遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

鼓の会で一調を打ちました ~小督・駒の段~

2019年08月07日 | 能楽ー実技

  鼓の会で、一調、小督・駒の段を打ちました。

 

平家物語と能・小督 

 

 この掛け軸、どこかで見たような気がしませんか。

 

 

 月明かりの夜です。

 

季節は秋。菊が咲いています。

蔦がからまった折戸の奥、美しい女性が琴をひいています。

 

 折戸の前では、馬上の男性が笛を吹こうとしています。

 

平家物語、小督の1シーンです。多くの日本画家が描いています。

この掛け軸の作者は、名古屋の大和絵画家、尾関圭舟です。

 

ここに描かれた、平家物語巻六「小督の事」に拠って作られた能が、小督です。

【能・小督のあらすじ】

 平安時代、平清盛が全盛の頃、琴の名手小督の局は、高倉天皇の寵愛を受けていた。高倉天皇の妻、中宮徳子は清盛の娘なので、清盛の怒りを知った小督は、密かに身を隠した。それを知った天皇は嘆き悲しみ、源仲国を勅使として、嵯峨野にあるらしい小督の隠れ家を探し出すよう命じた。仲国は、中秋の夜、月下に鞭をあげ駒を早めて尋ねまわり、とある片折戸の家から流れ出る琴の音を聞いた。それは、小督の琴の音で、夫を想って恋う想夫恋の曲であった。小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督は、返書をしたためた。返書を受けた仲国は、名残りの酒宴で舞を舞った後、馬に乗り、小督が見送るなかを都へと帰っていった。

 

駒の段

能・小督のハイライトが駒の段です。

           【駒の段】

シテ「あら面白の折からやな。三五夜中の新月の色。二千里の外も遠からぬ。叡慮かしこき勅を受けて。心も勇む駒の足なみ。夜の歩みぞ心せよ。牡鹿なくこの山里と。詠めける。」
地謡「嵯峨野の方の秋の空。さこそ心も澄み渡る。片折戸を知るべにて。明月に鞭をあげて駒を早め急がん。」
シテ「賤が家居の仮なれど。」
地謡「もしやと思い此処彼処に。駒を駆け寄せ駆け寄せて控え控え聞けども。琴彈く人はなかりけり。月にやあこがれ出で給うと。法輪に参れば。琴こそ聞こえ来にけれ。峯の嵐か松風かそれかあらぬか。尋ぬる人の琴の音か楽は。何ぞと聞きたれば。夫を思いて恋うる名の想夫恋なるぞ嬉しき。」

「十五夜の新月、本当に面白い月夜だ。二千里も遠いとは思わぬ。恐れ多い勅命を受けて、心は勇み、馬も勇み立つ。夜の歩み、馬も気をつけてくれ。牡鹿がなくこの嵯峨野の山里と詠まれた所だから」「嵯峨野の辺りは空気が澄み切って、心まで清まりそうだ。片折戸を目印に、明月に鞭をを打って、馬を急がせよう。」「粗末な仮家だが」「もしやと思いあちこちで馬を駆け寄せ足を留め、耳を澄まして聞けど聞けども、琴を弾く人はいない。月に誘われ外に出られるかもしれないと思い、法輪寺の辺りまで来たとき、琴の音が聞こえてきた。峰の嵐か松風か、それとも、尋ねる人の琴の音か。曲は何か?高倉の君を想い懐かしむ想夫恋ではないか。なんとうれしいことか。」

 

宮中で小督の琴に合わせて笛を吹いたことのある仲国は、小督の琴の音を聴き分けることができたのです。


 平家物語では、掛け軸の絵にあるように、小督の片折戸の前で、腰から笛を抜き、ピーと鳴らすと、琴の音が止む、という場面です。

         【平家物語より】

・・小督殿の爪音なり。楽は何ぞとききければ、夫を思うてこふとよむ想夫恋といふ楽なり。さればこそ、君の御事思ひ出で参らせて、楽こそおほけれ、此楽をひき給ひけるやさしさよ。ありがたうおぼえて、腰より横笛ぬき出し、ちッと鳴らいて、門をほとほととたたけば、やがて弾きやみ給ひぬ。」

しかし、能では、笛は吹きません。かわりに、能では、駒をはやめる鞭が象徴的な小道具として用いられます。

なお、シテ(主役)は小督ではなく、仲国です。しかも、仲国は、直面(ひためん)で能面をつけません。人間の顔が能面の代わりをするのです。

静かな秋の夜、嵯峨野をバックに、月明かりの下、優雅で情感に満ちた物語が展開します。

仲国と小督の心の通い合い(情?)など、いろんな余韻を感じられる能です。

 

    月岡耕漁筆『小督』(駒の段)

月岡耕漁:明治2-昭和2年。明治大正期の浮世絵師、日本画家。月岡芳年門。能画を多く残す。

能・小督、駒の段です。能舞台の橋掛かりで、仲国が、馬に乗り、鞭をもって、小督の家を尋ねまわる場面、月にやあくがれ出で給ふとと、一の松へ出るところです。

 能には駒(馬)は登場しませんが、仲国が装束、狩衣の肩を上げ、鞭を持てば、駒に乗っていることを表します。


 

 河鍋暁翆筆『小督』(駒の段)(木版、『能楽図絵』明治32年)

河鍋暁翠は、河鍋暁斎の娘。女性画家。

駒の段で、仲国が駒を走らせ、想夫恋の琴の音を聞いて、片折戸の家を尋ねあてた場面。

 

『小督』(駒の段)(木版、作者不明『能狂言図画』明治時代)

