もう一つの源内焼皿
たしか、もう一枚あったはずだが・・・・・
ありました。故玩館の陶磁室の片隅、床の上、直に。
身を隠すようにひっそりと。
実はこの皿、展示に関して、家で一悶着あって、保留になっていた品なのです。
そのいきさつについては、最後に。
直径 24cmほどの中皿です。
花模様(多分、牡丹)と葉が浮き彫りになった、大胆なデザインです。
よく見ると、花弁の中に、小さな目跡が3個、正三角形についてます。
松ぼっくり形の足が3個。それぞれに少し大きな目跡がついています。
この正三角形は、表面のものと同じ大きさです。
この皿も、先回の大皿と同じく、極細のピンで重ね焼きされたことがわかります。
問題は裏の銘です。
ほぼ同じものが、加藤唐九郎『原色陶器大事典』に載っています。
モース 『日本陶器目録』の源内焼
もしやと思い、買ってから一度も開いたことのないぶ厚い本を繰りました。
Morse『Catalogue of The Morse Collection of Japanese Pottery』 (モース 『日本陶器目録』)
モースは、明治初期に来日し、日本全国の陶磁器を収集しました。
そのうちの約3000点は、ボストン美術館に所蔵されています。
モースは、これらに通し番号をつけ、それらを整理して目録を作成し、スケッチとともに、明治30年に出版しました。
この本は、その改定版(1979年)です。
ものすごい数の日本陶磁器が載っています ・・・・・
・・・・・・ ありました!
この牡丹皿の裏銘とほぼ同じです。
加藤唐九郎の本に載っているのとは、全く同じ。
どうやら、加藤唐九郎『原色陶器大事典』の源内焼の銘「平賀舜民」は、モースのこの本からとってきたようです。
この銘が書かれた、2079番の品についての記述です。
丸い取っ手がついた舟形の杯洗とあります。
そして、銘については・・・・
「Shunmin and Hiraga(inc.)」.
Mark extremely rare.
えーっ、「平賀舜民」ではなく、「舜民と平賀(会社)」!?
確かに、右から読めば、「舜民 平賀」です。
舜民は、実質的に源内焼を担った名工、脇田舜民のことです。
だとすれば、源内焼は、当初から、平賀源内と脇田舜民の合弁事業のようなものだったのでしょうか。しかも、舜民の方が先。
源内焼の名称が使われるようになったのは、比較的最近です。舜民焼、志度焼と呼ばれる方が一般的であったようです。モースの本でも、志度焼になっています。
問題の品、2079番 源内焼杯洗の写真を捜すのに、非常に苦労しました。
どこを捜しても、肝心の2079番の品がないのです・・・・
やっと見つけました。志度焼よりずっと後の方、最近手に入れた品々(Case40)の中にありました。
2079番 源内焼杯洗は、最上段棚の左から3番目。
しかし、モースさん、スケッチに番号を入れるのを忘れています。
私が鉛筆で書いておきました(笑)。
国内には無いレア品?
源内焼きについては、2003年、五島美術館で大規模な展示会が開かれました。
図録には、源内焼、約120点が載っています。
先回のブログで紹介した、竹林七賢者図大鉢も載っています。
しかし、書き銘「舜民 平賀」のある品は見当たりません。この書き銘についての説明もありません。
また、この牡丹皿のような大胆なデザインの皿は載っていません。
ひょっとしたら、国内には無かった?
一級品に昇格した源内焼牡丹皿
さて、この皿でもめたのは、以下の事情です。
牡丹皿の裏にある書き銘。これが上下逆なのです。
「平賀 舜民」(本当は、「舜民 平賀」)の書き銘がある源内焼は本人作である、と何かで読んだ記憶があったのです(もう、出所を調べる気力、根気がありません)。
そこで、キャプションを『源内焼牡丹皿 ~本人作~ 』としたら、つれ合いから、猛烈に叱られました。
『平賀源内ともあろう人が、上下を間違えるはずがない。偽物に決まってる!』
そこで私。
『平賀源内だからこそ、上下なんかには無頓着だ!』
「舜民 平賀」の書き銘。
「Shunmin and Hiraga(inc.)」.
Mark extremely rare.
本人作かどうかはともかく、非常に珍しい品であることは確かです。
この「焼牡丹皿」、今日からは、展示ケース内に移動です。
ps.
モースコレクションについては、以前のブログにも書きました。
よろしかったら、覗いてみて下さい。