三輪田米山の書も、二けたになりました。ブログもやっと区切り。しかも、超難物の名品です。
全体:57.2㎝x181.5㎝、本紙(本紙):44.7㎝x123.0㎝。明治。
三輪田米山は、生涯、数万点もの書をのこしたとも言われています。
その中で、今回の書は、優品に属する物だと思います。
書籍や目録では見たことがありません。
大げさに言えば、新発見(^.^)
しか~~~し、これが読めないのです
この品を入手してから10年、悶々とした日々を過ごしたのでありました
「神斎宵山」?「神斎督日」?
「神」を崩しても、右に﹅が残るはずだし、米山の他の書では確かに﹅が打たれています。「宵」や「督」も、ピッタリの崩しではない。最後の文字など簡単すぎてよけいにわからなくなります
こりゃあタイムアウトか。もはや恥をさらす覚悟で、ブログ読者諸氏の知恵を借りるしかない・・・と開き直り、ブログを書き始めました
そして、ふと、最初の文字は「神」ではないのかもしれない。他の可能性は?・・・・と考え直したところ、「升」が候補にのぼりました。さらに最後の文字は、ひょっとして「下」では?などと、謎解きをすること数時間。ついに、解けました。
『升高必自下』(しょうこうひつじげ)
孔子編といわれる五経の一つ、『書経』のなかにある一節です。
「若升高必自下、若砂邇必自邇」
高きに升(のぼ)るに必ず下(ひく)き自(よ)りするが若(ごと)くし、遇(とお)きに捗(のぼ)るに必ず邇(ちか)き自(よ)りするが若(ごと)くす。
遠くに行くには、必ず近くからスタートするのと同じく、高みへのぼるには、必ず下から始めなければならない。
高い目標をかかげ、行動する際には、謙虚さと地道な努力が必要だという教えです。
四文字ではなく、五文字だったのですね(^^;
実は、この掛軸、大変傷んでいます。
焼けや小傷は仕方ないとしても、文字の剥離が見られるのです。
すは、贋物!?
でも、印刷物の一部が剥がれるなんて聞いたことがありません。それに、どうみても時代を経た掛軸です。印章の肉の色も褪せています。
そこで、じっくりと観察しました。
白くなっている部分の右端は、墨があった痕跡が薄い曲線になって残っています。確かに剝れたのですね。
剝れた左上の箇所を拡大すると、
紙の上にのっている墨がなくなって、紙の地が表に出ていることがわかります。
この掛軸は、無地の部分に、多くの小傷があります。
上側の白い繊維がなくなって、下地が出ています。
それに対して、墨が剥がれた箇所では、白い繊維はそのまま残っています(一つ上の写真)。
ですから、筆で書いた墨だけが、紙から脱落したわけです。
これは一体どうしたことか!???
書をしたためる和紙は、墨の滲みを防ぐため、膠を塗ってあるそうです(ドーサ引き)。絵の場合は、さらに胡粉を塗ります。
今回の用紙は、拡大してみると、表面に紙の繊維が白く広がっています。おそらく、胡粉を混ぜた膠液を塗ってあるのではないでしょうか。その効果で、たっぷりと墨を含ませた米山の筆を、滲むことなく受け止めることが出来たのでしょう。しかし、その分剥離しやすく、一部がペロリと捲れ、脱落してしまったというわけです。
作品としては疵物ですが、米山の書らしい品とも言えるので、このまま大切にしたいと思っています(^.^)
私は、「今の事を基本にたちかえって」と解釈させていただきまして、なおの事、真理が説かれていてと、そちらにも感銘を受けました。
今は恐らく古いものがそのままでは残らないのです。ご紹介くださったような、まるで剥離や印刷ミスとみられるようなものは、後で付いている物を見てきて知っています。
むしろ、だからこそ、ホンモノの可能性のほうが高いのですよ。
ブログアップ感謝します!
解読おめでとうございます!!
間違いないんじゃないでしょうか??
それにしても読めるのがすごいです!
コレもやはり想像力の世界でしょうか(^^)
書いている文字もコレまで紹介くださった米山さんらしい精神性の内容ですね!
4文字5文字あたりの書は迫力がありそうです。
なんとなくたくさん書いてあれば良いって思ってしまうところもありますがそうでもないですよね!?
書は評価所が難しいものですね(^^)
見ていて気付きませんでしたが、言われてみれば、文字の一部に剥離が見られるのですね。
私は、てっきり、この書は、傷んでしまったので、傷みの酷い部分を鋏などでカットしてから表具をし直したので、このようになったのかなと安易に考えました(~_~;)
なるほど、墨の部分が剥離したのですね。絵などにはありますが、書にもあるのですね(^-^*)
その解明も見事です(^_^)
いつも、〆切(自分で設定した(^^;)間際になってジタバタしています。
しかし、今回はもう半分以上諦めて、未完のブログを晒すのもまあいいか、と見切り発車しました。
ところが、窮すれば通ずですね。運命の女神が微笑んでくれました。というより、お情けをかけてくれました。
毎回、こんなうまい話を期待するのは虫が良すぎますね(^.^)
ずーっと考え続けていると堂々巡りしがちです。が、今回のように、一度ふっ切れると、別の回路が働くのでしょうか、発想の転換がなされ、ヒラメキのようなものが出てきますね。
陶磁器も保留になっている品が何点かあります。思い込みにサヨナラして、何とか日の目をみさせてやりたいものです(^.^)
実際、破れや欠損の補修は掛軸ではそう珍しい事ではありません。
以前に紹介した、紀貫之『夏衣』では、年と印章の部分が破れてなくなっています。
こういうのに遭遇すると、嫌な気分になります。ベッピンさんと思っていた皿に、それまで気がつかなかったニュウやホツを見つけたようなものです(^^;
しかし、今回の品の場合は、ペロリと剝れた部分も、米山の愛嬌のような気がして、これは珍品だ、と一人悦に入っています(^.^)
絵画の場合、胡粉を塗ると割れやすいですね。
上へ塗る絵の具も滑落しやすい。
でも書でも・・・礬水をつかうんですね~
確かに滲みはなくなりますが(以前趣味の日本画を20年ほどやっておりました)書でも使うって、
今のにじまない半紙を使っていると思いが至りませんでしたが。
>運命の女神が微笑んでくれました
こういうことって、遅生さんの日々の努力の賜物なんでしょうね。
書は(も)わからないんですが、書の意味するところに心打たれました。
ですから、彼の字は石に彫り込んだ石碑で鑑賞する方が良いと思います。