小督の最後のシーン、駒の段の後。やっと小督と対面することができた仲国は、天皇の御書を授け、小督の返書を受けた。名残りの酒宴で舞を舞い、勇み立つ馬に乗り、小督の見送りをうけ都へと帰る場面。

この絵にある謡曲の部分:シテ(仲国)「木枯に。吹き合わすめる。笛の音を。ひき留むべき言の葉もなし」(木枯の風に合わせて妙なる笛を吹いていらっしゃるが、あの笛の主をどうしたらお留めすることができようか、私にはその術がわからない)

 仲国が舞を舞ったあとに発した言葉です(元歌は、源氏物語帚木巻木枯の女の歌)。これは、どう考えても小督の言葉です。が、能ではこのように、相手の心情や言葉を、成り代わって述べるくだりがままあります。

 

段物:駒の段のように、ある曲の中で、まとまった謡いどころ、舞いどころ、囃子どころで、「〇〇の段」と名付けられています。すべての曲に段があるわけではありません。駒の段は、能・小督の一部、この能の見せ所、聞かせどころです。想夫恋として、小唄や黒田節にも取り入れられています。「峰の嵐か松風か」の名文で広く愛されています。

  

一調・駒の段

 一調とは、能の演奏の特殊な形態で、謡い手1人と小鼓・大鼓・太鼓のいずれか一種(1人)が演奏をします。能のうちで、一番要所となるところを、謡い手と囃子手が、1対1で真剣勝負をする形式の出し物です。

打ち方は通常とは異なり複雑で、謡い方も高度になります。謡い手、囃子方ともに、力量が要求されます。囃子方で言えば、能一番を打つくらいの重さがあります。

 演奏中は、何とも言えない緊張感が漂います。能楽堂での公演でも、一調が演奏されることが時々あります。昔、観世流の名手、〇〇師、謡いが途中で止まってしまったことがありました。プロでも、やってみないとわからない怖さがあるのです(^_^;)

私が、一調・駒の段を打ったのは、年に数回ある小鼓の会のうちの浴衣会です。この季節、浴衣を着てくつろぐように楽しんで打つ、という趣旨でしょうか。ところが、実際は、浴衣を着てリラックスして、というふうにはなりません。紋付袴ではないですが、それなりの格好で。

何よりも、実質が発表会(曲は短く、一曲が数分)なのです。年度末の発表会を期末試験とするなら、浴衣会は中間試験、緊張します(^_^;)。私の属する小鼓社中の規模はかなり大きくて、当日、60曲以上が、次々と演奏されました。

一調を打つということで、順番は、最後。トリと言えば聞こえがいいですが、要は、待ち時間最大。ズーっと、腹が痛かった(笑)。

ところで、私は、鼓を始めてからずっと、鼓の会のプログラムをもとに、統計をとってきました。この統計は、どこかの国の腐った政府や奴隷官僚のように、勝手に数値の改竄や誤魔化しをしたものではなく、いたって真面目なものです(笑)。

で、何十年かのデータ分析から出た結論:一調を打つようになった人は、数年後にはプログラムから消える・・・・ご退場になったのですね、人生から。この結論でいくと、あと数年で私もこの世からオサラバか(^_^;)

もしよかったら、聞いてみて下さい。

一調「小督 駒の段」(4分)

https://yahoo.jp/box/V_4wBU

 


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8 コメント

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遅生さんへ (Dr.K)
2019-08-07 12:33:44
.>何十年かのデータ分析から出た結論:一調を打つようになった人は、数年後にはプログラムから消える・・・・ご退場になったのですね。

そうですか。一調を打つほどになった者は、間もなく、引退になるんですか。
一調を打つことは、引退公演ということなんですね。
嬉しいような寂しいような気持になりますね。

適切なコメントにならないですみません(-_-;)
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Dr.kさん (遅生)
2019-08-07 12:52:01
退場は、引退ではなく、人生の退場なんです。それがひたひたとやってくる(^_^;)

もう、優先順位をつけて物事にあたらねば。さしあたって、草刈りはパスすることにしました(笑)
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 (ことじ)
2019-08-07 19:50:19
能の一場面なんですね。
平安の風情を感じる掛け軸ですね。
鼓で参加で趣味全開ですね。
統計はあくまで参考できっと長く続きますよ。
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ことじさん (遅生)
2019-08-07 20:48:48
琴と笛でコミュニケーション、優雅ですね。アフリカ物とはあまりの落差に自分でも驚きます(笑)
趣味も、一年一趣味、のペースでどんどん広げていた(骨董も同じく広く浅く)のですが、諸般の事情で、能と骨董だけがかろうじて生き残りました(^_^;)
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勉強になります (酒田の人)
2019-08-07 23:20:57
いや~、この種のことには全く知識の無いワタシとしてはとても勉強になります。
一調「小督 駒の段」、聴かせていただきました
なんとも知れない幽玄な世界に引きこまれますね。
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酒田の人さん (遅生)
2019-08-08 08:38:26
コメント、ありがとうございます。
能、一見、敷居が高いですよね。私も昔はそうでした。でも、やってみると、こんなもんか、という感じです。それに、お茶や能など、主要な日本文化は室町時代に花開いたので、陶磁器を見るときにも納得することが結構あります。大体、皿や壺に幽玄の美を感じるなんて、外人には理解不可能でしょう。
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Unknown (aichan)
2019-08-31 15:29:06
拝聴させて頂き、有難う御座いました<(_ _)>
「竹生島」も拝聴出来たら有難いです。
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aichan さんへ (遅生)
2019-08-31 19:43:05
コメント、ありがとうございます。
つたない演奏ですが、こうやって恥をさらすのも、精進の一環かと。
竹生島、また機会がありましたら打とうと思います。
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