遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

正徳大高札の写し

2023年04月04日 | 高札

江戸時代には、数多くの御触書、御達書の類が出されました。これらは、老中、若年寄の会議で方針を定め、奥右筆筆頭が起草し、将軍の裁可を得て制定されました。そして、書き付けと称する写しがつくられ、各方面に配布されました。配布先は、御触書の目的、内容などによって決められました(『高札ー支配と自治の最前線』大阪人権博物館、1998年)。
幕府自身、数千通にものぼる御触書類を、江戸時代、4回にわたって、整理、分類し、記録に残しています。これらは、後に、御触書集成と名付けられました。高札として掲示され、一般の人々に広く知らされたのは、膨大な御触書の一部なのです。

 このようにして、江戸時代には、種々の高札が発行されました。それらは、大きく3種類に分類されます。高札場に掲示された幕府の主要政策を示した公儀高札、各藩が独自に定めた自分高札、そして、この2種類には入らないその他の高札類です。なお、新政府が出した高札は、天朝高札と呼ばれています。故玩館所蔵の高札類14枚の内訳は、公儀高札が5枚、天朝高札6枚、その他の物が3枚です。その他の物の内訳は、私的高札が1枚、発給主体が、町、業界の物が各1枚です。
公儀高札や天朝高札については、これまで多くの研究がなされてきました。特に、切支丹札や火付け札、贋金銀銭取締札、徒党禁止札などについては検討がすすみ、密告制度をはじめ、幕府や新政府の民衆政策はかなり明らかになっています。一方、他の高札類については、系統的な研究がほとんど行われていません。が、これらは当時の世相を反映しているものが多く、人々の暮らしを知る手がかりを与えてくれるのでいっそう重要です。

今回のブログでは、まず、江戸時代の高札の代表である、正徳の大高札を概観します。
徳川幕府は、村々に高札場を設け、法度や掟書を記した板札を掲げました。人々を律し、統治するため、その種類は多く、複雑で多岐にわたっていました。また、老中や将軍がかわるたびに新たな高札が掲げられ、その手間と経費も大きな負担でした。
そこで、種々の高札はやがて整理され、正徳元年(1711)に5枚の高札が出され、江戸時代の代表的なものとなりました。これらは、正徳の大高札とよばれています。忠孝札、毒薬札、切支丹札、火付札、駄賃札。これら五札が、徳川治世の基本となり、駄賃札の改定を除いて、幕末まで同じ文面で掲示されました。このうち、切支丹札が最も重視され、すべての高札場に掲示されました。   

故玩館には、正徳大高札5枚のうち、切支丹札の高札と5枚を写した木版物があります。

今回の品物は、正徳大高札の写し(木版)です。これによって、正徳大高札の全体を知ることができます。

14.9㎝x21.2㎝、13丁。江戸中期ー後期。

【切支丹札】

【駄賃札】

【忠孝札】

【毒薬札】

【火付札】

江戸時代、触書などの法令は、書き写すのが基本でした。もちろん、高札自身も、役人による墨書です。高札の文面は、村役によって書き写され、保管されました。
しかし、正徳の大高札などの基本的な高札は例外的に出版が行われました。儒教倫理や切支丹禁止、徒党強訴逃散禁止などの法令を、社会の隅々にまで行き渡らせようとして、特別な計らいがなされたのです。したがって、木版物は、ある意味、肉筆による写しよりも価値があります。
今回の品物は、江戸中後期に出版されたと思われる高札写しです。木版刷り13丁を、紙紐で簡単に綴じてあります。内容は、正徳の大高札など江戸中期の高札8種です。漢字にはすべて、かながふってあります。寺子屋の教材として用いたのでしょう。

忠孝札では、親子兄弟等は互いに慈しみ、一生懸命に働くなど、日常生活の規範が述べられるとともに、賭博、喧嘩などを戒め、盗賊悪党の通報を奨励しています。毒薬札は、毒薬、偽薬の売買禁止、贋金銀銭扱い禁止、価格操作の禁止などに加えて、徒党の禁止も命じています。切支丹札は、密告の奨励と厳罰によりキリシタン厳禁をうたっています。火付札は、火付人の通報と捕縛、火事場泥棒の厳罰などについて述べています。駄賃札は、人足の数、荷物の重さ、人馬の賃などを定めています。

 上の写真の5種類の高札を較べてみると、忠孝札、毒薬札は、その内容がかなり雑多であることに気づきます。大高札制定の過程は不明ですが、各種の禁令などを十分に整理統合しないまま、高札にしたのでしょう。それに対して、切支丹札、火付札、駄賃札は、簡潔に法令をまとめています。特に、切支丹札の高札としての完成度は高く、徒党禁止札など、その後の高札は、この切支丹札のスタイルに倣っている物が多くあります。

次回は、高札の代表ともいえる、切支丹札を紹介します。


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4 コメント

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遅生さんへ (Dr.K)
2023-04-04 09:21:56
私は、高札類を、単に、骨董の対象の類としてしか見てきていませんでしたが、こうして、学問的に整理されますと、歴史的にも文化的にも貴重な資料であることに気付かされます。
故玩館は、美術館のみならず、歴史史料館でもありますね(^-^*)
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Dr.Kさんへ (遅生)
2023-04-04 09:41:45
私にも、高札は骨董です、しかもガラクタ。特に、オーソドックスな定番の高札は、文面も形式も決まっているので、今さらという感じです。オレはお上の品をもっているんだぞ、という男のはかないミエです(^^;
んな中で、オヤッと思うことに気が付いて、荒野で福沢諭吉さんに出合った気分になるのを夢想している次第であります(^.^)
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Unknown (jikan314)
2023-04-05 07:22:13
遅生様
高札についてのご高察を拝見して勉強になりました。
ばてれん(伴天連)は知っていましたが、いるまん(伊留満,入満)は、初見でした。
御免、御法度は、現代語でも残っているなあ?とハッとしました。江戸文化歴史館故玩館ですね😁
私は、福沢諭吉がたくさん来訪すると夢うつつで、酒を飲んでいます😃それで、我が家ではいつも素通りで、なかなか留まってくれません。(笑)
又お邪魔いたします。
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jikan314さんへ (遅生)
2023-04-05 08:15:52
言葉も含め、これくらいの時代のことがらが今につながっている場合が多いですね。尤も、お茶やお花など室町文化は別格ですが。
私が扱っているガラクタ類も、江戸以前の物は極端に少なくなります。ま、その理由の最たるものは、福沢諭吉さんと縁遠いことです(^^;
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