久しぶりの面白古文書です。
36.6 ㎝x29.0 ㎝。明治3年。
津軽石村
孫七祖母
いわ
九十三歳
王政御一新養老典
被為 挙生涯弐人
扶持従
天朝下賜候事
明治三年庚午 七月
江刺県廰 角印
津軽石村
孫七祖母
いわ
九十三歳
王政御一新養老典を為され、
挙(こぞって)生涯弐人扶持、
天朝従(より)下賜候事
明治三年庚午 七月
江刺県廰 角印
この古文書は、明治3年に、王政一新養老典が開催され、天皇から、生涯、扶持米2人分が津軽石村のいわさん(93才)に下賜された時のものです。
江刺県:明治2年、仙台藩領、盛岡藩領の一部をまとめ、明治政府が設置した。明治4年に廃止。
津軽石村:岩手県下閉伊郡津軽石村。昭和30年まで存在。
養老典とは、官製の敬老祝賀会で、江戸時代から散見されます。聖徳太子や養老の滝伝説に、養老のルーツがあると言われています(はっきりとはわかりません)。有名なのは上杉鷹山の敬老精神に基く諸策ですが、他藩でもあったようです。が、まとまった資料はみあたりません。
養老典が目につくようになるのは、明治2-5年です。まだ、足元がかたまっていなかった明治政府が、王政復古の掛け声によって新体制を強化しようとしていた時期です。すべての県で養老典がもたれたかどうかは不明ですが、高齢者に福を施すことによって、新政府への印象を好転させる狙いがあったのでしょう。
それにしても、生涯弐人扶持とは大判振る舞いですね(^.^)
今なら150歳ぐらいとかありえませんね。
その記録が残っていたなんて、親族ではなくても嬉しく思います。
何歳以上の人が会に招かれ、お米をもらえたのかわかりませんが、最高齢だったかもしれませんね。
もう150年たっています。こういう文書が残っているのも不思議です。
文字の力は偉大です(^.^)
ここ20数年前まで、90才を超える人はまれでした。
めずらしかったのでしょうね。
明治になってすぐ、混乱期になんとか民意をまとめたかったのでしょうか。たしかに記録というものはすばらしいですね。
遅生さんのお宝も幅広くすごいですね。
>ここ20数年前まで、90才を超える人はまれでした。
何かで読んだのですが、近年の寿命の延びは、若者、中年でなくなる人が少なくなったからだそうです。当り前と一笑にふしていたのですが、考えてみれば、同世代で中途で抜けた人が何人かいました。最近は、そういう人は少なくなりました。本来の寿命に近づいているのでしょうか。
でも、これ、読むことが出来なければパスしてしまいますね(~_~;)
読み下し文がなければ価値が分かりません(><)
「生涯弐人扶持」というのは、この「いわ」さん限りということなのでしょうか、、、?
そうだとすれば、「いわ」さんも93歳ですから、残りの生涯にするとたいしたことではないですね。
人気取りの演出でしょうか、、、。
明治3年はまだ、戊辰戦争の傷跡があちこちにあった時です。特に東北地方は酷くやられましたから、新政府には相当恨みをもつ人が多かったと思います。天皇を使った懐柔策ですね。