。
そんな時、雑誌で見た骨董市がふと頭に浮かびました。
「そうだ、東寺、行こう!」
有り金全部(高が知れている)をポケットに入れ、東海道線の鈍行に乘り込みました。
この日は、たまたま21日の弘法市のなかでも、年末の終い弘法に当っていて、ものすごい人出でした。
そこで見つけたのがこの品です。
長さ 44.2㎝、幅 16.8㎝、高さ 9.7㎝。江戸時代後期。
胸ヒレが把手になっていて、蓋がとれます。腹の中に物を入れるようになっています。一度だけ、鰹のタタキを入れてみました。菓子器の方が向いていると思います。
なかなかよく出来ています。
背びれが欠けていたので、木工パテで成形し、黒漆を塗って補修。
尾びれも折れていたので、ボンドで補修。
疵物にしては、結構なお値段でした。その理由は、稀少性。
何処の骨董市へ行っても、赤い鯛の蓋物漆器があります。よほど多数作られたのでしょう。ところが、鰹は少ない。これ以降、お目にかかったことがありません。
ところが・・・
5年前に催されたシーボルト展の図録です。実際に見に行きましたが、多数の展示物のなかでひときわ目立っていました。この展示会の目玉の一つだったのです。赤い鯛ではなく、地味な鰹の蓋物を蒐集してオランダへもって帰るとは、シーボルトさんの目はなかなかですね(^.^)
私にとって、鰹蓋物漆器は、記念碑的な品物です。それまでも、古民具のような物を、ボツボツと集めてはいたのですが、この日を境に、我楽多道に邁進することになったからです。それが良かったのか悪かったのか、神のみぞ知るです(^.^)
40年間、片目でやって来ましたが、残っている左目も、視野が7割を切ってきました。先を急がねばなりません(^^;