遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿11 黄瀬戸?石皿

2020年08月07日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

瀬戸の石皿です。

この品は、以前のブログで簡単に紹介したことがありますが、今回、瀬戸の大皿として詳しく見てみます。

全体にがっしりとした造りで、外側に太い鍔があるのが石皿の特徴です。

径 32.0㎝、高 5.3㎝、高台径 15.㎝。 江戸後期。

 

江戸後期に瀬戸で焼かれた日用雑器(石皿、行燈皿、馬の目皿、絵瀬戸)の中で、一番がっしりとした皿で、実用本位の品物です。

現在、軽妙な絵付けのある石皿が珍重されますが、実際に焼かれた石皿は、ほとんどこのように、全体に灰釉を掛けただけの無地の皿です。

この品は、長年酷使され、満身創痍です。

実はこの皿、故玩館を改修した時、床下から出てきた物です。100年以上たって、文字通り日の目を見たわけです(^^;

典型的な石皿ですが、灰釉の色が黄色がかっています。

これくらいの色調になれば、黄瀬戸といっていいでしょう。もちろん、桃山時代に美濃で焼かれた本家の黄瀬戸に及ぶべくもありませんが、黄瀬戸の黄色は、灰釉の酸化焼成によって出来た色です。無数の灰釉陶器のなかには、黄瀬戸調のものがあっても不思議ではありません。

 

灰釉が黄色の筋となって流れて、景色を添えています。

 

びっしりとしたジカンも、味のひとつ。

 

無造作に大きく付いた目跡(窯道具のくっつき跡)は、時代が遡る事を示しています。石皿も、他の多くの焼物と同じように、時代がたって洗練されるにつれ、目跡は小さくなってくるからです。

市場的には、ほとんど価値をもたない、素の(絵のない)石皿ですが、見方を少しかえてやれば、それなりに味わい深い物にかわります。

たいした物を残してはいないご先祖様ですが、また他の品もボチボチ紹介していきます(^.^)

 

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大皿10 七宝花鳥紋大皿 | トップ | 大皿12 道成寺石皿 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (酒田の人)
2020-08-09 00:10:56
これぞ「用の美」ですね!
床下から出てきたというのがまた素晴らしいです
尺二寸もある大きな石皿ですが、どういった用途で使われたんでありましょうか?
ウチも江戸後期から180年くらい続く家ですが、馬喰宿なんぞやっていた関係で
明治時代に鉄道が敷かれたことで没落しております。
(よって何も残されていない・・・)
返信する
酒田の人さんへ (遅生)
2020-08-09 10:32:52
この手の皿は、本当の日用品です。用途は、煮物などを盛る器です。一般の家庭でも使われましたが、少々大きいので、特に旅人宿では数多く備えていました。酒田の人さんのご先祖も、この類の皿を必ず使っていたはずです。
ただ、非常に頑丈ですが重いので、流通からすると、東海地方が中心だったのかも知れません。日本海側だと、船便でぐるっとまわらなければならないので、高級品ならまだしも、日用雑器では北前船にはのらなかったでしょうね。
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2020-08-11 13:35:18
このお皿は、故玩館を改修する際、床下から出てきた物なんですか。
はっきりと100年以上経っていることが分かるものなんですね。
このような物が自宅の床下から出てくるということ自体、素晴らしいです(^O^)
歴史の生き証人ですね(^-^;
返信する
Dr.kさんへ (遅生)
2020-08-16 21:07:17
歴史の生き証人でも、粋な絵柄のある、もう少しマシな石皿であって欲しかったです(^^;

伊万里焼でもですが、海から遠い所には、陶磁器のような重い物の流通は難しかったと思います。
我々のような街道沿いの所でも、伊万里は非常に少ないです。その事を考えると、常滑や信楽には特別な何かがあって、あれほど行き渡ったのではと思います。
返信する

コメントを投稿