虚無僧取り締まり高札
この高札、前の盗賊自衛高札と作りが似ています。やや、簡易な造り。やはり、回覧板的に使った物でしょう。
幅60cm、厚さ2cm、重さ2kg。
裏面はこんな具合。
虫食い、風化が」進んでいます。真っ二つの割れる寸前です。上には、当時の吊り金具がそのままに。
裏木で縦に嵌め込み式に補強してあるので、辛うじて形をたもっています。表からは見えませんが、高札板は、このように当初から補強してある物が全体の半数ほどあります。
今回の高札の補強は非常に珍しいもので、手の込んだ細工になっています。蟻仕口で取り付けた裏木は、工芸品に施されるような象嵌細工になっているのです。その結果、板札の裏面は、完全に平坦で、裏木の存在を感じさせないほど。また、裏木は左右に2本付けるのが普通ですが、この高札は、中央に1本の裏木だけで補強されています。
板表面の風化がすすみ、墨書は消えていて、文面は判読できません。
でも、横からライトを当てると、
文字が浮び上ってきます。
もっと、ライトを強力にすると、
近年村々江虚無僧修行之躰二而參り、
百姓共江祢たりケ間敷儀申掛、或ハ
旅宿を申付様、村役人なとへ申候故、宿取
遣候得ハ、麁宅二而止宿離成由を申、
あハれ、其場ニ居合候者共を、尺八二而
打擲いたし、疵付候儀有之段相聞、
不届之至二候、虚無僧修行いたし候者、
志次第之施物を請、夜二人候ハゝ相対二而一宿
可致筋二候間、以来虚無僧とも聊茂
無法之筋有之候ハゝ、其村方ニ而指押、
御料ハ御代官并御預り役所、私領ハ
領主地頭役所江、早々召連可出、若於
相背ハ、其村方可為越度者也、
右之趣、御料私領寺社領等不洩様相触、
村々ニ而寫取、村々入口高札場、或ハ村
役人之宅前抔江為張置可申候
正 月
近年、村々へ、修行の格好をした虚無僧が現れ、百姓達に、ねだり、強請を吹っ掛けたり、旅宿を提供するよう村役人などに申し入れるので、宿を世話したところ、こんなあばら屋に泊まれるかと言って、暴れ、その場に居合わせた者達を尺八で殴り、傷付けたと聞きおよぶが、全く不届きな事である。虚無僧修行の者は、志を請い、夜二人なら、相部屋で宿をとるのが筋である。したがって、虚無僧達にわずかでも無法のところがあるならば、村方にて捕り押さえ、御料は御代官、御預り役所へ、私料は地頭役所へすぐに召しつれ出すように。もし、違反した場合には、村方の落度となろう。以上の趣旨を、御料、私料、寺社領など、漏れなきように触れ、村々で写し取り、村々の高札場、或いは、村役人宅前などに張っておくように。
正 月
虚無僧とは、普化宗(禅宗の一派)に属し、尺八を吹きながら諸国をまわり、托鉢をし、修行を行った人たちです。身分は武士(ほとんどが浪人)で、町人や農民は、虚無僧にはなれなかった。
江戸幕府は、当初、虚無僧に、諸国を自由に往来できるなどの特典を与えていましたが、江戸中期以降は、虚無僧姿をした遊蕩無頼の徒が横行するようになり、虚無僧を規制するようになったのです。
それにしても、この高札の文面、非常に具体的で生々しい。虚無僧の無頼ぶりが目に浮かんできます。