遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画12.菱川師宣『角田川』(印刷)

2022年05月07日 | 能楽ー絵画

初期の浮世絵、菱川師宣『角田川』です。

原図は、千葉県美術館所蔵、今回の品は美術印刷です。

21.8㎝x37.9㎝、印刷(原画は江戸初期(延宝七年(1939))、千葉県美術館所蔵)。

菱川師宣:元和四(1618)年?ー 元禄七(1694)年。江戸前期を代表する絵師。浮世絵の様式をつくり上げた。

舞台で演じられる劇を、観客が楽しんでいる絵です。江戸初期の庶民の風俗を描き止めたものでしょう。

笹を持った女が舞っています(能では、笹は狂女の持ち物)。

舟に見立てた作り物のなかの乗客と船頭は、女の舞いを見ています。

舞台の端には、土の塊と柳の作り物が置かれています。

舞台奥には、小鼓と三味線で囃す人たちがいます。

まばらな観客ですが、リラックスして楽しんでいます。

これは、有名な『隅田川』の場面ですね。

人買商人に、息子、梅若丸を連れ去られた女が、我が子を探して、京から東の国、隅田川の渡しにやってきます。船頭は女に、面白く狂い舞えば渡してやると言います。

それに対して、女は、伊勢物語、東下りから和歌を引用しながら、船に乗せてくれるよう、必死に頼みます。

「我もまた。いざ言問はん都鳥。いざ言問はん都鳥。我が思子は東路に。有りやなしやと。問へども/\答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守。さりとては乗せてたび給へ。」

能『隅田川』前半のクライマックスです。

女は必死に頼み込んで、なんとか船に乗りこみます。

舟上で船頭は、行き倒れになった哀れな子供の話をします。そして、その子こそが、我が子、梅若丸であることに、女は気づくのです。

向こう岸には、梅若丸を弔う塚があります。

河鍋暁翠、版画『隅田川』、明治時代。

能の後半、泣き崩れる母は、気を取り直して、念仏を唱えます。すると、塚の中から「な・む・あ・み・だ・ぶ・つ」の声が聞こえ、童子が現れます(童子が現れず、声だけが聞こえる演出の能も有り)。必死で我が子を抱こうとする母。しかし、抱きしめようとしても、童子はするりとぬけてしまいます。そのうちに、東の空が白み夜が明けると、童子の亡霊は消え、母は草ぼうぼうの塚の前で泣き崩れるばかりでした。

能は、基本的には悲劇です。しかし、ほどんどの演目では、最後に神仏に救済されるストーリー展開になっています。『隅田川』は例外的に、救われることなく終わる能です。母が打ち鳴らす鉦鼓の物悲しい音色。母、童子、地謡が交互に謡う「南無阿弥陀仏」。これらが静かに響き渡り、人々の心の中に親子の悲劇が非常に深く刻まれます。世阿弥の長男、観世元雅渾身の作です。

『隅田川』は大変人気があり、その後、歌舞伎や浄瑠璃でも演じられるようになりました。

さて、今回の能画を見て、ん!?となる点がいくつかあります。

まず、バックの囃子です。能の囃子は、大鼓、小鼓、笛が基本です。そして演目により太鼓が加わります。ところが、描かれているのは、小鼓と三味線・・・これは能ではなく、歌舞伎?

さらに、主役の母親役は女性です。江戸時代、能、歌舞伎では、演者は男性に限られていました(今でも、あまり変わりません)。それに対して、この絵では、素顔の女性がシテを演じているのです。

そんなことが有りうる?

いろいろ資料にあたってみたところ、興味深い物を見つけました。

『猿猴庵の本 北斎大画即書細図・女謡曲採要集』名古屋市博物館、2004年

これは、尾張藩士、高力猿猴庵(こうりきえんこうあん、1756~1831)が絵入りで記した、祭り、見世物、開帳など、娯楽を記した本で、『女謡曲採要集』には、文化3年に、名古屋で催された女能の記録が載っています。

能『海士』の「玉の段」(先回のブログと同じ)の様子です。女性を中心にして能の興行がおこなわれています。シテ、海女の役を素顔の女性が演じているのは、今回の隅田川の母親の場合と同じです。また、バックの囃子が、小鼓と三味線である点も同じです。

どうやら、江戸時代、このタイプの能は、庶民の間でひそかに楽しまれていたようです。女歌舞伎が禁止されていたように、女能も表立っては演じられなかったのでしょう。

菱川師宣の『角田川図』は、やはり、能の『隅田川』を描いたものなのですね。船や塚などの簡素な作り物も、この絵が演能図であることを示しています(歌舞伎なら、もっと大掛かりで写実的)。

 

コメント (2)
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