今回の品は、江戸時代、高札の代表となった5種類の正徳の大高札のうちでも、江戸幕府が最も重視した切支丹禁制札です。どの高札場にも優先して掲げられました。
40㎝x69㎝、厚 1.4㎝。重 1.5㎏。江戸中期ー後期。
屋根の付いた駒形の高札です。吊り金具や補強の裏木はありません。
この品が、正徳元年(1711)に掲げられた物かどうかはわかりません。高札板は風雨にさらされて傷むし、火事にあい焼失もしました。したがって高札板の寿命はそれほど長くなく、新たな高札板に替えられたからです。その場合にも、発行年、「正徳元年五月日」をはじめ、文面は全く同じでした。
今回の品は風化がすすんで、文字が全く読めない状態です。しかし、横方向から強力なライトをあてると、陰影が増し、文字が浮かび上がりました。
定
き里志たん宗門ハ累年御禁制
たり、自然不審成ものこれあらハ、申
出へし、御不うひとして
はて連んの訴人 銀五百枚
い累まんの訴人 銀三百枚
立かへ里者の訴人 同 断
同宿并宗門の訴人 銀百枚
右の通下さるへし、たとひ同宿
宗門の内たりといふとも、申出る
品により銀五百枚下さるへし、かく
し置他所よりあらはるゝにおゐては
其所の名主并五人組迄一類ともに
可被行罪科候也
正徳元年五月日
奉行
定
キリスト教は、これまでずっと禁止であり、これからも禁止である。もし不審な者がいたら通報せよ。ご褒美として、
バテレンの通報者 銀五百枚
イルマンの通報者 銀三百枚
立ちかえり者の通報者 同 断
同宿や信徒の通報者 銀百枚
右の通り、与えよう。たとえ同宿やキリスト教徒であっても、申し出る品により銀五百枚を与えよう。もし匿って、他の所から露見した場合には、その所の名主と五人組まで罪を負うことになろう。
正徳元年五月日
奉行
バテレン:司祭
イルマン:修道士
立ちかえり者:仏教へ改宗後、再びキリスト教へ戻った者
同宿:日本語でイルマンを補佐し、布教を助ける人、伝道補佐人
老中:この時代(江戸時代初期頃まで)、まだ、〇〇奉行という職は無く、奉行は老中(年寄)をさす。
高札の典型、切支丹札の特徴は、密告制度です。キリシタン関係者を見つけ、通報すれば報奨金がもらえたのです。銀五百枚は、現在の貨幣価値で、2000万円ほどに相当するので、かなりの額の金です。どれくらいの通報があったかわかりませんが、社会に監視の網を張り巡らす効果は大きかったと思われます。
もう一つの特徴は、五人組に代表される連帯責任体制です。これは、近隣の五戸を一組とした単位組織で、日常の様々な事柄について、組内で連帯して責任を負うというものです。キリスト教禁止の徹底もその一つでした。そのための具体的な方策として、宗門人別改(しゅうもんにんべつあらため)が行われました。
宗門人別改状は、次回のブログで紹介します。
歴史はしばしば為政者に書き換えられますが、この高札は文字通り歴史の証拠だと思います。
本来はゴミになるところだったんでしょうから、残した人は先見の明があったということになるのではないでしょうか?それとも、たまたま残ってしまっていたのでしょうか?
いつも貴重なものを見せていただきましてありがとうございます。
用済みになった物はどんな運命をたどったのでしょう。この品がどのような経緯で残ったのかは不明です。取り替えられた元の高札をどうするかについての指示があったかどうかもわかりません。
この品は、たまたま私のもとへ来たわけですが、私の後、どうなるか・・・神のみぞ知るです(^^;
このような物を前にしての説明には説得力がありますね(^-^*)
このような歴史の生き証人のようなものは、いつまでも残ってほしいですよね(^_^)
私の集めた古伊万里も、何時までも残って欲しいと思っております。
百聞は一見にしかず、です。
じっと相対していると、人と物との関係が浮かび上がってくる気がします。
高札は、支配のための物ですから、ことさら直接的です。
その点、陶磁器は身近で平和です(^.^)
長崎にいると訳がわからなくなります。
観光資源の一つとして、キリシタンは大切なもので、悲愴感を売りに観光客を呼べます。
その歴史観が正しいと考えていましたが、実はキリシタンが行った事は残虐な事で、神社仏閣を破壊し、また海外へ奴隷として売り飛ばされた人もいたりしました。
普段の生活から見聞きするのとは真逆で、びっくりしました。
しかし又、キリスト教の信者も普通に暮らす街なので、御先祖様が弾圧された子孫もいるわけで、、、
その方たちは、やはり島流しにあった御先祖様の無念があるわけで、、、、、
宗教は難しいです。
そこまで込み入ったことでなくて、小さな皿一枚でも、それが作られ、使われた時代にいなかった我々からすると、本当はわからないことばかりのはずです。それを、さも何でもOKのように話すのが鑑定士(^^;
墨の文字が綺麗に残っているので、何故なのか、ボランティアのおばさんに質問したら、昔の高級な墨は、ニカワを混ぜてあるので、風化せずに綺麗に残っているのです、との説明を受けて驚いた記憶があります。
古民家に高札がかかっていると、とても雰囲気がありますね。
高札の状態は、設置場所や期間によって非常に大きく異なります。屋外の設置で、江戸期の物は、まず、消えていると思って間違いないでしょう。ただ、薄くなった場合、上から書き直すので、直後はクリアーです。
墨はもともと煤をニカワで固めて作ってあるので、接着力は強いです。ただ、墨が付着した木材部が風化して剥落していくので、いずれ黒色も消えます。この時、墨がのっていた部分は他の部分より剥落の速度が遅いので、結果として、高札板上に文字が浮き彫りされたようになります。
庄野宿の小林家の高札がどの時代のものかわかりませんが、こういうところや資料館に展示してある高札のほとんどは幕末維新の物です。これは墨書が非常に鮮明に残っています。次回以降のブログで、それらを紹介したいと思います。